四話 悪夢のはじまり
うっすらと目を開けてみると、そこはまったく覚えのない場所だった。
体が重い……いや、痛い……!
「ねえ、アメリア……起きて……」
真っ暗な闇の中で呼ぶその声は、もう二度と聞きたくないと願った男のものだった。
確かめようにも、体は自分のものではないかのように動かなかった。
――お、お願い……もう、殺して……
勝手に口が動き、そう答える。
カリナとして死んだ時とは比べものにならないほどの、飢えと、渇きと、痛みを感じていた。
「だめだよ。ほら、少し水をあげよう」
唇を濡らす程度の水滴が、ぽとりと落ちてくる。
――もう嫌……もうお願い……
私が何をしたの。
あなたを選ばなければよかった。
ただ、幸せになりたかっただけなのに。
その声は、自分のものとは思えないほど、か細く掠れていた。
ぼやけた視界の中で、ようやくその男の姿を捉える。
アレクサンダー・ユーラシア。
死んだはずのその男が、笑った瞬間、
恐怖と憎悪に心が飲み込まれた。
――お願い……助けて……カリナ……。
自分から発されたその言葉に、背筋が震える。
これは……夢じゃない。
アメリア王女の記憶だ。
***
「いやぁぁああああ!」
叫び声とともに起き上がると、声が出て、体が動いたことにほっとした。
同時に、胃の奥底から湧き上がってくるものを抑えるため、慌てて口を塞ぐ。
――吐く……!
込み上げるものを必死に堪え、呼び鈴を鳴らそうと手を伸ばした、その時。
その音を聞くよりも早く、ローラが部屋へと飛び込んできた。
「アメリアさま! どうされました」
アメリアの姿を確認すると、ローラは慌てて洗面器を取りに行き、ものの数秒で戻ってきてくれた。
吐き気が治まるまで、ローラはずっと背中をさすってくれていた。
その温かさを感じながらも、頭の中は先ほどの夢に支配されていた。
あれは、紛れもなく――
アメリア王女の前世の記憶だろう。
でも……どうして……?
「ありがとう、ローラ。もう大丈夫よ」
「朝になったら医者を呼びますから、それまで休んでいてください」
ローラは新しい洗面器と布巾を持ってくると枕元に置き、
「いつでも近くにおります」と言って呼び鈴を握らせ、
横たわるアメリアにシーツをかけた。
相変わらず完璧な彼女に感謝しつつも、
とてもじゃないが、もう一度眠る気は起きなかった。
シーツの中に潜り込み、先ほどの夢を思い出す。
明らかにあれは記憶の断片だった。
そして確かに感じた身体の痛み、渇き、苦しみ……
おそらくアメリア王女の最期に近い瞬間だろう。
もう死んだはずの男に、再び沸々と怒りが込み上げてくる。
(あの男……本気で一回殴っておけばよかったわ)
それよりも、なぜアメリア王女の記憶を夢に見たのだろう。
これまで一度もこんなことはなかった。
カリナとして生きた前世の記憶を持って転生したが、アメリア王女自身が経験したことは、何ひとつ記憶として持ってはいなかったはずだ。
もしかして……ついにアメリア王女に、この身体を返す日が近いのかもしれない。
そう思うと、ヴァルクがいないのが不安で仕方なかった。
彼に会えないまま……もし終わりが来たら、どうしよう。
胸焼けのような気持ち悪さが取れないまま、不安な時間だけが、ただ過ぎていった。
そして、この日からこの悪夢に苦しめられることになる。
「はあ……」
「大丈夫ですか、アメリア様……
顔色がかなり悪いですが」
毎夜見る悪夢のせいで、まともに睡眠をとることもできず、あの夢で感じる身体の痛みを思い出しては、食欲も湧かない。
吐き気に襲われる日々は、確実にアメリアの心身を蝕んでいった。
「大丈夫……と言いたいけど、あまり良くないわね」
「いい加減、医者を呼ばせていただけませんか?
もう半月も、この調子ですよ」
悪夢のせいなだけなのに、わざわざ医者を呼ぶ必要はないと思っていたが、たしかに身体にも悪影響が出ているようだ。
「そうね……お願いするわ」
結局、その日の午後には、城医による診察を受けることになった。
「アメリア様、月のものはいつ来られましたか?」
「月……ええっと、そうね。
ノルディアを出立する……二、三週間前だったかしら?
……だから、もう二か月くらい前になるわね」
「なるほど。半月前から吐き気もあるとおっしゃっていましたね……」
「ええ、そうね」
「胸の張りはいかがですか? 痛むなどはありますか?」
「胸……どうかしら。
そういえば、少し張っている気もするわ」
「……断定はできませんが、ご懐妊の可能性が高いですね」
「えええっ」
アメリアより先に声をあげたのは、隣で見守っていたローラだった。
「ご、ごご懐妊?! 間違いございませんか?」
「まだ時期が早いので、断定はできません。
しかし、月のものがないことやお身体の不調は、妊娠の傾向と非常によく似ています。
妊娠の初期は流産の可能性も高い。
できる限り、安静に過ごすのがよいでしょう。
薬はお身体によくありませんので、何も出しませんが、定期的に様子を見に参ります」
こ……子ども……
ヴァルクと、私の……?
まだ何の実感も湧かないお腹に、そっと手を当てた。
もしかして、この子が生まれることが、
王国の破滅を防ぐことなの……。




