(35)
「午後二時くらいだったかしら。獣の鳴き声のようなものが聞こえた気がして、ルイス達にそろそろ戻ろうと伝えたんです。でも、戻ろうにも迷子になってしまって……その途中で狼のような魔獣に一度遭遇しました。怖がったルイスが魔力暴走を起こして無事ですみましたが」
話しながら、今日一日楽しい時間を過ごす予定だったのに、どうしてこんなことになってしまったのだろうとやるせない気持ちになる。
俯くイザベルの頭を、アレックスがポンと撫でる。
「大変だったな。疲れただろう。今日はもう休め」
「……え?」
「ほら、寝るぞ」
アレックスは立ち上がると、ベッドのほうに歩み寄りイザベルを手招きする。
(一緒に寝る気なの!?)
夫婦なのだから一緒に寝るのは普通と言えば普通なのだが、イザベルとアレックスは結婚以来一度も夜を共にしたことがない。突然のアレックスの行動にイザベルは混乱した。
「運んでやろうか?」
ふっと笑いを漏らすアレックスの態度に、イザベルはカーッと顔が赤くなるのがわかった。
「結構です! 自分で歩けます」
「そうか」
アレックスはくくっと笑い、肩を揺らす。
(からかった? からかったのね!?)
羞恥から、また顔が赤くなる。
(でも──)
イザベルはアレックスのことを窺い見る。
(こんな風に笑うのね)
笑うと普段より少しだけ幼く見え、どこかルイスの面影を感じる。
むっつりしているところばかり見ているので、新たな一面を見つけた気がした。
◇ ◇ ◇
時計が刻むカチコチという音が、静寂に包まれた部屋に響く。
アレックスは自分のベッドで眠るイザベルの寝顔を眺めた。彼女の寝顔を見るのはこれで二回目だが、相変わらず彫刻のように整った美人だと思った。
先ほどアレックスがイザベルに『寝るまで側にいる』と告げるとわかりやすくあわあわして『結構です』と言っていたが、思いのほかすぐに眠りに落ちてしまった。きっと、昼間のこともあり相当疲れていたのだろう。
今日の日中、ルイス達がいなくなったという知らせを聞いたアレックスはすぐにイザベル達が馬車を降りたグメークの森入口まで魔法で転移し、そこからはルイスの魔力を探査魔法でさぐりながら彼らを探した。
探査魔法は魔力が強ければ強いほど探しやすい。すぐに彼らを見つけられたのは、ルイスがいたからこそだ。
アレックスが三人を発見したとき、イザベルはルイスをぎゅっと抱きしめて彼を庇うような恰好をしており、ルイスを守ろうとしているように見えた。
(助かったのは不幸中の幸いだな)
イザベルによれば、成人男性よりも大きなサイズの狼型の魔獣に遭遇したという。もしルイスが魔力暴走しなければ、間違いなくただでは済まなかっただろう。
(しかし、一体どういうことなんだ)
イザベルは攻撃魔法も武術も使えない。自分からわざわざ魔獣がいる森に行くなんて、自殺行為だ。
それに、イザベルはアレックスが助けに行ったとき、助かったとばかりに心底ほっとしたような表情をした。アレックスには、とてもイザベルが意図的にあそこに行ったとは思えなかった。
(となると、考えたくはないがサラが嘘をついているのか?)
サラは寝入っているルイスの部屋にやって来て『奥様ったらあんな危険な場所にルイスを連れ出すなんて、どういうつもりなのかしら』と小言を言っていた。
一見すると心配しているだけに見えるが、もしも嘘をついているとすれば話は変わってくる。
(一体どういうつもりで──)
そこまで考えてアレックスは首を振る。
どのような事情があろうと許される行為ではない。
(一度でもこういう疑惑が出た以上、彼女には距離を置いてもらうしかないな)
アレックスはイザベルの顔を見つめ赤みを帯びた金髪をひと房手に取ると、そっと口づける。
「おやすみ。よい夢を」
魔法灯の照明を消すと、部屋を立ち去った。




