(70)
「なぜきみがこんなところにいる?」
アレックスは険しい表情のままサラに問いかける。
そのとき、崩れ方の激しい辺りの瓦礫がガタッと揺れたのに気づき、アレックスはヒュッと息を呑む。
「そんなの、この男に騙されたに決まってるじゃない! ルーン子爵はご息女のことでアレックスを恨んでいて、イザベルさんと共謀して悪さしようとしていたのよ。それを知った私は──」
一気に捲し立て始めたサラのすぐ脇を、アレックスは走り抜ける。瓦礫の合間から女性の手首が見えたのだ。さらに、その指にはアレックスとペアの指輪が嵌っている。
「イザベル!」
駆け寄って手を握るとその手は温かかった。
(生きている!)
アレックスはすぐに魔法で瓦礫をどかす。
そこには、ルイスを抱きしめたまま気を失っているイザベルがいた。アレックスはふたりを両腕で抱きしめる。
イザベルの長いまつ毛が揺れた。
「……ん、……アレックス様?」
「イザベル! よかった!」
体中が埃にまみれているが、見る限り大きな怪我はなさそうに見えた。それに、ルイスも気を失ってはいるものの呼吸はしている。
(よかった……)
アレックスはイザベルをぎゅっと抱きしめる。
「おい、アンドレウ卿! 私のことも助けてくれ! 早く! 足の感覚がないんだ」
背後でルーン子爵が叫んでいたが、アレックスは無視した。
見る限り大きな出血や骨折などはなさそうで、アレックスはホッとする。しかし、すぐに彼女の手首に不自然な傷痕があることに気付いた。両方の手首に、まるでブレスレットのようにくるりと一周真っ赤になって皮がむけている。
「この手首はどうした? 俺には縛られた痕に見えるが──」
アレックスの声が一段低いものになる。
アレックスはイザベルとルイスを安全な場所に移し、サラのほうを見る。
「サラ。きみはルーン子爵とイザベルが共謀して何かをしでかそうとしていると言っていたな? では、なぜイザベルは縛られていたんだ?」
「そ、それは──」
サラの顔色が青くなる。
「きっと、何か原因があって仲間割れしたんじゃないかしら?」
「へえ、仲間割れね」
アレックスは相槌を打つ。
「では、イザベルはルーン子爵と共謀して俺に何をしようとしていたのだろう?」
「きっと、ルイスを亡き者にしてアンドレウ侯爵家を我が物にしようとしていたのだわ」
「ルイスを亡き者にして──」
「そうよ! その証拠に、ルイスを連れているわ」
サラは悪びれる様子もなく言う。
(嘘だな)
絶対の自信をもって、言い切れる。
イザベルはルイスを心から可愛がっていた。ルイスを殺してアンドレウ侯爵家を乗っ取ろうとなんて頭の片隅にすら考えていないだろう。
そのとき、「でたらめを言うな!」と声がした。瓦礫に挟まったまま動けなくなっているルーン子爵だ。憤慨していて、顔は真っ赤になっていた。
「ルイスを殺そうとしていたのはお前だろう! 私はルイスを引き取ろうとしていたんだ! それよりも、さっさとこの石をどけてくれ!」
ルーン子爵が叫ぶ。
「でたらめはそっちでしょう! 悪者になりたくないからって嘘ばっかり言わないで!」
今度はサラがルーン子爵に言い返す。
その様を、アレックスは冷ややかに見つめた。
(愚かすぎて、見るに堪えないな)
王宮にいたはずのイザベルが何者かに連れ去られ、門の衛兵の買収と口封じに魔道具が使われた。そこから判断するに、今回の一件には金に余裕があり王宮に出入りが許された人間、すなわち貴族が関わっているのは間違いがない。
この状況から判断するに、その〝関わっていた貴族〟はルーン子爵だろう。
では、サラはなぜここにいるのか?
つい先日聞いたサラがルーン子爵に接触しようとしているという情報。
それに、以前イザベルとルイスをわざと魔獣のいる場所に行かせて危険に晒したという事実。
極め付きに、イザベルとルイスが誘拐された現場に居合わせたサラは一切拘束されていなかった。仲違いをしたに違いないと彼女が主張するイザベルは縛られた形跡があるのに、だ。
これらを総合的に考えると、ルーン子爵を唆して犯行を実行させた人間こそが、サラなのだ。
(彼女はこんな人間だっただろうか?)
幼い日に遊んだサラは、純粋でよく笑う女の子だった。
いつまでもそのときの印象が抜けずにこんな歳になってしまったが、いつのころからか、サラはアレックスの知る彼女ではなくなっていたのに気づいていなかった。
今思い返せば、幼馴染だからと安易に屋敷に出入りすることを許していたのが間違いだったのだ。
「ねえ、アレックス。信じてくれるでしょう?」
サラはアレックスの胸に縋りつき、上目遣いに窺う。
その瞬間、激しい嫌悪感を覚えた。
「俺に触れるな」
「……アレックス?」
上着に縋りつく手を振り払うと、サラは衝撃を受けたように大きく目を見開く。
「サラ、俺がきみのことを信じるとでも?」
「だって、本当だもの」
「話にならない」
アレックスは冷ややかな目で彼女を見返すと、彼女を押しのけた。