十五話 回顧録 -喪失-
ヴァルク・ストーン伯爵が王都に着いたと連絡があったのは、それから数日後のことだった。
近隣の領主の仲裁を終え、国王へ謁見しに来たヴァルクを迎え入れる。
「ご苦労だったな、伯爵」
普段はいないアメリアも、カリオンとダリオンとともに並んでいることに警戒したのか、こちらを一瞬見た後、短く息を吐いた。
「いえ、想定より時間がかかってしまい、申し訳ありません」
「それはそうと……街で君のことが噂になっているのは知っているか」
「……噂とは……?」
「はっ、そんな惚けた言い方をしても無駄だ。鍛冶屋の娘を愛人にしているらしいじゃないか! 妹をなんだと思ってる!」
「ちょっ……お兄様! やめてください!」
こともあろうに、まだ役人たちがいる前で声を荒げるなんて……。
ダリオンの考えなしな行動に、カリオンも父も、明らかに不快感を露わにしていた。
「それは……なるほど、そういうことでしたか」
伯爵の視線が痛い。
彼女は無事なのだろうか。最後に会った時の悲痛な声を思い出し、胸が締め付けられた。
「ヘブラム国王陛下、私はあなたに全てをお返ししたく、本日ここに参りました」
ヴァルク・ストーン伯爵の声は落ち着いていた。
それとは反対に、父も、周囲で聞いていた側近たちも、皆動揺を隠せていなかった。
「どういう意味だ?」
「そのままの意味です。
陛下に頂いた領地も伯爵位も、団長職から騎士の称号に至るまで、すべてお返しいたします」
「ストーン伯爵! それは叛逆と捉えられてもおかしくない発言ですぞ!」
側近たちから上がる声に、伯爵はゆっくりと首を振った。
「叛逆だと仰るならば、甘んじてその処罰を受けるつもりです」
「……婚約を破棄するために、すべてを捨てるのか……?」
黙っていた父の言葉に、伯爵は再びゆっくりと首を振った。
「違います。その噂になったという女性は、私が懇意にしている鍛冶職人の娘です。
先日、事故に遭い、視力を失ったと聞きました」
「えっ」
思わず声を上げると、伯爵の鋭い視線に射抜かれる。
彼は知っているのだろうか……あの日、彼女が私の馬車を追ってきたことを。
「その噂が事故の原因である可能性があるのなら、それは私の責任です。
王都の医者でも治すことは難しいと言われたと…国外で腕の立つ医者を探すために全ての職を辞したいのです」
「伯爵……たかが町娘のために、爵位も領地も捨てるというのか!
貴様を慕う団員や領民を捨てるつもりか! なんと愚かな!」
「陛下!こんな無責任な者に爵位など相応しくありません!」
口々に上がる非難と侮辱の言葉。
父はそれを制するかのように立ち上がった。
「少し考えさせてくれ。
今日この場で起こったことは口外禁止だ。もし漏らした者がいれば……容赦なく罰する」
父から放たれる冷たい怒りに、その場にいる全員が息を呑んだ。
誰もが青ざめる中、その原因であるストーン伯爵だけは、素知らぬ顔をしていた。
彼の中では、すでに結論が出ているのだ。
散り散りに皆が立ち去った後、ストーン伯爵を私室へ招いた。
「来ていただき、感謝いたします」
「いえ……殿下には随分ご迷惑をおかけしたようで、申し訳ありません」
その言葉に感情が籠っていないことは、誰の目にも明らかだった。
それでも王女として仮面を外さぬよう努めた。
「実は……カリナさんと事故の前にお会いしました。
あなたとの誤解を解こうと私の乗る馬車を追って……その時に怪我をされたのだと思います。
だから、あなたが自責の念に囚われる必要はありません。
それは、私の過ちです」
「……申し訳ないが、もう決めたことだ。
どのような結論が出ようと、私はこの国を出る」
「ど、どうしてですか?
国王陛下は、あなたをとても高く評価しているのですよ」
「あの子とは……噂のような関係ではない。
だが、妹のように思っていたのは事実だ。
だから、どうしても助けたい」
「では、私も協力します!
このままでは、私も申し訳なくて……。
婚約破棄は仕方ありませんが、騎士ですらなくなるなど、あなたに相応しい結末ではありません」
「……相応しい、とは何だろうな。
そもそも、私に爵位や領主という地位こそが、相応しくなかったのかもしれない」
「ひとりで、この世界から彼女の目を治せる医者を探せるとお思いですか?
私やロキア王国の協力があった方が良いとは思いませんか?」
「……悪いが、殿下が思うほど、私は立派な人間ではない。
本音を言えば……ただ、この不条理な世界を投げ出したいだけだ」
「……それは、私のせいなのでしょう?
あなたの大切な人を傷つけた私と、この国が許せないのではないですか?」
初めて本音で向き合ったヴァルク・ストーンは、とても小さく見えた。
そして、フィリップの何倍も人間らしかった。
彼が哀しげな目でこちらを見た瞬間、悟るしかなかった。
もう彼を引き留めることはできないのだと。
あの子が傷ついたという現実は、この国で得たすべてを捨ててでも逃げたいほどのものだったのだ。
数日後、王命として、ヴァルク・ストーンの爵位返上、領地没収、騎士団長の解任、そして王女との婚約破棄が発表された。
ヴァルクは、その足で国を出た。
彼の騎士としての腕は、他国に渡すべきではないという声もあった。
だが、国王はそれを退けた。
そして、ロキア王国は――
もっとも忠実な騎士を失った。




