(19)
ルイスが魔力を暴走させてから三日。
割れたり散らばったりした家具はきっちりと片付けられ、アンドレウ侯爵家は平穏を取り戻していた。
なお、件の事件の際に居合わせたメイドからは退職願があった。
きっと、『よくある子供向けの脅し文句を言っただけなのに、ルイスが過剰に反応して命の危険に晒されるような大爆発が起きた』とでも思っているのだろう。
そんな中、イザベルに朗報が届いた。
「バルバラ様からだわ。近々ここを訪問してくださるのね」
イザベルは今日届いたばかりの手紙を見て、喜びの声を上げる。
アンドレウ侯爵家の別邸は馬車で数時間の場所にある。往復するだけで半日かかってしまい、そう頻繁には行き来できないので、バルバラが来てくれるのはとてもありがたかった。
「大奥様にお会いするときに時間を無駄にしないように、何を相談したいかきちんと纏めておかなきゃ」
イザベルは机に向かい、バルバラに相談したい内容をしたためる。
この家の女主人としての役目についてや、ルイスに関すること。話したいことはたくさんだ。
夢中でその作業をしていると、ふと部屋のドアをノックする小さな音がした。
「はい?」
イザベルが返事すると、ドアがゆっくりと開く。隙間からひょっこりと顔を覗かせたのはルイスだ。
「ルイス? どうしたの?」
イザベルはすぐに立ち上がり、ルイスのほうへ行く。
ルイスは上目使いでイザベルを見上げ、おどおどと口を開いた。
「あの……ぼく、おそとにあそびにいきたいの」
「お外? 誰も一緒に行ってくれる人がいないのね?」
もじもじとした様子でピンときてそう尋ねると、ルイスはコクッと頷く。
「じゃあ、一緒にお外に行きましょう」
「うん!」
ルイスは満面に笑みを浮かべる。
(可愛い!)
ちょっとした仕草の一つひとつがとにかく可愛い。
(はあ。私の癒し)
あんなにいけ好かない仏頂面の男の息子がこんな天使のような子だなんて、まさに遺伝子の神秘。
「じゃあ、行きましょう。エマ、ちょっと庭に出てくるわ」
イザベルはエマに声を掛ける。
「はい。行ってらっしゃいませ」
イザベルはエマを部屋に残し、ルイスを連れて庭へと出た。
◇ ◇ ◇
アンドレウ侯爵家のタウンハウスにある庭園は季節の花が咲き乱れる花壇に小さな魚が泳ぐ池、それに、ちょっとした休憩ができるガゼボもある本格的なものだ。
「おかあしゃま、これみて」
ルイスは地面にしゃがみ込むと、何かを拾い上げて得意げに見せる。それは、小さな石だった。
「まあ、とっても綺麗ね」
「うん。ふたつあるから、ひとつおかあさまにあげる」
「ありがとう」
イザベルの手のひらに載せられたのは、緑色がかった半透明の小石だった。サイズは小指の爪の半分ほどだ。
「もうひとつはおとうさまにあげたらよろこんでくれるかな?」
「そうね。きっと喜んでくれるわ」
にこりと微笑みかけると、ルイスは嬉しそうにはにかむ。
この石探しは最近のルイスのお気に入りの遊びで、イザベルの部屋には、既に六つの小石が置かれている。一緒に庭に行くたびに少しずつ増えて、この数になった。
「あとは──」
ルイスはまた石を探し始める。地面を眺めながら、タッタッタと池のすぐ近くに駆け寄った。
「ルイス。あまり池の近くに行くと危ないわよ」
イザベルは池の淵に立つルイスに声を掛ける。
「大丈夫だよ。ほらっ」
そう言ってルイスが振り返った瞬間、彼の足元がずるっと滑る。池の水で、地面がぬかるんでいたのだ。
「危ない!」
イザベルは慌てて手を伸ばす。しかし、イザベルの手は虚しく宙を掴み、ルイスの体が池へと落ちる。
「ルイス!」
バッシャーンという大きな水音が響き、ルイスの体が池に落ちた。
(大変!)
だいぶ暖かくなったとはいえ、池の水温はまだ低いはず。早くお風呂に入れて着替えさせないと風邪をひいてしまう。
ルイスはびっくりしてしまったのか、尻もちをついたまま「うわーん」と泣き始めた。魔力が暴走しだしたのか、辺りに強い風が吹く。
「ルイス!」
イザベルがルイスを助けようと、慌てて池の端に立って手を伸ばしたそのときだ。
「──何をやっている!」
背後から大きく、鋭い声が響いた。
「え?」
びっくりして声のほうを見ると、そこには険しい表情のアレックスが立っていた。ちょうど外出先から帰ってきたところのようで、手には紙袋を持っている。
アレックスは大股でイザベルのほうに歩み寄ると、そのすぐ横を通り抜けてルイスを抱き上げる。
「あ……」
上質な上着が池の水で濡れてしまっていた。
咄嗟に言葉が出ないイザベルを、彼は睨み付けた。
「私の息子に何をしようとしていた! 二度と息子に近づくな。二度とだ!」
激しい怒りを露わにしてアレックスはイザベルを叱責する。そして、ルイスを抱いて屋敷の中へと入っていった。
「まあ! お坊ちゃん、どうしたのですか!」
「早くお風呂に──」
屋敷の中から、使用人がびっくりする声が聞こえてきた。
イザベルはそれを聞きながら、その場に立ち尽くす。
『私の息子に何をしようとしている!』
『二度と息子に近づくな。二度とだ!』
アレックスから言われた言葉が脳裏に蘇る。
(なんにも知らないくせに)
どうしてあんなにも、憎悪に満ちた眼差しを向けられなければならないのだろう。
イザベルはやるせなさと口惜しさから、ぎゅっと拳を握った。




