一話 白銀の世界
ノルディアでは秋は瞬く間に過ぎ去り、雪が降り積もる凍てつく冬がやってきた。
アメリアは、窓から差し込む雪の反射が強い光となった日差しに目を覚ました。
身体を起こそうとして、ようやく身動きできない状態だということに気づく。
背中から伝わる温かさにふと顔を上げると、そこにはすっかり見慣れたヴァルクの寝顔があった。
(夜中には戻ってこなかったのに、いつのまに……)
アメリアがそっとその腕を避け、ベッドから抜け出そうとした瞬間――
一瞬で、また暖かな毛布の中へ引きずり込まれた。
「もう、起きてるんでしょ!」
「どこに行くんだ?」
毛布の中で当然のように抱き寄せられると、ついその温もりに身を委ねてしまいそうになる。
けれど、今日は朝から予定があるのだ。
「今日は街外れの村まで出かける予定なんです。
騎士団に護衛を頼みましたから、わかっているでしょう?」
「はあ……わざわざ湖の反対側の村に、何の用があるんだ?」
呆れたように肩肘をつき、ヴァルクはアメリアを見下ろした。
「それも……説明しましたよ。
ダリオンとマリアの娘が生まれたから、お祝いにノルディアのものを贈りたいって」
「それなら街で買えばいいだろう」
「あの村では木彫りの工芸品を作っていて、とても繊細で丁寧なんです。
生まれる前に、赤子用の食器とおもちゃを依頼していたので、取りに行くんです」
「そうか……。
その護衛の役目をするのが俺だと言ったら、少しくらいベッドで過ごす時間を伸ばしてもいいと思わないか?」
驚いて見上げると、ヴァルクは答えがわかっているかのように笑っていた。
「……仕事を片付けて、時間を作ってくれたんですか?」
「ああ。久しぶりに遠乗りといこう」
「それなら、致し方ありませんわね」
アメリアはヴァルクの胸に潜り込み、背中に腕を回した。
こうしてヴァルクがノルディアにいる間は、結局、予定どおりに事が進むことはない。
それでも彼の望むままに動いてしまうのは、この時間が有限だとわかっているからだった。
***
城門の橋を渡ると、アメリアは毛皮のコートに身を包み、ヴァルクから贈られた馬に跨って勢いよく駆け出した。
そのすぐ後ろを、ヴァルクが追う。
「そんなに急がすな。雪が積もっている、脚を取られるぞ」
「わ、わかっています!
でもサーガはまだ子どもなので、扱いが難しいんです!」
ヴァルクから贈られたその馬は、まだ成長途中の白毛の雄馬だった。
雪を踏みしめるたび、落ち着きなく身じろぎする。
「……代わってやろうか?」
「だ、大丈夫です!」
「サーガ、いい子ね……落ち着いて行きましょう」
宥めるように首筋を優しく撫でると、くるりと数回その場を回り、サーガは落ち着いた様子で歩き出した。
「ほら、大丈夫でしょう?」
得意げに言うアメリアに、ヴァルクは眉を顰めつつも穏やかに頷く。
「無理はするな。雪道は慣れた馬でも危ない」
「……わかりました」
凍えてしまいそうな寒さに、駆けたいというサーガの気持ちも理解できたが、二人は落ち着いて村への道を進んだ。
やがて、日の暖かさで身体はすっかり温まり、エルレイム山と城が凍った湖に映る光景を眺めながら、他愛もない会話を楽しむことができた。
(もしかして……わかっていて出発を遅らせたのかしら)
ちらりとヴァルクを見ると、彼はようやく視界に入った村を見て、ほっとしたようにアメリアへ視線を向けた。
「もうすぐ着きそうだな。冷えただろう?
暖かいものでも食べようか」
「そうね。あの村で育てている山羊のチーズが、とても美味しいのよ。
パンにのせてもいいし、温かいスープにかけるのもおすすめよ」
「……ずいぶん詳しいな」
「え……ああ、まあ。領主の妻ですから」
(しまった……また前世の記憶を……)
気まずそうに目を逸らし、ヴァルクの視線から逃げる。
村に到着すると、入り口にはすでに人だかりができており、大袈裟な飾り付けまで施されていた。
「伯爵夫人! よくおいでくださいました~!」
駆け寄ってきた初老の男は、ヴァルクの姿に気づいて驚き、立ち止まる。
「はっ、伯爵様!!
これは……いらっしゃるとは……」
慌てて深々と頭を下げると、周囲の村人たちも一斉にそれに倣った。
「村長、久しぶりだな。調子はどうだ?」
「は、はい! お陰様で、この村にもよく人が立ち寄るようになりまして、宿屋も増え、活気づいております!」
「そうか、それは良かった。
今日は妻が贈り物を頼んだそうで取りに来たんだが、せっかくだから村を見て回ってもいいか?」
「はい、もちろんでございます!」
ヴァルクとアメリアは村人たちの手厚い歓迎を受け、食事まで振る舞われた。
その中には、アメリアが話していた山羊のチーズも、ワインとともに薄切りで用意されていた。
注文していた赤子の食器やおもちゃも無事に受け取ると、アメリアは一つひとつを確かめ、満足そうに微笑んだ。
「ずいぶん嬉しそうだな」
「はい。このオークの樹で作られたスプーンを見てください。
滑らかで、赤ちゃんの口にちょうどいいサイズでしょう?
こんな素敵な品を、私も使ってみたかっ……」
うっかり口にした、カリナだった頃の小さな願望に気づき、言葉が途切れる。
ヴァルクは気にした様子もなく、木製のスプーンをじっと見つめていた。
(もう……ノルディアに来てから、気が緩んでいるわ。気をつけないと)
前世でノルディアに逃れ、三人目を産んだときにも、この村の品は街に流通していなかった。
子どもたちが成長してからようやく手に入るようになり、初めてこの小さなスプーンを手にしたとき、心から美しいと思った。
知り合いが子どもを授かるたび、このスプーンに名前を焼き入れてもらい、贈った。
そのたびに思ったのだ――本当は、自分が使ってみたかったのだと。
村人たちに丁重に礼を述べ、再び雪道を戻る。
陽が傾き、オレンジ色の夕日に城が照らされるのを眺めていると、ふいにヴァルクが口を開いた。
「アメリア、春になったらダリオン殿たちに会いに王都へ行くのだろう」
「ええ。そのつもりよ。
ヴァルクも一緒に行ってくれる?」
そう尋ねると、ヴァルクは少し寂しげに笑った。
「ああ。一緒に行こう」
「ふふ……あなたが来たら、お父様が大喜びするわ」
「……王都に着いたら、しばらく滞在してくれないか?」
「え?」
夕焼けがヴァルクの髪に差し、灰色の瞳が燃えるように紅く揺れていた。
何かが起こる前触れのように、アメリアの胸がざわめいた。




