二十五話 自由と継承
王都に着くと、真っ先に出迎えてくれたのは、予想どおり侍女頭のローラだった。
三年前にヴィータを連れて帰省して以来だったから、すっかり赤子から子どもへと成長を遂げたヴィータの姿に、歓喜余って泣いてしまった。
「ヴィタリス様……まあ、なんて立派になって」
ローラの勢いに圧倒されながらも、ヴィータは丁寧に挨拶をした。それは何度も教えたとおり、十分に礼儀正しいものだった。
「え……と、ローラも僕のことはヴィータって呼んでいいよ。みんなそう呼ぶから」
「まあ……お優しいですわね。
ですが、それなら私はヴィタリス様とお呼びしてもよろしいでしょうか」
「いいよ」
「ありがとうございます」
ローラが微笑むと、ヴィータもそれに倣うように笑顔を作った。
ヴィタリスと呼ぶローラの姿に、アメリアは、彼が王位を継ぐことを知っているかのような錯覚を覚える。
不安がじわじわと広がる中、一行は国王陛下の執務室へと案内された。
そこには、ヘブラム国王が待っていた。
国王は久々の娘の帰還と孫との対面を喜び、至って平穏な時間が流れていた。
そこへカリオン第一王子が現れ、ヴィータをローラが連れて出ていくまでは。
「アメリア……ヴァルクから、もう話は聞いたと思うが、カリオンが王位継承から降りることになった」
「できることなら、お前に……跡目を継いでもらいたいと思っている」
国王の瞳は揺れていた。
そこにある不安が、読み取れるようだった。
「すまない、アメリア。
僕が……不甲斐ない兄なばかりに、突然こんな大事な役目を押し付けることになってしまった」
「……お兄様は、どうして……?」
一瞬の迷いではないのだろうか。
彼が王位を継ぐための努力をしてきたことは、王宮で過ごした間、十分に見てきた。
「あの絵を見てくれ、アメリア」
国王は部屋に飾られた絵画を指さした。
それは、暖かな光を帯びた聖母の絵だった。
「あれは……お前たちの母の絵だ。
カリオンが私にくれた。朧げな記憶の中で、唯一彼に残った母の姿らしい」
「あの絵を見たとき、思ったのだよ。
カリオンの生きたい人生を歩ませてやるべきだと」
国王陛下が、自らの息子に王位を継がせないという答えを導き出すのに、どれほどの苦悩を強いられたのだろう。
それでも、その表情に滲んでいるのは、苦悩よりもどこか晴れやかな感情だった。
「そして、アメリア……お前のこれまでのノルディアでの功績を見てきたからだ。
ノルディアでは、冬でも街中であれば十分に暖をとれる環境になったそうだな。
その技術を考えたのも公爵夫人だと、社交界ではもっぱら噂の的だ。
真冬にノルディアを訪れたいという者も多い」
「アメリアは、今やノルディアの観光大使です」
ヴァルクが笑ってそう答えると、国王は満足そうに頷いた。
「ノルディアのために見せてきた、その手腕を――
今度は国のために尽くしてくれないか」
アメリアは、言葉に詰まった。
喉の奥に何かが引っかかったようで、すぐには声が出ない。
「……どうしてダリオンではないのですか?」
そう告げるまでに、わずかな時間が必要だった。
ダリオンも今やモリス公爵領の領主代理として、その役目をしっかり果たしている。
時折届くマリアからの手紙には、次男らしく自由に生きてきた彼とは別人のように成長しているダリオンの様子が記されている。
「彼の……子どもたちが、皆女の子だからですか?」
ダリオンとマリアの間には、最初に産まれたミナと、数年後に産まれた双子のサラとラーナがいる。
三人とも可愛い女の子だ。
「それは関係ない。
事実、ロキア王室では過去にも女王が治めていた時代があった。
私にとって大事なのは、誰が治めればこの国が安寧な時代を手に入れられるかということだ」
アメリアは思い出した。
戦禍から逃れていた時代と、平和な時代が訪れた前世を。
悲しくも、前を向いていた日々。
それは、とても美しかった。
この世界で王室は滅びることはない。
では、どうすれば人々は自由に、国は発展していけるのか。
「時間をください……。
私も、この国の未来のために何をすべきか、考えますわ」
「お前なら、必ずこの国をさらに良くできるはずだ……
良き返事を待っているぞ」
アメリアはひとり、執務室を出た。
重厚な扉が静かに閉じられ、張り詰めていた空気が嘘のように遠のいた。
広い廊下には、自分が歩く足音だけが静かに鳴り響く。
磨き上げられた床に反射する光がやけに白く、先ほどまで交わされていた言葉の重さだけが、胸の奥に沈んでいる。
アメリアは、無意識のうちに息を吐いていた。
深く吸い込むことが、まだできない。
――時間をください。
そう口にした瞬間から、逃げ場はなくなったのだと、今さらながら理解する。
アメリア王女の未来を生きることになったとき、ロキア王国の未来までは考えていなかった。
王室が続くことで、その役目はとうに終わったと思っていた。
ただ、ヴァルクと、そして生まれてくる子と、静かに幸せに生きていこうと――
それだけを願っていた。
廊下の先から、微かに子どもの笑い声が聞こえた。
きっとヴィータだろう。
その声に、胸の奥がわずかに緩む。
あの子には……もう、アメリア王女だったときのような、定められた未来の中でもがき苦しむ思いはさせたくない。
戦も、犠牲も、選ばされる運命も、できる限り遠ざけてやりたい。
立ち止まり、アメリアは一度だけ振り返った。
閉ざされた執務室の扉は、何も語らない。
それでも――
この国の静けさを守るために、選ばねばならない道がある。




