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「なんだと?」
アレックスは眉根を寄せる。
今日の日中、前魔法庁長官からルーン子爵の話を聞いたばかりだ。十中八九、サラ絡みのことで来たのだろう。
「一体何の用で?」
「それが、かわいい孫に会いに来たと……」
ドールは困惑気味に説明する。
それによると、日中のちょうど家庭教師との勉強が終わる時間帯に、ルーン子爵はふらっと現れたのだという。かわいい孫に会いに来たといいルイスへのプレゼントも持ってきていたため追い返すこともできず、イザベルが対応してくれたのだという。
「一体どういう風の吹き回しだ?」
「わかりません。三十分ほど滞在して、気づいたときにはお帰りになっておりました」
「そうか……」
前妻が亡くなって以降、ルーン子爵がルイスに会いに来たことなど一度もなかった。それなのに、今になってなんの用があるというのだ。
アレックスは上着を脱いで荷物を置くと、イザベルがいるというルイスの部屋へと向かう。
そっとドアを開けると、ベッドサイドに座るイザベルの姿が見えた。
「イザベル?」
ルイスを起こさないように、そっと声を掛ける。しかし、イザベルの反応はない。
(眠っているのか)
イザベルは椅子に座ったまま、うたた寝していた。どうやら、ルイスが眠るまでと思って側にいたらそのまま自分も眠ってしまったようだ。
こんなところで寝ては風邪をひくと思ったアレックスがそっと肩を揺らすと、イザベルの長いまつ毛が揺れる。
ゆっくりと開かれた瞳でアレックスを見ると、ふわっと微笑んだ。
花が綻ぶような笑顔に、アレックスの胸はどきんと跳ねる。
「ベッドで寝ないと風邪をひくぞ」
「う……ん……」
また瞼が閉ざされたのを見て、アレックスは彼女を抱き上げる。フローラルな香りが鼻を掠めた。
アレックスはイザベルを彼女の寝室へと運ぶ。ベッドに彼女を横たえて離れようとすると、ぐいっと首の辺りを引かれた。ぎゅーっとイザベルの腕に力が籠る。
「イ、イザベル?」
「ヤンデレはだめよ」
「ヤンデレ?」
ヤンデレとはなんのことだろうか。
イザベルの目は閉ざされたままだ。
(寝ぼけているのか)
アレックスは彼女の頬に触れる。すると、イザベルは頬ずりしてきた。
その様子が可愛らしくて、アレックスはくすっと笑う。
「本当の家族になりたいと言ったら、きみはどんな反応を示すのだろうな」
アレックスの呟きは、イザベルの寝室に溶けて消えた。
◇ ◇ ◇
時刻は少し戻り、今日の昼のこと。
イザベルがルイスを庭の遊び場で遊ばせていると、エマが走り寄ってきた。
「あら、エマ。どうしたの?」
ルイスを庭で遊ばせているときはエマは屋敷の中に残ってドレスや小物の整理などの雑用をしていることが多い。イザベルはエマを見て首を傾げる。
「奥様、大変です! お客様がいらっしゃいました」
「お客様?」
「前の奥様のご実家であるルーン子爵がいらっしゃいました」
「ルーン子爵が!?」
イザベルは驚いて、目を丸くした。
屋敷に戻ると、ルーン子爵は応接間に通されていた。
「いつまで待たせる気だ。もう紅茶が冷えてしまいそうだぞ」
苛立ったような中年男性の声が部屋の外まで聞こえてくる。少し開いたドアの隙間から中を覗くと、ルーン子爵がイザベルが来るまでの対応に出たドールを責め立てているようだった。
(随分と横柄な方ね)
正直、心象はよくない。
少なくとも、招待されてもいないのに突然やって来た客人がとる態度ではないと思った。
「しかも、ルイスを外で遊ばせているとはどういう了見だ。平民などの下賤なものがすることだ」
次に聞こえてきた台詞に、イザベルはカチンとした。
子供の外遊びが〝下賤なものがすること〟とは言ってくれる。彼の理論では、この国で最も高貴なお子様であるミゲルも下賤なものの仲間入りだ。
ちなみに、児童向け公園をいたく気に入ったミゲルは現在王宮内に彼専用の遊び場を建設中らしい。さすが王族なだけあり、行動力がすごいのだ。
(ふーん。相手がそういう態度なら、こっちもそれ相応の態度でもてなすまでよ)
記憶を取り戻してから残虐性や苛烈さはなくなったものの、元々イザベルは気が強い。
今は外遊び用のデイドレスを着ているので着替えてもてなすつもりだったが、この人が相手なら着替えるまでもないだろう。
「ごきげんよう」
イザベルはドアを開けて中に入ると、美しいカーテシーを披露する。
「お待たせして気分を害してしまい申し訳ございません。先ぶれのない訪問など予想もしていなかったもので──」
優雅に微笑みながら、暗に「なに突撃訪問しているのよ。迷惑だわ」と告げる。
すると、ルーン子爵は「やっといらっしゃいましたか」と立ち上がった。
(この人、相手によって態度を変える系かしら?)
さっきまでのドールに対する偉そうな態度はいずこに?
なんとなく、前世で嫌いだった会社のおっさんを思い出しイラっとする。
「それで、今日は一体どんな御用で?」
「近くを通りかかったので、可愛い孫の様子を見にきたのですよ」
ルーン子爵はもっともらしいことを言う。




