❖ 最愛の娘(ルーン子爵視点)
晩婚かつなかなか子宝に恵まれなかったルーン子爵にとって、彼の一人娘──ジゼルは何にも代えがたい宝物だった。
目に入れても痛くはないとはこのことで、娘が望めば何もかも叶えてやった。そして、それが娘に対する愛情なのだと信じて疑っていなかった。
「お父様。わたくし、好きな人ができたの」
娘が十八歳になったある日、突然の告白にルーン子爵は頭を鈍器で殴られたかのように衝撃を受けた。
しかし、ジゼルはルーン子爵の動揺など露にも知らぬ様子で両手を胸の前で組む。
「先日舞踏会でお会いした方なのだけど、とっても素敵なのよ。かっこよくて、魔法が得意で、おまけに侯爵様なんですって! それに、彼ってとっても優しくて素敵なのよ。お酒を飲んでて気分が悪くなったわたくしに『大丈夫か』って声をかけてくれて──」
ジゼルはうっとりした様子で、その男──アンドレウ侯爵家当主のアレックスについて語る。その瞳は夢見がちで、表情は恋に浮かれるように紅潮していた。
「わたくし、あのお方と結婚したいわ。ねえお父様、いいでしょう?」
ジゼルはまるで店で見つけたドレスを欲しがるかのような調子で、ルーン子爵に強請る。
そして、自分の望みが叶わないことなど絶対にないと信じて疑っていないようだった。
◇ ◇ ◇
ルーン子爵は娘の希望を叶えるため、ありとあらゆる努力をした。
最初は手紙を出して『是非、娘を』と伝えたがあっさり断られたので、直々に会いに行った。なお断られても諦めず、何度も彼のもとに通った。
その間に何度かジゼルには彼を諦めるように伝えたが、彼女は頑として首を縦に振らなかった。
「わたくしは彼がいいの! 絶対に彼よ! 他の人に嫁ぐぐらいなら、死んでやるわ」
怒った娘にヒステリックに叫ばれ、ルーン子爵は震えあがった。本当に死んでしまうのではないかと不安だったのだ。
そして、アレックスに「このままでは娘が死んでしまう」と涙ながらに訴えた。
困惑顔のアレックスが「どうして私にそんなにも執着するのか──」と戸惑いながらもジゼルを娶ることに納得したときは、これでジゼルが幸せになれると思った。
ジゼルの様子がおかしくなったのは、ルイスを産んで少しした頃だ。頻繁に届く手紙には『アレックス様が帰ってこないのはきっと浮気しているからだ』『外に女がいる』と恨みつらみが書かれていた。
ちょうどアレックスが魔法庁長官になった時期だったのでルーン子爵は娘を『きっと仕事が忙しいのだ』と慰めたが、ジゼルは『わたくしより仕事を優先するなんて! きっとわたくしを愛していないのだわ』と逆に怒り狂った。
そして、ときを同じくしてジゼルが社交界で派手に遊んでいるという噂も耳にするようになった。
「ルイスはどうしているんだい? 放っておいていいのかい?」
ある日ふらりとひとりで実家に戻ってきたジゼルに心配して声を掛けると、彼女は視線を宙に漂わせる。
「ルイス? ああ、あの子は体が弱くて連れ出せないの。ずっと部屋の中で付きっきりだから、たまにはわたくしが息抜きできるようにと屋敷の人が見てくれているのよ」
「そうかい。それは大変だったね」
「本当に大変。アレックス様は相変わらず夜遅いし! 先日、魔法庁まで文句言いに行ったら逆にわたくしが怒られたのよ? 彼が悪いのに! 信じられないわ」
ルーン子爵には、ひどく怒りながら夫への不満をぶちまける娘の愚痴をただ頷きながら聞くことしかできなかった。
娘の訃報が届いたのはそんな日常が続いていたある日だった。
馬車が土砂崩れに巻き込まれ、遺体はほとんど原型を留めていないという。最愛の娘を最後に抱きしめることすら叶わなかった。
「あなたがもっと娘を大切にしていれば! あなたが殺したようなものだ!」
娘を失った悲しみを全て、アレックスに向けた。
そして、アレックスに娘を嫁がせたことを、心から後悔した。
(絶対に許すものか)
あの男さえ現れなければ、ジゼルは死ななくて済んだのだ。
◇ ◇ ◇
久しぶりに出向いた紳士サロンで、珍しい人に声を掛けられた。
その人──前魔法庁長官は、知人の女性を紹介したいというのだ。なんでも、ルイスのことで大事な相談があるという。
(なぜ今さら?)
訝しく思いながらもその女性──サラ・レガスに会ってみると、彼女は信じられないことを言った。
「アレックスが最近後妻を娶ったのはご存じですよね。アレックスは彼女に心酔していて、ふたりともルイスを蔑ろにしていて──」
話を聞いていて、怒りで目の前が赤くなる。
ジゼルを死に追いやりながら、自分は後妻と幸せに過ごしジゼルの忘れ形見を蔑ろにするとは許しがたい。
「それは本当だな?」
「もちろんです。こんなこと、嘘をついても何の得にもならないわ」
「そうか。わかった」
あの男にルイスは任せられない。
そう思ったルーン子爵は、アレックスの留守を狙ってアンドレウ侯爵家を訪問した。出迎えたアレックスの後妻──イザベルは噂通りに美しい女だった。その事実が、また彼を苛立たせる。
ジゼルが亡くなってまだ三年しか経っていないのに、美しい後妻を娶り楽しくやっているとは。
ルーン子爵はなんとしてでもルイスを連れ帰ろうとしたが、あえなくそれは失敗した。
悶々としていた折、信じられない話を聞いた。
「ルーン卿、お孫さんがミゲル殿下の側近に選ばれたとか。おめでとうございます」
晴れやかな笑顔でそう告げた男性に、悪気はないのだろう。しかし、ルーン子爵は激しい憤りを感じた。
(ルイスがミゲル殿下の側近だと?)
ひとり息子が王家に寵愛され、あの男は称賛されるのだろうか。許せないという感情だけが、体の中に渦巻く。
娘を自分から奪ったあの男が憎い。
ルーン子爵を今突き動かしているのは、アレックスに対する憎しみだけだ。
(娘を殺したあいつを、幸せになどさせるものか)
アレックスは一生、ジゼルを不幸にしたことに懺悔しながら生きるべきなのだ。
幸せになど、絶対にさせない。
(一番大切なものを奪って、お前にも同じ苦しみを味わわせてやろう)
ルーン子爵は今も屋敷の壁に掛けられたままのジゼルの肖像画を見つめ、口元に笑みを浮かべた。
ルイスの執着癖は母親譲りです