(31)
◇ ◇ ◇
朝起きたイザベルは、窓の前に立ち空を見上げる。
澄んだ青空が広がっていた。
「絶好のピクニック日和ね!」
イザベルが大きく窓を開け放つと、心地よい風が室内に流れ込んできた。爽やかな空気が、今日の楽しい時間を予感させる。
そのとき、ドアをトントントンと叩く音がした。
「はい」
ガシャッとドアが開き、現れたのはすっかり出勤準備を整えたアレックスだった。朝アレックスが訪ねてきたことなど初めてなので、イザベルは不思議に思う。
「ルイスと出かけると言っていたのは今日だったな? メンタムの森は国によって管理されているので危険な生き物はいないはずだが、気を付けて」
「はい。かしこまりました」
イザベルは頷く。
昨日の夕食の際に、サラに教えてもらった湖畔のピクニックスポットにルイスと行くという話をしたから、心配して出勤前に立ち寄ってくれたのだろう。
「旦那様もお気をつけて」
「ああ。たしか『たとえ強盗に襲われている馬車を見つけても、自分でなんとかしようとせずに王都騎士団を呼べ』だったな?」
「はい。その通りでございます」
イザベルは頷く。
イザベルの持つグラファンの知識では、アレックスは近い将来亡くなる。死因は、たまたま強盗に襲われている馬車に遭遇して助けに入ったところ、魔法銃で撃たれたことによる銃創だ。
ただ、これを馬鹿正直にアレックスに伝えたところで絶対に信じてもらえないだろう。そこでイザベルは親戚が強盗に巻き込まれて大怪我したという作り話をして、何か危険に遭遇したときは王都騎士団を呼んでほしいと伝えたのだ。
アレックスが僅かに口元を綻ばせる。
「行ってくる」
「はい。行ってらっしゃいませ」
イザベルはにこりと微笑むと軽く片手を振った。
◇ ◇ ◇
「敷物に、お弁当の入ったバスケット、水筒も持ったし、お菓子のクッキーも入れたし──」
イザベルは丁寧に荷物の確認をしてゆく。
エマにも手伝ってもらい、ピクニックの準備は万全だ。
「おかーさま、もういける?」
「ええ。行けるわ」
「やったー」
ルイスは喜んでその場でぴょんぴょんと跳ねる。
「走っちゃだめよ?」
「うん」
急いた気持ちを抑えきれないのか、ルイスはぎりぎり歩いている認定になるかどうかという早歩きで玄関に向かい、そのまま馬車に乗り込んだ。
ルイスの正面にイザベルが、そして、ルイスのとなりにお供するエマが座る。
「じゃあ、行ってくるわね」
「はい。行ってらっしゃいませ」
使用人達に見守られ、馬車は出発した。
イザベルは車窓から流れゆく景色を眺める。
記憶が戻ってから、こうして馬車で遠出するのは初めてかもしれない。
「エマはときどきピクニックに行くことはあるの?」
「いえ、残念ながらないんです。でも、メンタムの森はピクニックスポットとして有名なので楽しみです。王都近郊の森には魔獣が出ますが、メンタムの森は国がしっかりと管理しているから庶民でも安心して楽しめるって言われています」
「へえ、そうなのね。知らなかったわ」
どんなところなのかと楽しみになる。
三十分ほど馬車で走ると、大きな橋に差し掛かった。
(ここを右に行けって言っていたわよね)
イザベルは前方にある小窓を開け、御者に声を掛ける。
「橋を渡ったら右に行ってね」
振り返った御者は、馬車を橋のはじに寄せて怪訝な顔をする
「もう少し先を右ではございませんか?」
「工事中で通れないみたいなの」
「そうなのですか。存じ上げず申し訳ございません」
御者は恐縮したように頭を下げると、馬車を走らせる。
橋を渡ると、右折して道なりに進んだ。
間もなくして、道は行き止まりになる。道の終わりには馬車置き場と思しきちょっとした空き地があった。
「ピクニック日和なのに、わたくし達以外誰も来ていないのね」
「そうですね」
エマは辺りを見回す。
空き地に停まっている馬車はアンドレウ侯爵家の一台だけだ。
「おかあさまー! はやくー!」
一足先に森の入り口付近に行ったルイスが、馬車の横に立つイザベルに呼びかける。
「ええ。わかったわ」
イザベルは御者のほうを見る。
「二時間くらいで戻るつもりだから、ここで待っていてくれる?」
「はい。かしこまりました」
御者は帽子を脱ぎ、了承の意味を込めて頭を下げる。
「貸し切りだと思えばいいのだわ。さあ、行きましょう。奥に湖があるらしいの」
三人は森の入口から続く小道を、奥へと進み始めた。
(ピクニックスポットとして有名って言う割に、あまり手入れがされていないのね)
道はあるにはあるのだが、周囲に草がぼーぼーに生えていて、けもの道といったほうがしっくりくるようなお粗末なものだ。
それに、看板なども何ひとつなく、一歩間違えれば迷子になりかねない。
「ねえ、ここって──」
本当にピクニックスポットなのかしら?と言いかけたそのとき、前方を歩くルイスが「みじゅうみみえたよ!」と叫ぶ。
前方に目を凝らすと、木がなくなって明るくなっている部分が見えた。地面が光っているように見えるのは、水面に太陽の光が反射しているからだろう。




