❖ 気持ちの変化(アレックス視点)
この日、アレックスは市中に設置された様々な魔導具の点検の様子を視察する予定になっていた。
外出のために馬車乗り場に向かって歩いていたアレックスは、「アンドレウ卿」という呼びかけに足を止める。振り向くと、内務省大臣がいた。
「聞きましたよ。最近、慈善活動の一環で町に面白いものを作っているとか」
すぐに、イザベルが進めている児童公園のことだと悟る。思った通り、初めて見る不思議な構造物に人々は興味津々で、児童公園のことはすぐに噂が広がった。
始めは本当に遊んでいいのかと様子見をしていた子供達も、ひとりが遊び始めると我先にと遊び始め、今や市中に作った児童公園はいつも大賑わいだという。
「はい。妻の発案で、子どもが安全に遊べる場所を作ったんです」
「ほう、奥方の。たしか、アンドレウ卿の奥方はバレステロス公爵家のイザベル殿だったかと──」
内務大臣は探るように、アレックスを見つめる目を細める。
イザベルの悪評は社交界で知らぬものがいないほどだったので、本当なのかと疑わしく思っているのだろう。
「はい、その通りです。子供の面倒もよく見てくれますし、使用人とも上手く付き合って家のことも頑張っています」
「あのイザベル殿が?」
内務大臣は俄かには信じられない様子で、訝しげに聞き返してきた。
「これは驚いた。正直、アンドレウ卿がイザベル殿を娶ると聞いたときは上手くいくのかと心配していたんだ。ほら、彼女は美人だが、アレだっただろう?」
内務大臣は言葉を濁す。美人だが、性格と行動に問題があると言いたいのだろう。
「まあとにかく、上手くやっているようなら安心したよ。彼女の手綱をしっかり握るとは、さすがはアンドレウ卿だな」
内務大臣はアレックスの肩にポンと手を乗せると、ははっと笑った。
「ありがとうございます」
手綱は握っていないですがある日彼女が別人のように穏やかになったのです、という台詞が喉元まで出かけたが、わざわざ言うことでもないと口を噤む。
少し立ち話をすると、内務大臣は「そろそろ会議に行かなければ」と言ってアレックスと別れた。
馬車に乗り込んだアレックスは、改めてイザベルのことを考える。
(一体どんな心境変化があって、彼女は変わったんだろうか?)
結婚したその日までは、間違いなく噂通りの問題児だった。
それなのに、急におとなしくなって、問題発言や問題行動をしなくなった。我が儘を言うことはおろか、周囲に気を遣って文句のひとつも言わない。
(不思議でならないな)
今のイザベルからは『悪女』の片鱗も感じられなかった。
まるで別人のようになった、という表現が一番しっくりくる。しかし、イザベルの赤みを帯びた金髪と気高さを感じさせる美貌を兼ね備えた人物がもうひとり存在するとは思えない。
ルイスのために突然お菓子を焼き始めたり、家庭教師を雇えと言い出したり、遊び場を作り出したり。
今度はどんなアイデアを持ちかけてくるのか、アレックスはいつの間にか楽しみになっていた。
ふと、車窓から脱輪した馬車が立ち往生しているのが見えた。
「停めてくれ」
アレックスは御者に声を掛ける。
すぐに停まった馬車から下りたアレックスは、魔法で脱輪部分を直してやった。
「ありがとうございます」
馬車の持ち主であろう商人はしきりにお礼を言うと、無理やり売り物のりんごをみっつ手渡してきた。
お礼の品など何もいらなかったのだが、感謝の気持ちということでアレックスはありがたく受け取ると馬車に戻った。
(そういえば、イザベルは今朝も『強盗に襲われた馬車』は自分で助けに行くなとしきりに心配していたな)
先ほどの件は『脱輪した馬車』なので約束は破っていない。
なぜシチュエーションが『強盗に襲われた馬車』に限られるのかとても不思議ではあるが、アレックスの身を心配してくれていることは感じられて、どこか胸がこそばゆい。
ふと、今さっき受け取ったばかりのりんごが目に入る。
(イザベルはりんごは好きかな?)
結婚してからまだりんごは食卓に上っていない気がするのでわからないが、好き嫌いはなさそうなので渡せばきっと食べるだろう。
美味しそうにりんごを頬張るイザベルとルイスの姿が頭に浮かび、アレックスは表情を和らげる。
(嫁いできたのが彼女でよかったな)
結婚式を挙げたときには、こんなことを思う日が来るなんて夢にも思っていなかった。