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「たしかに魔法の教育はスラン国立魔法学校が我が国で一番有名だ。だが、スラン王立学園は国一番の総合学校であり、魔法に関しても優秀な先生が沢山いる。きちんと学べば大丈夫だ」
ルイスが魔法をしっかり学べなくなることを心配しているのだと思ったアレックスは、イザベルに説明する。
「それはそうなのですが──」
イザベルは、どこか困ったような顔をする。
「幸いにして、学園に入学するまでにはまだ数年の猶予がある。もしルイスの入学時期になってもまだスラン国立魔法学校に行かせたいという意思が固いようなら、また相談してくれ」
「はい。そうですね」
国王の言葉に、ようやく納得したようにイザベルは頷いたのだった。
◇ ◇ ◇
その日の夜、イザベルは自分の部屋にある机の鍵を開けると、大事にしているノートを取り出した。
このノートは、記憶を取り戻して以来、グラファンの設定やイベントを思い出してはコツコツとしたためていたものだ。
「えっと……あった!」
イザベルはパラパラとノートを捲り、目的の記載を見つけると手を止める。
思った通り、グラファンのヒロインが攻略者たちと出会うのはいずれのルートでもスラン王立学園の中でだった。
グランハート・ファンタジアは平民として育ったヒロインが実は行方不明だった伯爵令嬢であると判明して引き取られるところから始まる、乙女ゲームだ。
攻略対象者は王太子、大神官、次期伯爵、天才騎士団長、天才魔術師の五人。そして、現時点で王太子ミゲル、天才騎士団長レオン、天才魔術師ルイスの三人が既にイザベルの周りに揃っている。
(スラン王立学園に入学したら、きっと残るふたりもいるのよね?)
そして、恐らくヒロインもそこにいる。
イザベルの努力もあって、今のところルイスに病的なヤンデレ要素は見られない。時々独占欲を見せることはあるが、言って聞かせれば落ち着くのでそこまで心配はしていない。
(でも、ヒロインに出会ったら──)
乙女ゲームのヒロインにどんな強制力があるのか、イザベルには想像もつかない。
もしかすると、彼女に出会うことでルイスが元の設定どおり犯罪者もびっくりなヤンデレ男になってしまうのではないかと思うと、心配でならなかった。
だからこそ、ヒロインとできるだけ接触しないようにスラン国立魔法学校に行かせたらどうかと思っていたのだが──。
イザベルはハアッと息を吐く。
冷静に考えて、ミゲルの側近に選ばれるというのはとても名誉なことだ。今日の日中、国王はジェシカにもレオンを側近に考えているのでマルチネス侯爵と近日中に謁見の場を設けると伝えていた。
今の三人はまるで親友のように仲がいい。きっと、側近としてふたりはミゲルを立派に支えていくことだろう。
そうは思うものの──。
(でも、攻略者が五人揃ったところにヒロインが現れたら、五人で彼女を奪い合うわけで。そうしたらルイスはヒロインに執着するようになって、結果的にヤバい男に──。挙句の果てに、ヒロインと結ばれた攻略者に殺されるんでしょ?)
ぐるぐると同じことが頭を巡る。
「あー、もう!」
頭をぐしゃぐしゃとしていると、「イザベル、どうした?」と近くで声がした。驚いたイザベルが声のほうを見ると、部屋の入り口近くにアレックスが立っており訝しげに彼女を見ていた。
「夕食のときも元気がないように見えたから、様子を見にきた。ノックしても一向に返事がないから……。ひどく悩んでいるように見える。どうしたんだ?」
アレックスはイザベルのもとに歩み寄ると、彼女の顔を覗き込む。その瞳には心配の色が見えて、イザベルは胸元でぎゅっと手を握った。
夕食はルイスもいるのでいつもと変わらないように過ごしていたつもりなのに。
(アレックス様はお優しいわね)
彼はいつもイザベルのちょっとした変化に気付き、心配してくれる。
「なんでも……ないんです」
「なんでもないようには見えない。何かを心配して苛立っているように見えた」
「…………」
イザベルは黙り込む。
(どうしてわかるの?)
アレックスはグラファンの設定について何も知らない。それなのに、まるでイザベルの考えていることを見透かしているかのように優しくされると、つい弱音を吐いて頼ってしまいたくなる。
(でも、だめよ)
アレックスは転生者ではない。もしイザベルが前世の話をしたとしても彼を困惑させてしまう。
「本当に……なんでもないんです」
俯き加減に呟くと、視界の端にアレックスのルームシューズが映る。頬に触れられてハッとして顔を上げると、アレックスはやるせなさを湛えた表情でイザベルを見つめていた。
「私はきみにとってまだ、夫と認めるに足らない気の利かない朴念仁のままか?」
「え?」
突然の問いかけに、イザベルは戸惑う。
『夫だなんて認めない』
『気の利かない朴念仁』
どちらも、初夜にイザベルがアレックスに対して言った台詞だ。
「そんなこと──」
「ならば、悩んでいることがあるなら相談してほしい。私はそんなに頼りないか?」
頼りないだなんて、思っていない。むしろ彼にはいつも助けられている。
周囲から嫌われ者、かつ、勝気なイザベルがここまで平穏に結婚生活を送っていられたのは、ひとえにアレックスが穏やかで寛容な性格をしていたからこそだ。
けれど、前世のことは話せないと思った。
話しても笑い飛ばされるのが関の山なのだから。
アレックスを見つめたまま何も言えずにいると、彼はイザベルから目を逸らしてゆるゆると首を振った。
「すまない。きみを困らせるつもりはなかったんだ」
アレックスは少しイザベルと距離をとると、彼女を見つめてふっと微笑む。
「今日は疲れただろう。おやすみ」
「はい、おやすみなさいませ」
アレックスの表情がどこか寂しげに見えたのは、気のせいだろうか。
彼が部屋から出て行き、パタンとドアが閉まる。
(この部屋って、こんなに静かだったかしら?)
ひとりぼっちで過ごす夜なんていつものことなのに、なぜか今日はこの静かさがとても寂しく感じた。