(7)
思い立ったら善は急げ。
イザベルは翌日、早速行動を開始することにした。だが、クローゼットを開けて、早速ため息を吐く。
「なんでこんなどぎつい色合いのドレスしかないのよ……」
薄々気づいてはいたが、イザベルのドレスにはいわゆる〝清楚系〟がない。
なるべく圧迫感を与えない格好をして悪役イメージ払しょくを図ろうと思ったのに、最初のドレス選びから躓きそうだ。
クローゼットをくまなく探してなんとか一番落ち着いた色合いのドレスを着ると、イザベルは家令のドールの部屋に向かった。
イザベルが訪問したとき、ドールは執務机に向かって何かの資料を読み込んでいた。壮年の彼の、すっかりと禿げ上がった頭頂部がドアの隙間から見える。
「ごきげんよう」
「奥様? いかがなさいましたか?」
イザベルを見たドールは黒い目を訝しげに細める。結婚して一週間以上経つのに一度も訪ねてこなかった女主人──イザベルが突然やって来て不審に思っているのがありありと感じられた。
「何かメイド達の仕事に問題がございましたか?」
ドールはイザベルを見つめ、慇懃な態度で問いかけてきた。
(そんなに警戒しなくても……)
女主人が家令のもとを訪ねるなんて至極自然なことなのに、メイド達の仕事への不満を言いに来たのだと警戒されてしまうなんて。なんという信頼のなさ!
「旦那様にお会いしたいの」
「折を見てお伝えします」
「折を見て、じゃ遅いわ。今夜会いたいの」
イザベルは少しだけ強めに言う。
ふんわりとした言い方ではアレックスには会えない気がしたのだ。なにせ、新婚だというのにこの一週間、彼は一切イザベルと接触しようとしなかったのだから。
沈黙するドールに、イザベルは再び話しかける。
「ねえ。旦那様は毎日、帰って来てはいるんでしょう? なら今夜、旦那様が帰ったらわたくしのところに来るように伝えて。命にかかわるかもしれないのよ!」
「命ですと?」
ドールはさっと顔を青くする。
命にかかわる、という脅し文句が効いたようだ。
「そう、命よ」
(このまま放っておいたら旦那様は事故死するから嘘じゃないわよね)
じっとドールを見つめると、彼は視線を彷徨わせてからハアッと息を吐いた。
「……お伝えすることはできますが、旦那様が奥様のもとを訪れる保証は致しかねます」
「それでもいいわ。とにかく、会って話がしたいと伝えて。とても大事な話なの」
「かしこまりました」
ドールは了解の意を込めて、頭を下げる。
「それと──」
「まだ何か?」
てっきり用件は終わったと思っていたのだろう。ドールの表情が険しくなる。
「この家の状況について教えてほしいの」
「この家の状況と仰ると?」
「色々よ! 使用人は何人雇っているのか。財務状況はどうなっているのか。どんな家門と親しくしているのか。領地経営はどうしているのか。これらは全て、本来は女主人が把握していなければならないことだわ。それなのに、わたくしは何も知らないわ」
貴族の当主に嫁いだ女主人には、様々な役割がある。
その最たるものが、仕事で不在にしている夫に代わり屋敷を運営することと、他の家門の夫人たちとネットワークを築いて夫を陰から支えることだ。
ルイスを立派に育て上げるためには、彼が育っている環境、すなわち屋敷の状況をしっかり把握しておくべきだ。それに、自分がしっかりしなければルイスに悪影響があると思ったのだ。
「仰ることはわかりました。そちらの件についても、旦那様にご相談いたします」
ドールは金属フレームの眼鏡を押し上げ、イザベルを見る。
「これも旦那様案件なの!?」
「私の一存では決められませんので」
ドールはさも当然のように言う。
(こっのー!)
イザベルに丁寧に対応しているように見せて、その実は『アレックスの許可を得るまでは、イザベルにはなんの権限も与えない』と言っているのだ。
(その肝心の旦那様には今夜本当に会えるんでしょうね?)
イラっとして思わず「わたくしはアンドレウ家の女主人よ!」と叫びたい衝動に駆られるが、イザベルはそこをぐっとこらえた。
そんな発言をしようものなら、悪女としての噂を上塗りしてしまうのは間違いない。
しかし、イライラするものはイライラする。
ドールの部屋を出たイザベルは、今度こそはとメイドの休憩用控室へと向かった。
(何もせずに時間が経つのを待っていられないわ。メイドからだけでも、話を聞ければ──)
アンドレウ侯爵家は広いので、雇っているメイドも多い。その中には、イザベルに色々とこの家に関する情報を教えてくれる人もきっといるはずだ。
(えーっと、ここよね?)
イザベルは少し開いたドアの合間から部屋の中を覗く。部屋の中央には六人掛けのダイニングテーブルがあり休憩中の三人の若いメイド達が歓談しているのが見えた。廊下まで、楽しげな笑い声が漏れ聞こえてくる。
(楽しそう。いいな)
常に敵ばかり作ってきたイザベルは、気の合う仲間たちと楽しくお茶をしたことなどなかったように思う。
楽しそうな彼らを羨ましく思いながら、イザベルはトントントンとドアを軽くノックする。
「はーい、どうぞ!」
部屋の中から元気な返事が聞こえてきた。
「ごきげんよう、皆さん」
イザベルはドアを大きく開けて、笑顔で挨拶をする。次の瞬間、部屋の空気がピンッと張りつめた。