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イザベルがアンドレウ侯爵家の土地を利用して公園を作ってから一カ月が経った。
この日、いつものように魔法庁に出庁し忙しく仕事をこなしていたアレックスの元に、ひとりの来客があった。
アレックスは現れた人物を見て驚く。
そこにいたのは、アレックスの元上司であり魔法の師匠でもある前魔法庁長官だった。彼が魔法庁を訪ねてくることは時折あるが、このようにアポイントもなしに突然訪ねてくることは初めてだ。
「師匠。いかがなされましたか?」
「アレックスと話がしたいと思ってね」
前長官は人の好い笑みを浮かべると、「座っても?」と問いかける。アレックスは「もちろんです」とソファーを勧めた。
「ルイスは元気かね?」
「ルイス? はい。だいぶ早いのですが、最近魔術を学び始めました。私も驚くほどの成長を遂げています」
「そうか。それは楽しみだ」
前長官は頷く。
(そんなことを聞きに、突然ここに来たのか?)
アレックスは訝しく思い、前長官を窺う。
「……突然お越しになるなんて、何がありました?」
「ちょっと気になることがあってね」
「気になること?」
「実は、先日サラさんから、ルーン子爵を紹介してほしいと頼まれた」
アレックスは眉根を寄せる。
ルーン子爵は前妻の父親なので、よく知っている。子爵だが領地で採れる鉱石のおかげで金回りはよく、自分より下と認識した相手にはどこか傲慢さが滲み出る態度をとる男だった。
前妻が亡くなったとき、ショックのあまり錯乱状態になり「お前のせいだ」と散々罵詈雑言を浴びせられて以来、一度も会っていない。
「なぜサラがルーン子爵に?」
嫌な予感しかしない。サラがルーン子爵に個人的な用事があるとも思えないので、十中八九アンドレウ侯爵家絡みのことだと思った。
「サラはルーン子爵を紹介してほしい理由は言っていましたか?」
「ああ、言っていた。だが、彼女の名誉のためにきみには教えられない」
アレックスは眉を顰める。
元部下に睨まれ、前長官は困ったように肩を竦めた。
「私にはサラさんの言い分ときみの言い分、どちらが正しいのか判断材料となるものがない。わかってほしい」
「そうですね」
アレックスははあっと息を吐く。
(師匠はこういうお方だったな)
よくも悪くも、人がいいのだ。
今回も、サラにルーン子爵を紹介してほしいと頼まれて紹介したはいいものの、彼女の言う〝理由〟にどこか疑問を覚えてアレックスの元を訪ねてきた。だが、サラが嘘をついているというほどの確証はないので彼女の話をアレックスに伝えるのは気が引けるのだろう。
「状況は理解しました。サラとルーン子爵の動向には注意を払いたいと思います」
「ええ」
「ところで師匠。ちょうど師匠の意見を伺いたいことがあったんです」
「何かね?」
アレックスは立ち上がると自分の鞄のほうに行き、中から小さな石を取り出す。
「これです」
「これは?」
前魔法庁長官は不思議そうに目を瞬き、アレックスの見せた小石を手に取るとまじまじと眺める。
「見たところ魔法石ではなさそうだ。だが、微量に魔力を帯びている。実に不思議な石だ。これをどこで?」
「実は、ルイスが作りました」
「ルイスが?」
前魔法庁長官は驚いたように目を瞠る。
アレックスが今前魔法庁長官に見せたのは、以前ルイスがお守りだと言ってくれた庭で拾ったという小石だ。
「私の勘違いかもしれないと思っていたのですが、師匠も魔力を感知したとなると気のせいではなさそうですね、一体どういうことなんでしょう?」
「少なくとも、私が知る限りこのような現象は初めて聞きます」
「そうですか……」
前魔法庁長官の回答は、アレックスが知っている情報と同じだった。
通常、魔法石など特殊な性質を持つ物質以外に魔力を付与することはできない。しかし、ルイスがくれた小石には微かにルイスの魔力が残っているのだ。
それに、ルイスが大事にしている〝ポーちゃん〟もそうだ。微かにルイスの魔力が残っているのを感じる。
それを聞いた前魔法庁長官は考えるように視線を宙に投げる。
「ルイスはもしかしたら、天から特別な才能を授けられた子供なのかもしれませんね」
「……特別な力」
「ええ。どうか彼の才能をいいほうに伸ばしてあげてください」
前魔法庁長官は笑顔で頷いた。
その日の夜。帰りの馬車に揺られながらアレックスは時計を見る。
「遅くなってしまったな」
最近は夕食の時間までに帰宅するようにしていたのだが、今日は帰宅時刻ぎりぎりになって至急の案件が入ってきてこんな時間になってしまった。
屋敷に到着すると、家令のドールが出迎えてくれた。
「ルイスとイザベルは?」
「お坊ちゃまを寝かしつけるために子供部屋に」
「そうか。今日も変わりはなかったか?」
「実は日中、ルーン子爵がいらっしゃいました」




