(5)
「大丈夫?」
「……うん」
小さく答えた女の子の目には、じんわりと涙が溜まっている。泣きたいのを必死に我慢しているのか、「ひっく」という声にならない声が微かに聞こえてきた。
「小さいのに強くてすごいのね。こっちにいらっしゃい」
イザベルはひょいっと女の子を抱き上げると、自分の部屋へと連れて行く。びっくりして目を白黒させる女の子を部屋に置かれたソファーに座らせた。
「ここに座っていて。今手当てしてあげるから」
イザベルはサイドボードの引き出しを漁る。たしか、救急箱がどこかに入っていたはずなのだ。
三つ目の引き出しでようやく目的のものを見つけると、イザベルはそれを持って女の子の元に戻った。
「少し染みるわよ」
綿に消毒液を染み込ませて傷口を拭いてやると、「くっ!」と小さな声が漏れた。ちらっと女の子を窺い見ると、唇を引き結んで痛みに耐えている。
「泣かないなんて、偉いわ」
「りっぱなおとなになりたかったらひとまえでないちゃだめって、おばあしゃまがいってたの」
女の子の言葉に、イザベルは驚いた。
見たところ年齢は三歳か四歳くらいなのに、もうそんなことを言うなんてなかなか大人びた子供だ。
イザベルは手早くガーゼを貼り、手当てを終える。
「はい。できたわよ」
「うん。ありがとう」
女の子は貼りたてのガーゼをまじまじと見る。
「偉かったわね」
泣かなかったことを褒めて頭を撫でてあげると、女の子は「えへへ」とうれしそうにはにかんだ。
(うわー、可愛い!)
前世も今世も残念ながら妹はいなかったけど、もし年の離れた妹がいたらこんな感じだったのだろうか。思わずギュッと抱きしめてしまいたくなるような愛らしさだ。
「ねえ、あなたお名前はなんて言うの?」
イザベルは椅子に座る女の子の前にしゃがみこみ、目線を合わせて尋ねる。
使用人の誰かの子供なのだろうが、一体誰の子供なのだろうと思ったのだ。
「なまえ?」
「ええ。あなたのお名前」
「……ルイス。ルイス・アンドレウ」
女の子がおずおずと名乗る。
「ルイス?」
イザベルはぎょっとして目を見開く。
(ちょっと待って。ルイス・アンドレウって──)
将来イザベルを惨殺する、義理の息子と同じ名前ではなかろうか。
イザベルは天使のごとく可愛いらしい女の子をまじまじと見つめる。
(もしかして、女の子じゃなくて恐ろしく造作の整った男の子?)
男の子だと言われると、そう見えないこともない気がしてくる。
「ひとつ教えてくれる。あなたのお父様のお名前は?」
「アリェックスだよ」
(やっぱりー!)
イザベルは心の中で叫ぶ。舌足らずで『アリェックス』になっているが、アレックスのことで間違いないだろう。
(これがルート補正ってやつなのかしら!?)
まさか、絶対に会わないようにと避けていた相手にこうも呆気なく会ってしまうとは。
一方のルイスは、イザベルの胸の内など全く知らぬ様子で大きな目で彼女を見上げる。
「あなたがおとうさまがいっていた、あたらしいおかあさま?」
「え?」
アレックスと結婚したイザベルは、法的な意味ではルイスの母親だ。だが、彼を苛め抜いて将来殺してやりたいと思うほどまで恨みをかうことになる自分に、母と名乗る資格があるのだろうか。
返事に迷ってるイザベルを、ルイスはまっすぐに見つめていた。その黒い瞳には、期待と不安が入り混じったような色が見える。
(もしかしてこの子……)
父親が新しい妻を迎えると知り、自分のお母さんができるのかと楽しみにしていたのかもしれない。
イザベルはぎゅっと手を握り締めると、ルイスの目を真っすぐに見つめ返す。
「ええ、そうよ。わたくしはイザベル・アンドレウといいます。これからよろしくね」
にっこりと微笑んで自己紹介すると、ルイスは数回目を瞬いてから花が綻ぶような笑みを浮かべ、「うん!」と返事をした。
「ぼく、しゅごくたのしみにしてたの」
(うっ、可愛い!)
比喩ではなく、後光が射すような笑顔の眩しさよ。
一気に心臓が撃ち抜かれるような感覚だ。
(イザベルはこの天使のような男の子をいじめ抜いて、最後は愛着障害のヤンデレ魔術師にしたってこと? 嘘でしょう!?)
鬼畜だ。鬼畜だとしか言いようがない。
記憶を取り戻す前のイザベルの行動にはドン引きしっぱなしだけれど、本当に酷すぎる。
(こんなかわいい男の子が、最後はバッドエンドを迎えるしかないなんて……)
正確に言うとルイスルートになればヒロインが檻に入れられて生涯囚われるので、ルイス的にはバッドエンドではないかもしれない。
しかし、この天使のような子が完全にヤバイ男に成り下がったという点では十分バッドエンドだ。
(だめよ。絶対にそんな風にはさせない!)
その瞬間、イザベルは決意した。
(この天使のような男の子は、わたくしが立派な青年に育て上げます!)