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アレックスは、そんなイザベルの複雑な気持ちに気付いたようだ。
「もしイザベルが気になるなら、彼女については情状酌量の陳情書を出すといい。それに、彼女の妹に私から古傷を消す魔法薬を贈ろう」
「……っ、ありがとうございます」
イザベルはパッと顔を上げる。
アレックスの心遣いが、とても嬉しかった。
アレックスはイザベルを見つめ、表情を和らげる。
「──それで、何に悩んでいたんだ?」
「え?」
「何かに悩んでいて、眠れなかったんだろう?」
アレックスに尋ねられ、イザベルは言葉に詰まる。
この世界はゲームの世界で、イザベルはルイスに殺される運命にある。それを回避しようと頑張っているけれど、本当にこれでいい方向に進んでいるのか分からなくなる。
本当はそう相談したいけれど、信じてもらえるはずがない。
黙り込んでいると、頭に優しい手が触れた。アレックスがイザベルの頭を撫でたのだ。
「言いたくないなら言わなくてもいい。だが、きみは本当によくやってくれている。色々とあったが、アンドレウ侯爵家が上手くいっているのはきみのおかげだ。心から感謝している」
「そんなことは──」
むしろ、イザベルが来たせいで色々といざこざが起こったのではないだろうか。
アレックスは「そんなことはない」と首を横に振る。
「これを、きみに」
アレックスはポケットから、先ほどドールから受け取った何かを取り出してイザベルの前に置いた。
「これって──」
それは、筆記用具や鍵などがぶら下がった〝シャトレーヌ〟と呼ばれるアクセサリーだった。腰にぶら下げるキーホルダーのようなもので、これを持つことは即ちその屋敷の女主人であることを表す。
アレックスが置いたシャトレーヌには、軸となる金属部分に宝石とアンドレウ侯爵家の家紋が入っていた。
「もうずっと前から、いつ渡そうかと悩んでいたんだ」
イザベルは困惑する。
たしかに女主人としての役目を果たそうと日々努力してはいたが、アレックスにとってイザベルは仕方なく娶っただけの存在のはず。
これを受け取っていいのか、考えあぐねていたのだ。
「わたくしが持っていていいのですか?」
「もちろんだ。俺はきみに持っていてほしい。ルイスもきみのことを、本当の母親のように慕っている」
(ルイス……)
今日の日中、イザベルのほうへ駆け寄ってきて「おかあさま!」と抱きついてきた可愛らしい姿が脳裏に蘇る。
イザベルの思い違いでなければ、アレックスが言ってくれている通りルイスはイザベルのことを本当の母のように慕ってくれていた。
(そうよ。ルイスを立派に育て上げるって誓ったじゃない)
イザベルは心の中でこれまでのことを反芻する。
自分の命が惜しくてこの屋敷を逃げ出すことは簡単だ。けれど、その後に起きる未来を知って後悔するのは絶対に嫌だった。
なら、イザベルがやるべきことはひとつだけ。
みんなが幸せになれるように、努力するのみだ。
「アレックス様、ありがとうございます。これ、お受け取りします」
イザベルはシャトレーヌを手に取り、両手で握り締める。
ふとアレックスの手が頬に触れ顔を上げる。
「ぐっ!」
「え? アレックス様、大丈夫ですか!?」
顔を上げたらすぐそこにアレックスの顔があり、イザベルの頭が彼の顎に見事にクリーンヒットした。
アレックスは痛みに耐え、顎を片手で押さえる。
「だ、大丈夫だ」
「申し訳ございません。そこにいると思わず」
「いや、いい。俺が先走った」
アレックスは元の位置にきちんと座り直すと、ゴホンと咳ばらいをする。
イザベルはそこでようやく、彼が自分にキスをしようとしていたのだと気づいた。
強打した顎だけでなく頬まで赤くなっていて、イザベルはふふっと笑う。
「アレックス様」
「なんだ?」
アレックスはちらっとイザベルを見る。
「これからもよろしくお願いします」
アレックスは一瞬虚を衝かれたような顔をしたが、すぐにふわっと笑う。
「ああ、よろしく」
これからどんな未来が来るかわからない。
けれど、大切なこの人たちを幸せにしてあげたいと思った。
(第一部 了)
これにて第一部終了です。ここまでお付き合いいただきありがとうございました!
第二部開始までしばらくお時間いただきます。
また、本作品の書籍化が決定いたしました!
皆さんの応援のおかげです。本当にありがとうございます。詳細については続報をお待ちください。