(22)
「そんないい加減なことはしません」
アレックスはぶっきらぼうに言う。
「では、屋敷のこともそうすることね」
バルバラはアレックスの言い方に怯むことなく、冷ややかにそう言った。
「わたくしはあなたが立派に独り立ちしていると思ったからこそ隠居したのよ。失望させないで」
「どういう意味ですか?」
「人の上に立つものなら、大きく目を開いてしっかり周りを見なさいということよ」
「……肝に銘じます」
言われなくてもしっかり見ています、という言葉はすんでのところで呑み込む。
「また来るわ。ごきげんよう」
「…………。お気をつけて」
──アレックスははあっと息を吐く。
(まさか母上に相談するとは)
帰ったらイザベルに文句を言いに行こうと思い、すぐに思いとどまる。
そんなことをしては、バルバラが言う通り〝事実確認もしないいい加減な対応〟になってしまう。
「ひとまず、サラに事実確認をするか」
いつもより早めに帰宅したアレックスはドールに言付けを頼み、サラを呼ぶ。彼女はさほど時間を置かず現れた。
「アレックス! 呼んだ?」
「ああ。サラの報告してくれたイザベルに関することについてだ」
いつものように気安い様子のサラに、アレックスは問いかける。
「奥様に関すること?」
「ああ。ここに書いてある事柄は全て事実か?」
アレックスはサラが書いたイザベルに関する記録を見せる。
「もちろんよ」
サラは頷く。
(では、ルイスが悪女に騙されているということか?)
わけがわからない。
「ところで、どうしてそんなことを?」
突然呼び出されて聞かれたことを不審に思ったようで、サラは探るようにアレックスを見つめていた。
「ちょっと気になることがあるんだ」
アレックスは多くを語らず、話を逸らす。だが、サラは再び話を戻した。
「もしかして、誰かに何か言われたの?」
「いや、そういうわけではない」
「ならいいのだけど……。それにしても、ルイスったら今日も塞ぎ込んでいて可哀そう。よっぽど奥様に池に突き落とされたのがショックだったのね」
サラは沈痛な面持ちではあっと息を吐く。
「そうだな……」
アレックスは返事をする。だが、心のどこかで引っかかりを覚えたままだ。
(居合わせた使用人にも確認してみるか)
そして、サラには告げず、使用人を順番に呼び出して事実確認を行ったのだが──。
何人目かの使用人が執務室を出て行く。その後ろ姿を見送ったアレックスは、額に手を当てた。
(一体、どうなっている)
ここまで話を聞いた使用人達から得られた証言は、信じがたいことばかりだ。
「奥様はお坊ちゃんを大層可愛がられており、暇さえあれば遊んであげています」
「先日は、眠れないというお坊ちゃまのベッドの隣に座って、眠るまで絵本を読んであげておりました」
「奥様はお坊ちゃんのためにお菓子をご自分で作っておられました。お坊ちゃんは奥様を実の母親のように慕っていらっしゃいます」
使用人達から得られた証言は、どれもイザベルを称賛するものばかりだ。
「イザベルがルイスを虐めていたということは?」
アレックスの問いかけに、皆が口を揃えて「それはありません」と断言する。それどころか、イザベルが来てからルイスの魔力暴走の頻度が格段に減ったのでとても助かっているとも言っていた。
厨房を占領したのはルイスのおやつを手作りするため、庭の草木を刈り取らせたのはルイスが害虫に刺されないようにするため、使用人達の部屋を訪れたのは彼らと話をしたかったから。
彼らの話を総括すると、報告書にあったような事柄は事実としてあったものの、その理由は想像していたものとは全く違った。
(初日の夜は「面倒ごとでしかない」と言っていたのに、一体どんな心変わりだ?)
使用人達から聞くイザベルと自分が初夜に見たイザベルの人物像があまりに違いすぎて、本当に同じ人なのかと疑いたくなるほどだ。
だが、確かにわかったことがひとつ。
イザベルはルイスを害したことは一度もないということだ。
となると、解せないことがひとつ。
(サラは一体どういうつもりなんだ?)
サラの報告に嘘はない。ただ、あれを読めばアレックスがイザベルが横暴を働いたと誤解することは容易に予想できたはずだ。
もう少し背景まで伝えてくれれば、と思わずにはいられない。
(いや、サラを責めるのはお門違いだな。彼女に頼んだ私に責任がある)
その後、アレックスは重い足取りでルイスの部屋に向かった。ドアをノックすると、「だれ?」とルイスの声がした。
「父様だ」
アレックスがドアを開けると、すでにベッドに入っていたルイスはハッとしたように布団をかぶって隠れる。アレックスはそんなルイスのベッドの横まで歩み寄る。
「ルイス。お母様のことだが──」
「ぼく、ききたくない!」
「私が間違っていた。あの日、何があったのか教えてくれるか?」
アレックスが続けた言葉に、ルイスは驚いたような顔をして布団から顔を出した。
「おかあしゃまはわるくない?」
「それは、これからお前の話を聞いてから判断する。だが、話も聞かずに叱責したのは私が悪かった」
「おかあさまはわるくないよ! おいけのまわりはあぶないからいかないでっていってたもん」
「そうか。それで、あの日はどうして池の中に?」
「ぼくがあしをしゅべらせておっこちちゃったから。おかあさまはぼくをたすけようとしてた」
「どうして池にそんなに近づいたんだ?」
「それは……」
ルイスは一瞬口ごもる。そして、おずおずと「おとうさまにいしをあげたかったから」と言った。
「石?」
アレックスは首を傾げる。
「うん、これ」
ルイスはベッドから下りると、机から小さな瓶を持ってくる。中には、色とりどりの小石が入っていた。




