(40)
ルイスと一緒にメンタムの森に行く約束をした日、外は朝から爽やかな晴天が広がっていた。
「おかーさま!」
イザベルが私室で外出の準備をしていると、早朝にもかかわらずドアの向こうから可愛らしい呼び声が聞こえてきた。いつもならまだ寝ているような時間なので、お出かけが楽しみで目が覚めてしまったのだろう。
イザベルがドアを開けると、案の定そこにはルイスがいて「おはようございます。おかあさま」と元気に挨拶する。
「おはよう、ルイス。今日は随分早いのね。ちゃんとよく寝た?」
「うん、ねたよ。もうめがさめたの」
「そう」
イザベルは微笑んで、ルイスの頭を撫でる。
まだ朝食も食べていないのに既に外出用のポシェットを肩からぶら下げており、よっぽど楽しみにしていることが窺えた。
「お昼ご飯を用意しに行くけど、いっしょにやる?」
「やる!」
「ハムを挟んだパンも作りましょうね」
「うん」
ルイスは目を輝かせ、こくこくと頷く。
(ふふっ、可愛い)
こんな風に母親に懐いて喜んで手伝ってくれるのも、年齢的にあと五年くらいだろうか。思春期に入って〝母親はどっかに行っていろオーラ〟を出すまではこの幸せな時間を楽しみたいと改めて思う。
イザベルはルイスの手を握ると、厨房へと向かった。
◇ ◇ ◇
初めて訪れるメンタムの森は、イザベル達が間違えて行ったグメークの森とは比べ物にならないような、きっちりと整備された公園だった。
何台もの馬車が停まった馬車置き場を降りるとすぐに、案内板が目に入る。歩きやすいように整えられた歩道にも随所に行き先案内がついていて、迷子になる心配もなさそうに見えた。
イザベル達は園内案内図を見て、公園の中心地点にある湖に向かうことにした。その周囲に目的の花が咲いているようだ。
「ここのこうえんはあかるいしあるきやすいね」
「そうね」
ルイスの無邪気な言葉に、イザベルは苦笑する。
グメークの森はそもそも公園ですらないのだから、イザベル達が歩いたのは獣道だったようだ。改めて、何もなく帰ってこられたことを神に感謝した。
入口から十五分ほどで到着し穏やかな湖の周囲には、いくつものガゼボが設置されていた。イザベル達はその中のひとつに席を取ると、持参したランチを広げる。
カットしたパンにハム、玉子、ピクルスなどを挟み手渡すと、ルイスは大きな口を開いて被りつく。
「美味しい?」
「うん、おいしい!」
イザベルはその様子をにこにこしながら眺める。
両手でパンを持って一生懸命食べる様子が可愛くて、いつまででも見ていられる。
「おとうさま、おいしい?」
「ああ、おいしい」
「このハムはね、ぼくがいれたの」
「それは偉かったな」
アレックスはルイスの話を聞きながら、目を細める。
ルイスはあっという間に食事を終えると、そうそうに湖の周囲の野原を走り回る。途中で立ち止まっては、飛んでいる蝶を捕まえようと奮闘していた。
「ルイスはいつも、あんな感じで遊んでいるのか?」
「そうですね……、屋敷の庭園は構造物や木も多いのであそこまで走り回ってはいませんが、いつも元気に遊んでいますよ。今日はここに遊びに来るのが本当に楽しみだったみたいで、いつもより一時間くらい早く起きてランチを詰めるのを手伝ってくれたんです」
「そうか」
アレックスはルイスからイザベルへと視線を移動する。
「きみがアンドレウ侯爵家に来てから、ルイスはとても楽しそうだ。それに、屋敷全体が明るくなったような気がする。全部きみのおかげだな。感謝する」
「いえ、そんなことは……」
突然褒められ、イザベルは戸惑う。
イザベルはあまり褒められた経験がない。
特に記憶を取り戻す前は、おだてる人間はいれども褒めてくれる人などひとりもいなかった。
「いや。きみのおかげだ」
確信を込めた瞳で見つめられ、胸がドキッとする。
「お花が綺麗ですね! 少し摘んで帰ろうかしら」
イザベルは咄嗟にアレックスから視線を逸らし、話を変える。
すると、アレックスはイザベルが見ている方向を眺め、片手を伸ばした。美しく咲いている花がふわりふわりと浮き、その場で花束が出来上がった。
(うわ、すごい)
アレックスの魔法だろうか。魔法を使うことができないイザベルからすると、驚きだ。
アレックスは宙に浮く花束を片手で掴むと、それをイザベルに差し出した。
「どうぞ」
「え? わたくしに?」
イザベルはまさか自分に渡されるとは思わず、間抜けな台詞を漏らす。すると、アレックスはくすっと笑った。
「あいにく、妻以外の女性に花を贈るような器用さはないな。枯れにくくなる魔法をかけたから、二週間くらいはこのままもつと思う」
「……どうもありがとうございます」
ぎこちない返事になってしまうのは許してほしい。だって、こんなことをしてくれるとは思っていなかったのだ。
(普段全然気が利かないと思っていたのに……。もしかして、ギャップで魅せるタイプなの!?)
さすがは攻略者の父親だ。うっかりときめいてしまったではないか。