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レクイエム

作者: 山谷麻也


 その1

 理恵とは、小杉が隣町に住んでいた時、同じアパートだった。

 小杉の妻と理恵は行き来していて、たまに小杉たちの部屋に顔を見せることもあった。

 先に小杉たちが引っ越し、交流は途絶えていた。越して二〇年近く経った頃、小杉の営む治療院に理恵から電話が入った。

「先生! 治療、お願いしたいんだけど」

 昔懐かしい、理恵の声だった。すこし、おちゃらけていた。


 アパートに住んでいた頃から、小杉は弱視だった。症状が進んで転職・開業したことをどこかで聞いたものと思われた。


 理恵の治療中、ざっと経緯を報告した。

 会社を辞め、専門学校に入って、鍼灸の免許を取ったこと、東日本大震災の災害ボランティアに参加し、過疎地の医療に貢献しようと思い立ったこと、すでに住まいは四国に移し、週二日、近くのビジネスホテルに泊まりながら治療院に出ていることなどを話した。


「へえ、和美ちゃん、四国に行っちゃったの。さつきちゃんも一緒なの。よく決心したわね」

 理恵は次女のさつきと、よく遊んでくれた。

 

 その2

 終業時刻になり、話し込む二人を残して、スタッフは帰った。

「これから、軽く飲んで食事するのだけど、どう、一緒に行くかい」

 小杉は帰り支度をしながら、理恵を誘った。

「うわ! いいの。うれしい」

 炉端焼きに向かう途中、理恵はしきりにアパート時代の思い出話をしていた。


 炉端焼きは混んでいた。しかたなく、カウンターの奥に席を取った。

「洋さんは元気なの」

 小杉は理恵の夫の近況を聞いた。

 理恵はなぜか言葉を濁した。話を変えようとでもするかのように、小杉に酒を進めてきた。


 理恵は酒が強かった。

 次第に手酌になる。

「あたしさあ、荒れてた時期があってね」

 妻の和美から、それらしきことは聞いていた。


 理恵は信州の生まれだった。

 父親は小さな建設会社を経営していた。理恵には、その頃の父親の記憶はほとんどなかった。四人きょうだいで、長兄がよく面倒を見てくれた。みんな明るく活発だったが、弟だけは大人しかった。

「きょうだいの中で、なんであの子だけ違うんだろう」

 とずっと思って育った。

 父親の死後、母親から、弟は従業員との不義の子であったことを知らされた。父親が長く家を留守にしていた時の出来事だった。

 母親は父親から凄惨な暴力を受けていた。父親は子煩悩で、分け隔てなく可愛がってくれたことから、母親を打擲(ちょうちゃく)するときの父親はまるで別人だった。


 その3

 理恵は中学生の頃から、地元の不良グループと付き合いがあった。

 中学を出て、父親の友人が経営する飲み屋の手伝いに行った。暴走族に入り、腕っぷしも強かったので、一目置かれる存在になっていた。


 理恵を変えたのは弟の自殺だった。すでに父親は亡かった。

 母親は弟の遺体にすがり、身もだえして泣いていた。

「私が悪かった。あのことさえ話さなかったら、この子は死ななかったのに」

 兄たちはいざ知らず、理恵には何のことか理解できた。


 理恵は生まれ変わる決心をして、上京し、自活した。スナックの貼り紙を見て、勤め始めた。昼間のコンビニでのバイトと掛け持ちし、多少の蓄えもできた。

 働きながら、理恵はいつもコンプレックスを感じていた。

 学歴もそのひとつだった。


 高校を中退した仲間たちをたくさん見てきた。

 弟は工業高校をひと月も行かないうちに中退した。母親は

「実習着とかお金がかかったのに。普通科にしておけば良かった」

 とため息をついていた。父親が他界し、家計は決して楽ではなかったのだ。


 学歴のないことに引け目を感じる反面

「やめるくらいなら、高校なんか初めから行かなきゃいいじゃない」

 と心のどこかでせせら笑っていた。


 コンビニに夕方、よく買い物に寄る、色白の若者がいた。時間を気にしている。

「学校、始まっちゃうよ」

 レジが混んでいる時など、やきもきしていた。理恵の気になる客の一人だった。


 後日、言葉を交わす機会があった。洋一だった。定時制高校に通っていた。

 理恵は翌年春、定時制高校に入学した。洋一との心弾む高校生活が始まった。理恵二一歳、洋一は二つ歳上だった。


 その4

 理恵が手洗いに立った。

 店員が小杉に目配せした。小杉は安心させるため、微笑を返した。

 理恵はトイレから帰るなり、お銚子を注文した。ろれつが怪しくなっていた。

「これだけだよ」

 小杉は念を押した。

「いいじゃない。もっと話させてよ。先生!」

 小杉は理恵に酌をした。


 理恵が高校三年になり、洋一と同棲を始めた。

 洋一はメーカーに就職していて、理恵は近くのパン屋のバイトに出た。

 同棲五年で、入籍した。郊外のアパートに引っ越し、そこで一緒になったのが小杉一家だった。小杉たちが建売を買って越した五年後、理恵と洋一はマイホームを新築した。


 子供には恵まれなかった。二人だけの単調な生活は、母親を引き取ったことで、急変した。

 田舎にひとり暮らしていた母親は認知の症状が出て、長兄と同居するようになった。母親は都会の生活に馴染めず、症状が悪化、長兄が()を上げたので、理恵が面倒を見ることになったのだった。


 徘徊(はいかい)するので、目が離せなかった。そのうち、下のコントロールができなくなった。

 理恵が始末してやっていると

「悪いねえ。理恵さんにそんなことまでさせて」

 と妙にしんみり言ったことがあった。理恵は聞き流そうとした。


 その5

「おや、知らなかったのかい。あんたはお父さんがほかの女に産ませた子だったんだよ」


 母親は当時のことは事細かに覚えていた。

 妊娠が原因で関係が発覚して、父親は女性の愛人と刃傷沙汰になった。父親は服役し、獄中からのたっての願いで生まれた子は留守宅に預けられた。


 母親はまるでよその家のことででもあったかのように、淡々と語った。ただ

「私はね、お父さんからどんな目に遭っても逃げ出さなかった。だって、私のお腹を痛めた子供たちがいたもん。理恵さんは別としてな」

 と言い、かすかに笑った。

「この人は長年のうっぷんを晴らしたつもりになっているのでは」

 おむつを丸めながら、理恵はそんなことを考えていた。


 理恵は母親を施設に入れる心を固めた。

 今更そんなことを聞かされて何になろう。それに、理恵の出生の秘密を知る者がそばにいることは、耐えられなかった。


 その6

「いろんなことしゃべっちゃった。でも、先生なら、いいの。ひとりで背負っていくの大変だったもの」

 理恵が徳利を振っている。空になっているはずだ。

「もうダメだよ。洋ちゃんだって心配してるよ」

 理恵が表情を変えた。


「ほとんど家には帰って来なくなったのよ。母さんをうっとうしがってたもの。母さんのまわりに芳香剤はスプレーするし、洗濯物だって、一緒には洗うなって」

 

 客が帰りはじめ、レジが忙しくなってきたみたいだった。

「もう一合だけ」

 と理恵は手を合わせた。


「洋ちゃんはね、両刀使いなのよ。男と同棲しているみたい」

 小杉は理恵に酌をし、残りは自分で飲んだ。

「あーあ。今晩、先生と不倫しちゃおうかな。ホテル、行っていいでしょ」

 理恵は脚を絡ませてきた。


「出よう。まだ、終電、間に合うから」

 急いで勘定を済ませた。

 駅に続く道を急ぐ。理恵が腕を組んできた。

「じゃ、来週ね。きっとよ」

 小杉は無言のまま歩いた。


 その7

 小杉は四国で気が重かった。それでも、埼玉に出張しないわけにはいかなった。

 小杉の携帯が鳴った。洋一からだった。

「理恵が死にました。事故死です。小杉さんにだけは報せておこうと思いまして」


 久々に帰った洋一と口論になり、理恵は一階に駆け下りようとした。階段を踏み外して落下し、首の骨を折ったということだった。

「ボクがあのことさえ言わなかったら」

 洋一は涙声だった。

「洋ちゃんも、お義母(かあ)さんから聞いていたのですね」

 洋一は号泣した。


 言い争いの末に、洋一が放った決定打だった。義母は洋一にも話していたのだ。

 理恵はいたたまれなくなり、二階の寝室を飛び出した。もし、アクシデントが起きていなかったら、次に何をするつもりだったのだろう。小杉は理恵と、暗い秘密を共有しながら生きて行かなくてはならなくなった。

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