十話 回顧録 -初恋-
初めて自分以外の誰かを美しいと思ったのは、まだ五歳の時だった。
空のような青い瞳に金色の髪。
兄とともに楽しげに笑う彼の瞳に映りたいと、どれほど願っただろう。
人生で初めて父へねだったのは、フィリップ・モリスと結婚したいという願いだった。
父は、その日のうちにモリス公爵と密約を交わし、私の最初の婚約者候補が決まった。
兄に会いに城へやって来るフィリップのそばをついて回り、兄に煙たがられても、彼はいつも優しく笑ってくれた。
あれから何年経っても、私の心にいたのは、あの美しい少年だった。
「本当に美しいですわ!」
ローラは、最後にティアラを被せると、溜息とともに称賛の声を上げた。
当たり前でしょ。
そう思っていたとしても、口には出さなかった。
そんな言葉を発するのは不釣り合いだと、もう十分に理解するほど、大人になっていたからだ。
今日、この日に、婚約者が決まる。
ユーラシアとの戦争が終わり、追加された二人の候補者。
アレクサンダー王子は礼儀正しく、好みではないが、王族として十分な容姿と教養がある。
だけど、第二王子……しかも、結婚したらユーラシアへ行かなくてはならなくなる。
それは、嫌。
もう一人の男……ヴァルク・ストーン伯爵は、正直言って論外だ。
なぜ、お父様があんな男を候補に入れたのか、意味がわからない。
あの男は十年前、私の目の前で敵将の首を掲げたのだ。
今思い出しても気持ち悪い。
子どもの頃だったが、いまだに夢に見るほどだ。
見た目は、まあ……昔は汚らしい野蛮人に思えたが、最近はようやく爵位に見合う程度にはなってきた。
だけど、それだけだ。
ロキア王国の第一王女の夫として、相応しいとは言えない。
そう。
だから、私の婚約者は――夫は――わざわざ三人も用意しなくても決まっていた。
フィリップひとりでよかった。
この国で最も美しい男。
この国で、王室の次に権威を持つ公爵家の一人息子。
私の隣に立つに、相応しい人。
確信していた。
彼と共に歩む人生は、幸せに満ちているはずだと。
「ちょっと先に、お父様に会いに行ってくるわ」
「わかりました。最後にもう一度確認いたしますので、必ずお戻りくださいね」
ローラに手を振り、宮殿を歩く。
父のいる宮殿へは、パーティに招かれている貴族たちの控室の前の庭を抜けた方が早い。
見つからないように、そっと頭を屈めて歩いていると、甲高い女の声が聞こえた。
「ねえ、フィリップ……私たち、もうこれで終わりなの?」
「終わり? どうして」
「だって……きっとあなたが選ばれるわ。国王陛下が溺愛する娘に、ユーラシアの王子を選ぶはずがないもの」
そっと窓から覗くと、フィリップにしなだれかかる女の姿が見えた。
誰?
苛立ちながらも、気づかれないように耳を澄ませる。
「国王陛下は、ストーン伯爵のことを信頼しているから……選ばれるのは彼かもよ」
「それは、ありえないことはないけど……でも、アメリア王女があなたの虜なのは、この国の貴族全員が知っているよ。
陛下だって、娘の好きな男で、もっとも信頼している公爵の息子を選ぶでしょ」
「僕のことは“信頼している”とは言わないんだね」
「ふふっ…それは、だって…」
真っ赤な唇をフィリップの顔に寄せると、人差し指でふさがれた。
「さすがに、ここではやめておこう。
もし僕が選ばれたとしても、安心していいよ。
アメリアは、どうせこの城から出ないだろうから。
君は、僕の領地に遊びに来ればいい」
「本当!? 絶対よ、約束」
女が振り返り、顔がはっきりと見えた。
――子爵家の長女。
いつも高価なもので着飾るのが好きな女。
あんな女と、フィリップは関係があるの?
震える怒りを抑えるように、手を握りしめた。
整えられた爪が、手のひらに食い込む。
「でも、あなたも悪い人ね。私だけじゃないでしょう?
王女が知ったら、気が狂うかもしれないわよ」
「うーん…それは、ちょっと見てみたい気もするな」
その会話をすべて聞き終える前に、逃げるようにその場を離れた。
父のもとへ行かず、走って自室へ戻ると、ローラの制止を振り切り、寝室へと駆け込んだ。
悔しい……
あんなに好きだったのに……
他の女性と…
初恋の人に弄ばれたという感情は、悲しみよりも、怒りの方が大きかった。
「お父様にお願いしようと思ったのに……」
フィリップを選んで、と。
だけど、もういい。
誰が選ばれようと、一緒だ。
この三人のうち、誰が婚約者となり、夫となったとしても、幸せにはなれそうもない。
それなのに。
「結婚相手はアメリアが決める!」
そう高らかに宣言した父をみた瞬間、頭の中は真っ白になった。
自分で、選ぶ?
とてもじゃないが、顔を上げることができなかった。
選ばれると思っているフィリップの顔も、
選んでほしいと願うアレクサンダー王子の顔も、
そして、なんの興味も示していないであろうストーン伯爵の顔も。
誰を見ても、心が浮き立つことはないと、わかっていたから。
「……わ、私は…
ヴァルク・ストーン伯爵と結婚いたします…」
震える声でそう答えると、場内は歓声と悲鳴に包まれた。




