(56)
ルーン子爵の突然の来訪から数日が経った。
久しぶりの休日、アレックスは貴族向けのサロンに向かう。
店の中に入るとすぐに「アレックス!」と明るい呼び声がした。
こちらを見つめて片手を振るのはサラだ。アレックスはサラのほうに近づくと、テーブルを挟んで彼女の反対側に座る。
「久しぶりね。今日は誘ってくれて嬉しいわ」
サラはにこにこしながらメニューを広げる。
「この新作がとっても美味しそうよ。食べてもいい?」
「ああ、構わない」
「やった。嬉しい! ありがとう、アレックス!」
サラは両手を胸の前で重ね、お礼を言う。
「アレックスはどれにする?」
「コーヒーでいい」
「菓子は頼まないの? とっても美味しそうなのに」
「サラ」
メニューを広げてみせてこようとするサラを、アレックスは低い声で呼ぶ。
「きみは今日、なぜ私に呼ばれたのかわかっているはずだ」
「どうしてって……久しぶりに私に会いたくなったからでしょう?」
「違う。ルーン子爵の件についてだ」
「ルーン子爵?」
サラは首を傾げる。
「私の師匠を呼び出して、ルーン子爵を紹介してもらったらしいじゃないか。一体、彼と何を話した?」
「何って、前の奥様の思い出話をしただけよ」
「嘘はやめてくれ。アンドレウ侯爵家の屋敷にルーン子爵が押しかけて来た。それも、私が不在の時間帯を狙ってだ。きみが何かを言ったんだろう?」
「私が?」
サラはさも驚いたような顔をする。
「そんなことするわけないじゃない。する理由がないわ」
「では、話を変えよう。母上に、イザベルがルイスの立場を悪くしないか心配だと手紙を出したそうだな? どういうつもりだ?」
「どういうつもりって、心配しただけよ。だって、継母が継子を煙たがるのは世の常でしょう? 一般的な傾向としてそういう可能性もなくはないと思って、お手紙を書いただけだわ」
サラは淀みなく理由を述べると、悲しげに目を伏せた。
「ひどいわ。アレックスが私のことをそんな風に思っていただなんて──」
まるでアレックスが誤解してサラを責めているとでも言いたげな態度に、愕然とする。
(彼女は、こんなに話が通じない女性だっただろうか──)
幼い頃からの知り合いでお互いをよく知っていると思っていたのに、今は全く知らない女性を前にしているような感覚だった。
給仕人がケーキと紅茶、それにコーヒーを運んでくる。
サラはケーキと紅茶が自分の前に置かれると、嬉しそうに微笑んだ。
「わあ、美味しそう。飲み物が冷めないうちにいただきましょう?」
黙り込むアレックスの前でサラはフォークで器用にケーキを切り分けると、それを一口食べる。
「んんー、美味しい! やっぱりここは美味しいわね」
なんの悪びれもなくおやつを楽しんでいるその神経が、アレックスには理解しがたかった。
言葉が通じない、とでも言おうか。
「……イザベルはとても優しくて聡明な女性だ。それに、ルイスのことをとても可愛がっている。きみに心配してもらうようなことは何もないから、もう私の家族に関わるな」
アレックスが告げた一言に、サラがぴたりと手を止める。
「とても優しくて聡明? あの人が今までどんなことをしてきたのか、アレックスだって知っているでしょう? 言いがかりをつけられてトラブルに巻き込まれた令嬢はひとりやふたりじゃないわ。そんな人が優しくて聡明だなんて……アレックスは騙されているのよ」
「騙されていない」
「騙されている人って、みんな『騙されていない』って言うのよね」
サラはふうっと息を吐く。
「これ以上、私の妻のことを悪く言うな」
「悪くなんて言っていないわ。事実を告げているだけ」
「サラ!」
アレックスは語気を荒くする。
周囲がシーンとして、周りの席に座る人々がひそひそと話しながら自分のほうを見ていることに気付いた。
「……とにかく、もう私と私の家族に関わるな」
アレックスはそれだけ言うと、席を立ちあがる。
「へえ、そうやって私のこと見捨てるのね」
「何?」
何かをサラが呟いたような気がしたがよく聞き取れず、立ち去りかけていたアレックスはサラのほうを振り返る。しかし、サラは黙り込んだまま、アレックスと目を合わせようともしなかった。
(気のせいか)
アレックスは今度こそ店を出る。
なんとも言えない後味の悪さが広がった。
◇ ◇ ◇
夕方、アレックスが屋敷に戻るとなぜかルイスが泣いていた。
困り顔のイザベルがルイスの手を引いて、何かを話しかけている。
「ただいま。ルイス、一体どうした?」
ルイスが泣いているところなど、ここ最近見ることがなかった。アレックスは訝しく思い、ふたりに問いかける。




