(39)
イザベルが嫁いで来てからそろそろ四カ月が経つ。
「おはようございます、奥様」
朝、食事に向かうために廊下を歩くイザベルに、屋敷の使用人達が頭を下げる。
イザベルはその一人ひとりに対し、「おはよう」と返事をした。
ダイニングルームのドアに手を掛けようとしたそのとき、「おかあさま!」と可愛らしい声がした。声のほうを見ると、ルイスが満面の笑顔でイザベルに駆け寄ってくる。
「おはよう、ルイス。いい夢を見られた?」
「うん。こんなおっきなこおりをつくるゆめをみたよ」
ルイスは自分の両腕を大きく広げる。
「まあ、すごいわね。ルイスならすぐに作れるようになるわ」
「うん!」
嬉しそうに笑うルイスを見て、イザベルは相好を崩す。
最近、魔法の先生と一緒に氷を作る練習をしているようで、つい先日一センチくらいの小さな氷を作ることができたと大喜びしていた。
アレックスや魔術の家庭教師によると、四歳で氷を作れるのはとても優秀なのだという。
「あさごはん、ハムあるかな」
「昨日ハムを入れてってお願いしておいたからきっとあるわ」
イザベルはルイスと手を繋ぎ、ダイニングルームに入る。テーブルには既にアレックスがおり、彼の飲むコーヒーがいい匂いを漂わせていた。
「おはようございます。旦那様」
「おはようございます。おとうさま」
イザベルとルイスの挨拶で、アレックスは読んでいた新聞から視線を上げた。
「ああ、おはよう。ふたりとも」
アレックスは口元にほんの僅か、笑みを浮かべた。
初めこそ屋敷中の人から倦厭されて何をするにも孤独だったイザベルだったが、この四カ月間で劇的に環境は変化した。
ルイスは懐いてくれるし、エマという信頼できる侍女もできたし、アレックスはイザベルの話をちゃんと聞いてくれるようになった。それに、ジェシカというママ友達までできた。
(なかなかうまく立ち回れているんじゃないかしら?)
席に座ったイザベルはこれまでの日々を振り返り、自画自賛する。
最初こそ「このままでは将来ヤンデレ化したルイスに殺されてしまう!」と戦々恐々していたが、このまま平穏に過ごせればそんな未来は来ないような気がしてきた。
テーブルに朝食が運ばれてくる。
リクエストした特製ハムが皿に載っているのを見たルイスは「やったー」と大喜びしていた。アレックスはそんなルイスの様子を見て、目を細めている。
(アレックス様の機嫌はよさそうね)
イザベルはアレックスの様子をこっそり窺う。
実は今日は、彼にひとつお願いごとをしようと思っているのだ。
「旦那様」
「なんだ?」
イザベルの呼びかけに、アレックスは彼女を見る。
「来週あたり、晴れたらメンタムの森にピクニックに行こうと思うのですが、行ってもよろしいでしょうか?」
「メンタムの森に?」
アレックスの眉間に、しわが寄る。
イザベルは以前、メンタムの森にルイスと一緒にピクニックに行くはずが、間違って違う森に迷い込んで捜索されるという事件を起こした。
アレックスはそのときのことを思い出し、すぐに返事するのをためらっているのだろう。
ちなみに、あの事件のあとからサラの姿はぱったりと見なくなった。会いたいとも思わないので全く問題ないが。
「ジェシカ様から、来週あたりがちょうど花の見頃なのだと教えてもらったのです。とても美しいそうなので、ルイスと一緒に見に行きたいと思いまして」
「なるほど」
アレックスは呟く。だが、いいとも悪いとも言わない。
(やっぱりダメかしら?)
ジェシカからは、改めてメンタムの森はとても素敵なピクニックスポットなのだと聞いた。森全体が森林公園になっており、これからの季節は一面に花が咲く美しい景色が見られるそうだ。
庭に作った公園で遊ぶのもいいが、たまにはもっと広いところで駆けまわれればいい気分転換になると思ったのだ。
イザベルがそれを告げると、アレックスはしばらく考えるように口を噤んでからイザベルのほうを見た。
「話はわかった。私も一緒に行こう」
「え?」
イザベルはびっくりしてアレックスを見返す。一方のルイスは、ぱっと表情を明るくした。
「ほんとう? おとうさまもいっしょにいく?」
「ああ。一緒に行こう」
大喜びするルイスに、アレックスは頷いて見せる。
(え? 本当に一緒に行くの?)
完全に予想外だ。
驚くイザベルをよそに、ふたりはどんどん話を進めていく。
「いちゅならいける?」
「そうだな……今度の週末でどうだ?」
「こんどのしゅうまつ! 約束だよ!」
「ああ、約束だ」
アレックスとルイスはお互いに右手を差し出し、小指を絡める。
かくして、初めての家族ピクニックが決定したのだった。




