(69)
(どういうこと? ルーン子爵はルイスを傷付けるつもりはなかったけれど、サラさんが暴走した?)
イザベルはなおも言い争いの内容を聞こうと、耳を澄ます。
「おかあさま」
「しっ! 静かに」
「おかあさま──」
イザベルは二度呼ばれて振り返る。そこには、感情の消えた表情をしたルイスが立っていた。
そして、部屋の奥ではレオンが「なにか剣のかわりになるものはないかな」と言いながら、箱を開けては中身を確認している。
「おかあさまのてくび、けがしてる。あいつらがやったの?」
「え?」
「それに、くちびるも!」
イザベルに尋ねるルイスの表情が普段見ないような険しさで、イザベルは戸惑う。
「ちょっと怪我しただけよ」
「ちょっと? たくさんちがでてるよ?」
ルイスは今さっき魔法で切った縄を見せる。結んで手首に当たっていた辺りに血が付いていた。
「あら、本当だわ。気が付かなかった」
イザベルは自分の手首を見る。
外そうともがいたせいで、縄に沿って一周、手首の皮がむけて血が出ている。
「あいつら、よくもおかあさまを──」
怒りに満ちた呟きが聞こえ、イザベルは鳥肌が立つ。背筋にぞくっとしたものが走った。
窓のない閉め切った屋内なのに、風が吹いてカタカタとドアを揺らす。
(これって、魔力暴走!?)
ルイスが魔力暴走を起こすのを何度か見たことがあるが、今のこれはまさにそれに見えた。
イザベルはハッとしてルイスを抱きしめる。
「落ち着いて、ルイス。お母様はだいじょうぶだから」
「ぼくのおかあさま、たいせつなひとなのにきずつけた!」
いつもなら抱きしめれば止まるのに、今日は全く効果がない。レオンが異変を感じてきょろきょろしているのが見えた。
「レオン! 危ないから箱に入ってふたを閉めて!」
レオンがはっとしたように箱に飛び込み自分で蓋をする。次の瞬間、ドーン! と轟音が鳴り響き天井が崩れ落ちてきた。
◇ ◇ ◇
イザベルが持っていたお守りが落ちていた。
ということはイザベルは間違いなくここに来たということで、さらに今彼女はお守りを持っていないのだから身を護る術がないということだ。
アレックスは眉間に深いしわを寄せ、意識を集中させる。
(どこだ。どこにいる?)
スラン最高峰の魔法機関である魔法庁の長官であるアレックスは、スラン一の魔法使いであると言っても過言ではない。
そんな彼を以てしても、どこにいるのか全く見当がつかない人物を探索魔法で捜し出すのは至難の業だった。
せめて方角か距離だけでもわかればそのあたりに意識を集中させることができるのだが、それすらもわからない。まさに、大海原に落ちた小石を捜すかのような作業なのだ。
既に知らせを受けたレオンの父親率いる騎士団が王都全体の捜索を開始したが、見付けるのが難しいのは彼らとて同じ。
一刻も早く、少しでも手がかりを得たかった。
(だめだ、見つからない。せめて、ルイスが魔力を大量放出してくれれば──)
そう思ったそのとき、意識の端に魔力の揺らぎを感じた。大きく膨れ上がり、一気に爆発する。
(見つけた! これはルイスの魔力か? 魔力暴走しているのか!?)
一刻も早く駆けつけなければ。
「ゴジョ殿! 見つけた。西に7.2キロだ! 俺は先に行く」
アレックスはゴジョにそれだけ告げると、転移魔法でルイスの元へ向かったのだった。
転移先でまずアレックスの目に入ってきたのは、崩れ落ちた建物だった。
(これは? まさか、ルイスの魔力暴走で?)
すーっと背筋が冷たくなる。
石レンガ造りの建物が無残に崩れ落ちている。特に、アレックスから見て右側の損壊が激しかった。
もしこの下敷きになっているとしたら……。
最悪の結末が脳裏を過り、アレックスは首を振った。
「ルイス! ルイス、どこだ!?」
アレックスは叫ぶ。
先ほどあんなにも大きく感じたルイスの魔力が、今は全く感じられない。
返ってこない返事に焦りが募る。
「ルイス! レオン! イザベル!」
声の限り叫んだそのとき、比較的被害が少ない辺りから「助けてくれ……!」と呼ぶ声がした。
アレックスはハッとして声のほうへ走り寄る。
そこに倒れている人物を見てすーっと頭から冷や水を浴びせられたような感覚に襲われた。
「アンドレウ卿! いいところに来た。助けてくれ!」
下半身を瓦礫に挟まれて助けを呼ぶのは、ルーン子爵だ。
「どうしてあなたがここに?」
アレックスは凍てつく目で彼を見下ろし、冷ややかに尋ねる。
「そんなことより助けてくれ」
「質問に答えろ!」
「わ、私はルイスを助けようとしたんだ。あの女がルイスを誘拐しようとしたから助けようとしていたら、突然建物が──」
「そんな出鱈目は聞きたくない。お前がイザベルとルイス達を誘拐したのか?」
「ち、ちがっ」
そのとき、視界の横からアレックスのほうに勢いよく人影が近づいてきた。
「アレックス! 助けに来てくれたのね!」
「……サラ?」
サラは瓦礫の埃まみれになっており、ところどころ擦りむいていた。さらに、頬は涙で濡れている。