(64)
「ルイス。それはしばらく秘密にしておきましょうね」
「ひみつ? どうして?」
「だって、国王陛下が発表したときにみんな初めて知る方が、びっくりして面白いでしょう?」
「そっか、そうだね。ぼくひみつにする!」
ルイスは少し考えるような顔をしてから笑顔で頷く。
「さあ、そろそろわたくし達もお出かけの準備をしましょうね」
「うん! ポーくん連れて行ってもいい?」
「もちろん、いいわよ」
イザベルが微笑むと、ルイスは嬉しそうにはにかむ。
イザベルはルイスと手を繋ぐと、階段を上って私室のある二階へ向かったのだった。
◇ ◇ ◇
王宮の一画に、子供達の楽しげな声が響く。今日も子供達は元気いっぱいだ。
「あら、ミゲル殿下はいつの間にか高く登れるようになったのですね」
ジェシカが驚いたような声を上げる。彼女の視線の先にいるミゲルは、のぼり棒のてっぺんで棒にしがみついていた。 隣ののぼり棒の中腹あたりでは、ルイスがもっと上に上がろうと必死に格闘している。
「レオンに負けたのが悔しかったようで、毎日のように鍛錬しておりました」
「まあ!」
ゴジョが暴露した秘密に、ジェシカは目を丸くしてくすくすと笑い出した。
未来の天才騎士団長であるレオンはさすがに幼少期から運動神経が抜群で、運動系のことなら何をやらせてもすぐにできてしまうのだ。
「おい、ゴジョ! かってにひみつをばらすな!」
陰で努力していたことをばらされたのが恥ずかしかったようで、下に降りてきたミゲルは顔を真っ赤にしてゴジョに抗議する。
イザベルはそのやり取りを見てふふっと笑った。
「あら、殿下。目標に向かってコツコツと努力できるのは、素晴らしいことですよ。簡単なようで、なかなかできることではありません。殿下のその姿勢、とても素敵だと思います」
「そ、そうか?」
ミゲルは褒められると思っていなかったようで、気恥ずかしそうな様子だ。
「ええ、そうですとも。殿下は努力家でいらっしゃいますね」
さすがは乙女ゲームの正規ルート攻略対象者! とイザベルは心の中で付け加える。
グラファンの中のミゲルは常に人に優しく、ときに厳しく、自らを律して率先垂範するような理想的な王太子だった。まさに、前世の世界の人々が想像する〝理想の王子様〟である。
「それほどでもないが」
ふいと目を逸らされてしまった。顔がまだほんのりと赤いので、褒められて照れているのだろう。
(可愛い! 抱きしめたい!)
しかし相手は子供とはいえ王太子。好き勝手に抱きしめたりしたら不敬とみなされてしまうかもしれない。
イザベルは持って行きようのない両手をぎゅっと握りしめ、この可愛らしさに悶絶する。
すると、ふとドレスを引っ張られているような感覚がした。下を向くと、ルイスが頬を膨らませている。
「ぼくもまいにちれんしゅうする! おやしきにあれつくって!」
イザベルは目をぱちくりとさせ、思わず笑みを漏らす。イザベルがミゲルを褒めたので、嫉妬したのだろう。
イザベルはその場にしゃがむと、ルイスと目を合わせる。
「ええ、いいわよ。今夜、お父様にも相談してみましょうね。ルイスは頑張り屋さんで偉いわね」
にこっと微笑んで告げると、ルイスは目をぱちくりとさせてから少し気恥しそうに「うん」と頷く。
(可愛い! 可愛い! 可愛いー!)
ルイスは自分の息子なのだから抱きしめても許されるだろう。
イザベルはぎゅっとルイスを抱きしめる。イザベルの髪の毛が顔に当たってくすぐったかったのか、ルイスは小さく笑いを漏らした。
(うーん、幸せ……)
悪虐継母に転生したと知ったときはどうなることかと不安しかなかったが、こんなに可愛い子供に懐かれて何不自由ない生活を送り、幸せとしか言いようがない。まさに、天使だ。
ルイス達はその後も屋外の遊び場で元気に遊ぶ。イザベルはその様子を微笑ましく思いながら、見守った。
三十分くらい経っただろうか。ふと、ひとりの女官が近づいてきてイザベルに声を掛けた。
「アンドレウ夫人。バルバラ様より、至急の用件があるのですぐに会いたいと」
「大奥様から?」
イザベルは驚いて聞き返す。これまで、バルバラから至急の呼び出しを受けたことなど一度もなかった。
(もしかして、アンドレウ侯爵家に関係する何か重大な事案が発生したのかしら?)
アレックスは出勤、ルイスは今ここにいるのだから、このふたりに関する以外のことだろう。
(グラファンの設定に何かあったかしら?)
思い返すが、ルイスの実家トラブルはアレックスの事故死以外だとイザベルのぶっ飛んだエピソードしか記憶にない。
「わかったわ。バルバラ様はどこに?」
「応接室にいらっしゃるので、ご案内します」
女官が歩き出そうとしたそのとき、ジェシカが「あら、イザベル様。どこか行かれるの?」と尋ねてきた。
「大奥様が急用があるらしくって、今ここにいらしているみたいなの」
「バルバラ様が?」
ジェシカも驚いた様子だ。
「何かしら? 心配ね」
「ええ。王宮の応接室にいらっしゃるみたいだから、ちょっと会いに行ってくるわ」
「ええ、わかったわ。ルイスは見ておくから心配しないで」
「ありがとう」
心配そうな顔をするジェシカにお礼を言うと、イザベルはその場をあとにしたのだった。