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「ルイス・アンドレウ……。アレックス様の息子と全く同じ名前だわ。アンドレウ侯爵家が代々優秀な魔術師家系なのも同じだし──」
ルイスは幼いときに母が失踪しており、代わりに嫁いできた母親──つまり、イザベルのことだ──がとんでもない悪虐継母だったという設定になっていた。そして、この悪虐継母のせいで彼は人格形成に問題を抱え、ドン引きするレベルのヤンデレ男になるという流れだ。
そのため、グラファンの中でルイスルートに進んだ場合は彼が用意した檻の中に手錠をかけられ閉じ込められ、一生囚われて生きていくというメリーバットエンドだった。
「怖っ! 檻の中に手錠をかけて閉じ込めるって、完全に犯罪行為よね」
イザベルはぶるりと体を震わせる。二次元なら許されても現実世界でやったら大問題だ。
そして、その他のルートではヒロインを手にできなかったルイスが『僕のものにならないなら、いっそ死んでくれ』とヒロインに微笑みかけ殺そうとするところを他の攻略対象者にボコボコにされて命を落とすという胸糞展開だった。
犯罪者か、死かの究極の二択。
(グラファンのシナリオ作家は何かルイスに恨みでもあったのかしら?)
本気でそう思ってしまうほどのバッドエンドばかりである。
「つまりわたくしは、彼が愛着障害のヤンデレになるきっかけを作った悪虐継母ってことよね?」
自分の立ち位置をはっきりと理解したイザベルは、再び頭を抱える。
先ほどのアレックスへの罵詈雑言からして、「イザベル(わたくし)がそんなことするわけない」と言い切れないのが痛いところだ。いや、記憶が戻る前のイザベルならきっとやる。
(昔から、触らぬ神に祟りなしって言うわよね?)
記憶を取り戻した今、ルイスを虐める気は毛頭ない。だが、なにせここは乙女ゲームの世界だ。何が起こるかわからない。よくいう、ルート補正というやつがいつ発動するかわからないから、油断はできないのだ。
(わたくし、ちゃんと生きて老後を迎えられるかしら?)
イザベルは今日何度目になるかわからない、深いため息を吐いたのだった。
◇ ◇ ◇
イザベルの寝室を出たあと、アレックスはその足で自分の執務室へと向かった。いらいらで気分が昂り、眠れそうにないからだ。
サイドボードから蒸留酒を取り出し、乱暴にグラスに注ぐとぐいっと飲み干す。アルコール度数の高い酒が喉を通り抜ける独特の感覚がした。
「とんでもない女が来たものだ」
その一言に尽きる。
評判の悪さは事前に知っていたが、想像を超えていた。
見た目は美しく女神のようだが、実のところその内面は難ありどころではない。むしろ、難しかないのではなかろうか。
幼き日に父を病で亡くしたアレックスは、十八歳で成人すると共にアンドレウ侯爵家の当主となり、二十一歳のときに一度結婚している。前妻は向こうからの打診で婚約した、とある子爵令嬢だった。そして、結婚して一年ほど経ち、息子のルイスが生まれた。
はたから見れば幸せな結婚生活だろう。しかし、内情は幸せとはかけ離れていた。
魔法庁の長官をしているアレックスは、日々持ち込まれる魔法に関するトラブルや、定例の会議などでとても忙しい。繁忙期になれば職場に何日も泊まり込むこともざらだった。
前妻は精神的に脆い女だった。
アレックスが仕事でいない寂しさから、当てつけのように男遊びをするようになったのだ。もちろん、ルイスや屋敷のことを放ったらかしだ。
そして、ルイスが二歳になったときに決定的な事件が起きた。
前妻が愛人の男と駆け落ちし、姿を消したのだ。
アレックスは当然のことながら、彼女の行方を必死に探した。馬車が土砂崩れ事故に遭遇し、遺体からアンドレウ侯爵家の家紋の入ったネックレスが見つかったと知らせが入ったのはそんな折だった。
崩れ落ちた土砂に無残に押し潰された馬車は、原型をとどめていなかった。
乗っていた若い男女は見るに堪えない状況で、ルイスに彼女との最期の対面をさせてやることは叶わなかった。
不幸中の幸いは、亡くなった女が身元の判明に繋がる所持品──アンドレウ侯爵家の家紋入りネックレスを付けていたことだろう。
アレックスは再び酒を煽ると、はあっと深いため息をつく。
「ルイスに母親を作ってやりたかったのだが──」
アレックスが後妻を探していた理由は、それに尽きる。
息子のルイスはまだ魔力の制御がうまくできず、たびたび魔力を暴走させてしまう。そのため、お世話係を付けても怖がってすぐに辞めてしまうのだ。
アレックスは先ほどのイザベルの様子を思い返す。
『──挙句の果てに、前妻との間に子供がいるですって? 血も繋がらない子供なんて面倒でしかないわ!』
憎々しげにそう言い放ったイザベルから、ルイスを可愛がろうという意思はほんの欠片も感じられなかった。むしろ、害をなす可能性すらある。
(使用人達に、あの女をルイスに近づけないよう伝えるか)
だが、曲がりなりにも彼女はここアンドレウ侯爵家の女主人であり、彼女に強く命じられれば使用人達も歯向かうことはできないだろう。
(公爵令嬢でなければ、今すぐにでも追い出すものを)
忌々しさから、グラスを持つ手に力が籠る。
二度目の結婚の幕開けは、最悪なものであることは間違いなさそうだ。