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テーブルに並べられたクッキーをもぐもぐと頬張るルイスの姿を見つめ、イザベルは相好を崩す。
(ふふっ、今日も可愛い!)
ほっぺたがぷっくりと膨れているのがまるでリスのようで、可愛いが溢れている。
「おかあさま。きょうはおとうさまかえってくる?」
ふと、クッキーを食べていたルイスがイザベルを見る。
「きっと帰ってくるわ」
「じゃあ、おとうさまに一まいとっておいてあげる」
ルイスは皿に盛られたクッキーを一枚小皿に取り分けると、メモ用紙に最近すっかり上手になった文字で『おとうさまへ』と書く。
「お父様、きっと喜ぶわね」
「うん」
ルイスは嬉しそうに笑った。
アレックスがここ最近忙しくしているのは、二カ月前に起きたイザベルとルイスの誘拐未遂事件が原因だ。
あの日、崩れ落ちた建物の下からは、ルーン子爵が雇ったならず者が三人と、イザベルを騙して西門まで連れ出した女官が見つかった。全員が少なからず大怪我を負っており、一番の重傷者は骨がバキバキに砕けて瀕死の状態だったという。
王宮内で王太子ミゲルと遊んでいた友人とその母親が誘拐されるという前代未聞の事件。事態を重く見た国王は、この件の捜査を通常の警邏騎士ではなく自らの直轄である近衛騎士にするように命じた。
現在は、裁判に向けた証拠固めを行っているところで、あの現場に居合わせたアレックスも度々呼び出されているのだ。
(アレックス様、最近お顔を見ていないな……)
アレックスは時折屋敷に戻ってきてはいるようだが、深夜に帰宅して早朝には出てしまうのでイザベルは顔を合わせていない。
毎日のように食事を共にして、夜はその日の日中にあったことやルイスのことなどを話をしながら過ごしていたからだろうか。アレックスが重度のワーカホリックだったときの生活スタイルに戻っただけなのだが、なんだかとても寂しく感じた。
その日の晩、改めてグラファンの設定について読み返していたイザベルはふとあることに気付いた。
「レオンは幼少期に誘拐されている?」
未来の最強の天才騎士団長であるレオン。名門騎士家系であるマルチネス侯爵家の嫡男で、父も騎士団長だ。
グラファンではレオンについて、『幼少期に誘拐事件に巻き込まれたことをきっかけにより正義感が強くなり、辛い訓練にも弱音を吐かずに取り組んだ』とされていた。
ただ、何歳の時に誰に誘拐されたのかという詳しい情報は公開されていなかった気がする。
(もしかして、今回の件がその誘拐事件?)
胸の鼓動がドクドクと大きくなる。
以前、アレックスが魔法銃で撃たれたときもそうだった。イザベルというゲーム設定とは違う動きをする人間がいるにもかかわらず、イベントはしっかりとやって来た。
となると、ルイスがヒロインに出会うのは必然で──。
「……ヤンデレルート、ちゃんと回避できているのかしら?」
心の奥底から、不安が込み上げる。
自分がしていることは全て無駄で、結局はルイスに恨まれて殺される運命なのではないか、そしてルイス自身も破滅してしまうのではないかと思ってしまうのだ。
そのとき、屋敷の門が開く音がしてイザベルはハッとする。
窓の外を見ると、馬車にぶら下がったランタンの光が見えた。
「アレックス様だわ」
パタンとノートを閉じるとガウンを羽織り、足早に廊下を歩く。
階段の上から見えた玄関ホールでは、ちょうど家令のドールがアレックスを出迎えているところだった。
「アレックス様」
「イザベル。まだ起きていたのか」
アレックスは階段を降りてくるイザベルに気付くと、表情を和らげる。
「こんな時間まであなたが起きているのは珍しいな」
「色々と考えてしまい、なかなか寝付けなくて」
「それは困ったな。少し一緒に飲むか?」
「喜んで」
イザベルは頷く。
「では、リビングに行こう」
アレックスはドールに目配せして何かを受け取ってから、イザベルをリビングルームに誘った。