(33ー2)
◇ ◇ ◇
一旦湖へと戻ってきたイザベルは、ポケットに入れた時計を取り出す。時刻は午後三時半を指していた。
(日没まであと一時間半……)
念のために照明の魔道具を持参しているのがせめてもの救いだ。
だが、簡易なものなので照らせる範囲はごく近傍に限られている。なんとか日が出ている間に森から脱出しないと、今日中に帰るのは無理になってしまうだろう。
イザベルは意を決して今来た方向──森を見る。
「じゃあ、もう一度戻るわよ」
「またまいごにならない?」
ルイスは不安そうにイザベルに尋ねる。
「それは……」
イザベルは口ごもる。
イザベル自身も絶対に大丈夫だと言えるほどの自信はなかった。
「迷子にならないように頑張るわね。安心して。ルイスはお母様が守ってあげる」
「じゃあ、ぼくはおかあさまをまもってあげる」
「まあ、頼もしいわね。さっきも守ってくれたわね。ありがとう」
イザベルはルイスに向かって微笑みかける。
暗い気分になっていたが、幾分気持ちが晴れるのを感じた。
「さあ、行きましょう」
イザベルはルイスの手をぎゅっと握ると、森に向かって歩き出した。
一体どこで道を間違えたのかわからないので、しっかりと周囲を見回しながらゆっくりと歩く。途中でなんとなく二股に分かれた三叉路にぶつかった。
「さっきはここを右に行ったかしら?」
「そんな気も致します」
エマが頷いたので、イザベルはその道を左に進んだ。
地図があるわけでもなく、周囲は同じような木ばかりでこれといった目印もない。頼れるのは自らの直感のみだ。
不意に、また遠くから何かの唸り声が聞こえてきた。
「なにかいるよ!」
ルイスは不安そうに鳴き声がしたほうを見つめ、ぎゅっとイザベルの手を握り締める。
(また魔獣?)
先ほどルイスが魔力暴走を起こしたのは全くの偶然であり、意図したものではない。
(ルイスは攻略対象キャラだからきっと大丈夫だと思うけど、わたくしとエマは──)
最悪のシナリオが脳裏を過り、背筋が冷たくなる。
再び襲われたら、次こそ死ぬかもしれない。
「急ぎましょう」
「うん」
イザベルは繋いでいる手に力を籠め、早足になる。
そのとき、進行方向からガサガサッと音がした。
(何かいる!)
突如至近距離に黒いものがヌッと現れて、イザベルはギョッとした。
「きゃー!!」
「落ち着け。俺だ!」
「え?」
ルイスに覆いかぶさるように体を小さくして大きな悲鳴を上げたイザベルは、頭上から聞こえた男性の声にハッとする。恐る恐る顔を上げると、そこにいたのはアレックスだった。
よっぽど急いで来たのか、少し息が上がっていて額には汗が滲んでいた。
「おとうさま!」
ルイスは立ち上がり、突然現れた父に抱きつく。アレックスはルイスをひょいっと抱き上げた。
「ルイス、大丈夫か? 怪我はないか?」
「うん、だいじょうぶ! ぼくね、まじゅうをやっつけておかあさまをまもったの!」
「魔獣だと?」
アレックスの声が一段低くなる。
自分の息子が魔獣に襲われるような命の危機にさらされたと知ったのだから、当然の反応だろう。
「おかあさまもエマもけがしてないよ!」
ルイスは別の意味でとらえたようで、慌てたように補足する。
アレックスは険しい表情で、呆然とするイザベルのほうを見た。
「……ひとまず、帰るぞ。この人数を連れて転移はできない。馬車に行こう」
「……はい」
ルイスを抱きかかえながら歩くアレックスの後ろを、イザベルとエマは黙って付いてゆく。ルイスは気を張っていて疲れたのか、アレックスに抱っこされたままうとうととし始めた。
(まだ時間的に仕事中のはずよね? 仕事中にわたくし達のことを知らされて、魔法で転移してここに来たのかしら?)
転移魔法は魔法の中でも最も難易度が高いものとされ、相当の魔力を必要とするし、魔術師であっても使える人はほとんどいない。
(ルイスを楽しませたかっただけだったのに……余計なことをして迷惑をかけたと思われたんだろうな)
イザベルはいたたまれない気持ちになり、ぎゅっと唇を嚙みしめた。
◇ ◇ ◇
アレックスは迷うことなく森の入り口に辿り着く。イザベル達は全員馬車に乗り込み、アンドレウ侯爵家へと戻った。
「お帰りなさいませ。奥様、お坊ちゃま、ご無事でなによりです」
青い顔をして出迎えてくれたのは家令のドールだ。どうやらイザベル達が行方不明になっていることは、屋敷にも知らされていたらしい。
「ルイスが疲れて眠ってしまっている。まずは部屋に」
「はい。かしこまりました」
ルイスを抱いたアレックスとドールがルイスの部屋がある二階に上がろうとしたとき、階段の上から「ルイス、無事だったのね! よかったわ!」と声がした。サラだ。




