(4)
アンドレウ侯爵家に嫁いで一週間。
──自身の破滅ルートを避けるためには、一体何をすればいいのか?
この問いについて、イザベルはひたすら考え続けた。
そうして至った結論は、やはりひとつだけだ。
(どう考えたって、ルイスと接触しないことよね!)
会ったことがなければ、殺すほどの恨みを買うこともないはず。至極単純な理論だ。
しかしながら、離婚などあの父が許すはずもない。となると、なんとか別の方法で物理的距離をとるしかない。
(そうだわ! アンドレウ侯爵家所有の別荘に隠居すればいいのだわ!)
アンドレウ侯爵家は名門貴族なので、別荘もいくつか所有しているはず。名案に思えた。
「まずは旦那様に相談しないと!」
イザベルは、ぐっと拳を握った。
その日の夕食時、がらんとした長テーブルの端っこにポツンと座ったイザベルは、給仕している使用人を見上げた。
「ねえ、旦那様は?」
「お仕事が立て込んでいるため、夕食は不要だと」
「そう……」
ということは今日も、イザベルは一人で食事らしい。
(別荘のことを早速相談したかったのだけど──)
しかし、いないものは仕方がない。イザベルは気を取り直し、目の前に置かれたボイルドサラダのレモンソース添えを口にする。
(薄々気づいていたけれど……わたくし、避けられている?)
初日にあんな悪態をついたのだから嫌われていても仕方がないのだけれど、改めて現実を知らしめられる。
ここに嫁いで一週間経つというのに、イザベルはアレックスとまともに顔を合わせたことが一度もなかった。アレックスはイザベルが起きるより前に屋敷を出て、イザベルが寝たあとに屋敷に戻ってくるのだ。
一度、絶対に会ってやろうと心に誓ったイザベルは、眠気と闘いながらも彼の帰宅を待った。しかし、ようやく会えた彼はイザベルの姿を見た途端眉間に深いしわを寄せ、『疲れているので失礼する』と会話のチャンスをくれなかった。
(まあ、顔も見たくないって言ったのはこっちなんだけど)
本当に、なんであんな暴言を吐いたのかと過去の自分に小一時間ほど説教してやりたい気分だ。
「早く直接謝って、別荘に滞在したいことを相談しないと──」
幸いにして、ルイスの世話は使用人が行っているようで、今のところ遭遇せずに済んでいる。だが、同じ屋敷に住んでいれば接点が生じるのも時間の問題だ。
イザベルは、はあっと息を吐く。
(ルイスと鉢合わせしないように、明日以降も部屋に籠るしかないかしら──)
そのとき、ふと背後から視線を感じた気がしてイザベルは振り返った。
「あら。誰もいない?」
気のせいだろうか。この屋敷に住み始めてからというもの、ふとしたときに視線のようなものを感じることがあるのだ。
(まさか、お化けとか……)
アンドレウ侯爵家の屋敷は、築百年を超える歴史のある建物だ。石造りの堅牢な建物なので安全性に問題はないのだが、百年も経っていると何かしらの忌まわしい事件が起きていてもおかしくはない。
(もしかして、主人に折檻されたメイドがそれを苦に命を絶つとか?)
嫌な方向に想像力が膨らんでいく。
──カタン。
ふいにすぐ近くから物音が聞こえ、イザベルは「ひっ!」と声を上げる。
「誰? 誰かいるの?」
すぐに振り返り呼びかけるが、人の姿は見えない。
(どうしよう。まさか本当にお化け──)
サーッと血の気が引きかけたそのとき、廊下の窓際に掛けられたカーテンの物陰に小さな人影が見えた。大きな黒い目がイザベルをじっと見つめている。
(子供?)
それは、瞳と同じく黒い髪を肩の辺りで切りそろえた、とても整った顔をした女の子だった。身長はイザベルの腰の位置よりも低く、まだ幼児という年齢に見える。
女の子はイザベルと目が合うとハッとしたようにカーテンで顔を隠した。
じーっとそのままカーテンの辺りを見つめていると、またそろそろと顔を覗かせて黒い瞳がこちらを見つめる。イザベルがまだ自分を見ていることに気付くと慌てて顔を隠し、数分もしないうちに再びカーテンの隙間からこちらの様子を窺う。
(何、あれ……。めちゃくちゃ可愛いんですけど! 人形みたい!)
見た目が可愛いのはもちろんなのだが、その動作もめちゃくちゃ可愛い。
思わず近づこうと、イザベルは立ち上がる。すると、女の子はハッとしたような様子で慌てて逃げ出した。
「待って!」
イザベルは子供を追いかけようと手を伸ばす。それとほぼ同時に、女の子は足を躓かせて前のめりに倒れた。バタンと鈍い音が室内に響く。
「大丈夫⁉」
慌てて駆け寄ったイザベルは、うつ伏せになったまま倒れている女の子の両脇に手を入れて体を起こしてやった。短い丈のズボンを穿いているので、転んだときに床に膝を打ち付けたようだ。ほんのりと赤い血が滲んでいる。
「大変。怪我をしているわ。誰か──」
使用人を呼ぼうと周囲を見回すが、こんなときに限って生憎誰もいない。というか、前評判の悪いイザベルは使用人から避けられているので周囲には大抵誰もいないのだが。