(34)
サラはさも心配したと言いたげに駆け下りてくると、ルイスの寝顔を覗き込む。
「サラ、どいてくれ。ルイスを部屋に連れて行く」
「ごめんなさい。心配で」
アレックスに注意されるとサラは眉尻を下げ、進行方向を開けるように横にずれる。アレックスはルイスを抱いたまま階段を上がり始めた。
チラッと階段下を見たサラと目が合う。
「あの、サラさん──」
「奥様! 奥様も無事でよかったです。とっても心配したんですよ。どうしてグメークの森なんかに行ったんですか。あまりにも考えなしすぎます!」
「え?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
イザベルはサラにおすすめのピクニックスポットを尋ね、西方にある森を紹介された。アレックスにそれを伝えると、そこは『メンタムの森』という国にしっかりと管理されたピクニックスポットだと聞いて安心して出かけたのだ。
「……あなたがわたくしにあそこを勧めたのでしょう?」
自分で教えといて、意味がわからない。
掠れる声で聞き返すと、サラは困ったように眉尻を下げる。
「私が勧めたのはメンタムの森です。グメークの森など、勧めるはずがありません。あそこは危険ですもの」
「何を言っているの? あなたが──!」
そこまで言いかけて、イザベルは口を噤む。何人かの使用人が困惑した表情で自分達を見ているのが視界の端に映ったのだ。
(これじゃあ、わたくしが無茶してルイスを危険な森に連れ込んだみたいじゃない)
けれど、よくよく考えるとサラが『言っていない』と主張したとしても、それを嘘だと証明する方法などないのだ。なぜなら、その言葉を聞いたのはイザベルだけで、唯一その場にいた第三者であるルイスはあのときも昼寝していて聞いていないのだから。
(こんなこと、前にもあった気が……)
あれは確か、イザベルがまだアレックスと口もきいていないような頃。魔法庁の前長官が訪問してくるのに時間を一時間遅く伝えてきた。
あのときはついうっかり言い間違えたのだろうと考えて、イザベルもそれ以上サラに詰め寄ったりしなかった。だが、改めて振り返ると、今回と状況がとても似ている。
(……もしかして、わざとなの?)
短期間に二回もこんなことが起こるなんて、そうだとしか思えなかった。
イザベルはぎゅっと手を握る。
「もういいわ。サラさん、あなたはもう帰って」
「あら。私、まだ時間は大丈夫ですよ。ご心配なさらないでくださいね」
わざとやっているのだろうか。見当違いも甚だしい返事に、イザベルの苛立ちはつのる。
にこっと笑ったサラは話は終わったとばかりに階段を駆け上がり、ルイスの部屋へと向かったのだった。
その日の晩、珍しくアレックスがイザベルの部屋を訪れた。
(昼間のことで、怒られるのかしら?)
アレックスが普段、イザベルの寝室を訪れることはない。それなのに今日のタイミングで訪れるというのは、それ以外に理由が思いつかなかった。
(どうせ、わたくしが悪者になるんでしょうね)
諦めにも似た気持ちになる。
イザベルがソファーを勧めると、アレックスは素直にそれに従った。イザベルは普段ルイスと飲んでいるルイボスティーを彼に出す。
「……変わった味の紅茶だな?」
アレックスは一口飲むと、不思議そうな顔をしてカップの紅茶を眺める。
「目が冴える成分が入っていない品種なんです。子供でも飲みやすいので普段ルイスと一緒に飲んでいるのですが、もう夜なので旦那様にも」
「そうか」
ふたりの間に沈黙が訪れる。
その静けさが耐え切れず先に口を開いたのは、イザベルだった。
「今日のこと、怒らないのですか?」
「昼間に馬車の中でもう怒ったし、きみは謝罪してもうあそこにはいかないと誓った。それで十分だろう?」
イザベルは困惑してアレックスを見る。
確かに帰りの馬車の中で厳重注意を受けてイザベルは謝罪した。
(なら、なんでここに来たのよ?)
まさか離婚だろうか。そんな想像をしていると、今度はアレックスが口を開く。
「一体なぜ、グメークの森になど行った?」
怒っているというよりは、静かに問いかけるような口調だった。
「あそこがグメークの森だと知らなかったのです。てっきりメンタムの森なのだと──」
「御者は何か言わなかったのか?」
「たしか、もっと先まで行ってから曲がるはずだというようなことを。でも、サラさんにその道は工事中で通行止めだから手前で曲がるといいと教えられたのです」
「サラに、ね……」
「本当です! ……どうせ信じてはもらえないでしょうが」
イザベルは自嘲気味に笑う。
記憶を失う前の行動が災いして、イザベルは自分を信じてくれと言うには信用がなさすぎる。それくらい、自分でも理解していた。
「……森では何をして過ごしたんだ?」
「え?」
突然話題が変わり、イザベルは戸惑う。
「ピクニックに行ったのだろう?」
「ええ。湖の周囲を歩いたり、花を摘んだり、持参した食事を食べたりしました。ルイスは絵を描いて楽しんでいましたね」
アレックスは静かにイザベルの話に耳を傾ける。