(9)
「あなたから見て、旦那様はどんな方?」
「仕事熱心で立派なお方です。メイドである私達にも十分なお給金をくださいますし、理不尽なことはおっしゃりません。ただ、仕事熱心すぎるのが逆に欠点かもしれません」
「仕事熱心すぎるのが欠点?」
「はい。お屋敷にほとんどお戻りになりません」
「ああ、なるほど」
イザベルは相槌を打つ。いわゆる、ワーカホリックというやつだ。
(確かに、ほとんどお屋敷にいらっしゃらないわよね)
同じ屋敷に暮らしているのもかかわらず、アレックスとはほぼ全くと言っていいほど顔を合わせていない。
避けられているということもあるのだが、そもそも屋敷にいない時間が圧倒的に長いようだ。よくこれで屋敷が回っていたものだと感心してしまう。
「これまで、お屋敷は誰が執り仕切っていたの? 家令のドール?」
「いえ、大奥様でございます。もうご隠居されているので普段は別邸にいらっしゃるのですが、定期的に様子をご確認にいらっしゃいます。あとは、サラ様でしょうか」
「サラ様?」
初めて聞く名前に、イザベルは聞き返す。
(アレックス様に〝サラ〟という名前の親族はいないはずだけど?)
「サラ様ってどなた? メイド長の名前でもないわよね?」
不思議に思ったイザベルは問い返す。
「サラ様は──」
エマが話し始めたそのとき、壁際の置時計がゴーンと鳴る。エマはその音に、ハッとしたような顔をした。
「申し訳ございません、奥様。時間ですので」
「あっ、そうね」
まだまだ聞きたいことはたくさんあるけれど、無理に引き留めて仕事が遅れたらメイド長から怒られるのは彼女なのだ。イザベルは、ここは大人しく失礼したほうがいいと判断した。
「色々お話しできて楽しかったわ。ありがとう、エマ」
お礼を言うと、エマが驚いたように目を見開いたような気がしたは気のせいだろうか。
長居して邪魔してはいけないと、イザベルはすっくと立ちあがりメイド控室をあとにした。
(少しだけ話が聞けてよかったわ。あとは……)
イザベルは最後に、ルイスの部屋に向かった。
ルイスを真っ当な人間にして幸せな人生を送らせるには、彼自身とも良好な関係を築いておくべきだと思ったのだ。
それに、ルイスを近くで見ていれば、彼の些細な変化にも気付ける はずだ。
ルイスの部屋の前に着くと、イザベルはトントントンとドアをノックする。
暫くして少し開いたドアの合間から、中年のメイドが顔を出した。
「お、奥様!?」
イザベルがいるとは思っていなかったのか、そのメイドはギョッとした顔をした。
(みんなして人を化け物みたいに……)
間違えて山から人里に下りてきてしまった熊にでもなった気分だ。
イザベルは引きつりそうになる顔に必死に笑顔を浮かべ、恐怖を与えないよう努める。
「ごきげんよう。ルイスはいる? 天気がいいから、一緒に散歩でもどうかと思ったの」
「ぼ、ぼ、ぼ……」
「ぼ?」
(ぼって何かしら?)
不思議に思ってメイドをじっと見つめると、顔を青くしたメイドがガバッと頭を下げる。
「申し訳ございません!」
「へ?」
突然の行動にイザベルは呆気にとられる。
「坊ちゃんは今、気分がすぐれないようで──」
「えっ、そうなの? 大変だわ。風邪を引いたならすぐに医師を──」
びっくりしたイザベルはメイドを押しのけて部屋に入ろうとする。しかし、バシッと腕を伸ばしたメイドによってそれは阻まれた。
「坊ちゃんの世話は私達でできますので大丈夫です!」
「でも、顔だけでも──」
「いいえ! 奥様に風邪がうつったら一大事でございます。ここは私達に任せて、奥様はお部屋にお戻りください」
ぴしゃりと断られると、それ以上は踏み込みにくい。
(体調が悪いなら、なおさら顔を見たかったわ。軽い風邪ならいいのだけど──)
しかし、これ以上ゴネて体調不良のルイスの部屋を騒がしくするのもよくないだろう。イザベルは仕方なく、引き下がることにした。
「わかったわ。何かあればすぐに言って」
「か、かしこまりました」
メイドは視線を泳がせ、頭を深々と下げる。
(そんなに怖がらなくても、取って食ったりしないのに)
とは言え、以前のイザベルならこの些細なやりとりにすら逆上して鞭を持ち出しただろう。釘を刺してある棍棒を持ち出して、このメイドの顔を殴ったとしても不思議はない。
〝悪虐継母イザベル〟は、とにかく残忍なのだ。
イザベルは仕方なく、とぼとぼと部屋をあとにする。
背後のドアがバタンと閉まった、そのときだ。
「あら……?」
立ち止まり、耳を澄ます。ルイスの部屋から、先ほどのメイドとは別の若い女性の話し声が聞こえた気がしたのだ。
(気のせいかしら?)
もしかしたら、メイド二人体制で看病しているのかもしれない。
(明日には元気になるといいのだけど)
イザベルは気を取り直すと、今度こそ部屋へと向かって歩き始めた。
◇ ◇ ◇
職場で仕事に集中していたアレックスは、ふと時計を見る。既に、時刻は夜の十時を過ぎていた。
「もうこんな時間か」
そろそろ屋敷に帰らなければならない。だが、気が進まない。
(屋敷に帰るのが、憂鬱だ)
アレックスがそんな風に思うようになったのは今から一週間と少し前、新しい妻であるイザベルを迎えてからだ。