(18)
「きゃー!」
穏やかな昼下がり、ガッシャーンとガラスが割れるような大きな音と共に、若い女性の甲高い悲鳴が屋敷内に響き渡った。
ルイスのために編み物をしていたイザベルは、ハッとして彼の部屋へと向かう。
部屋の前では、突然の事態に腰をぬかした侍女が恐怖のあまり呆然としていた。
「ルイスは?」
「お、お部屋の中に」
「わかったわ」
イザベルは躊躇することなく部屋の中に入る。背後から「奥様、危険です!」と侍女が止める声がしたが、イザベルはその声を無視して奥へと進んだ。
「これは……酷いわね」
窓ガラスが割れ、床には砕けたガラス片や吹き飛ばされた紙くずなどが雑多に散らばっていた。そして、荒れた部屋の中央には体育座りをして小さくなったルイスがいた。
「ルイス、大丈夫?」
イザベルは迷うことなくルイスに駆け寄り、彼を両腕で抱きしめる。
「今日はどうしたの?」
優しく問いかけると、ルイスは顔を少しだけ上げた。
「あのひとが、ぼくがいいこにできないからこくりゅうがとんできてつれていくって」
ルイスは先ほど廊下でへたり込んでいた侍女を指さす。イザベルと目が合うとその侍女は、自分は悪くないとばかりに首をぶんぶんと振る。
「そんなことを言ったの?」
「わたくしはお坊ちゃんに、好き嫌いなく食事を摂っていただきたいと──」
「質問の答えになってないわ。言ったの、言ってないの? どっち?」
「……言いました」
イザベルははあっと息を吐く。
黒竜に連れて行かれる、というのはこの国──スリアではよく使われるフレーズだ。主に、子供が言うことを聞かない時に親や先生が脅し文句として使うことが多い。
「ルイス、大丈夫よ。あなたは悪い子なんかじゃないから、黒竜に連れて行かれることもないわ」
「ほんとう?」
ルイスは涙にぬらした顔を上げ、イザベルを見上げる。
「ええ、本当よ。ただ……ご飯を全部食べないと大きくなれないから、万が一竜が町に来たときに戦えないわ」
ルイスはハッとしたような顔をする。
「ぼく、ごはんぜんぶたべる。もしりゅうがおそってきたら、おかーさまのことはぼくがまもってあげる」
「まあ、本当? 嬉しいわ。じゃあ、今からしっかり食べて大きくなりましょうね」
「うん!」
力強く頷くルイスを見つめ、イザベルは目を細める。そして、「いい子ね」と言ってもう一度ぎゅっと抱きしめる。
「お部屋のお片づけをしないといけないから、お母さまのお部屋にいらっしゃい。絵本を読んであげる」
「ほんとう? いく!」
今さっきまで不安げにしていたルイスは、たちまち目をきらきらと輝かせた。
(ふふっ。可愛い)
イザベルはルイスを私室に連れて行くと、膝の上に乗せて絵本を読んであげる。
しばらくすると、ルイスはすーすーと規則正しい寝息を立て始めた。魔力を暴走させたこともあり、疲れてしまったのだろう。
イザベルはルイスの体をベッドに移すと、布団をかけてやる。
寝ている姿は本当に、天使そのものだ。
(エマの話を聞くに以前より頻度は減っているみたいだけど……、やっぱり根本的な解決は有能な魔術師に魔力の扱い方を習うしかないんじゃないかしら)
イザベルはルイスの寝顔を見つめながら考える。
魔力を持つ者は誰しも、〝意志に合わせて魔力を操る訓練〟を行う。これができないと魔法を使うことができないからだ。
そして、特に豊富な魔力を持つ者達にとってこの〝魔力を操ること〟は、何よりも重要だ。なぜなら、魔力を操れずに暴走させると、爆発や突風など様々な現象を意図せず引き起こしてしまうことがあるから。
ルイスはグラファンのなかで〝天才大魔術師〟と言われたほどの稀代の魔術師だ。
魔力の量も通常の魔術師とは比べ物にならない。そのため、魔力を暴走させてしまった際の威力も凄まじいのだ。
魔力制御の訓練は十歳くらいから始めるのが一般的だ。しかし、ルイスに関してはそんな悠長なことは言っていられないと思った。
まだ魔力を自分の意思に合わせて制御できないルイスは、不安や苛立ちで気持ちが昂ると、たびたび魔力を暴走させていた。
この魔力の暴走さえ抑えられれば、今のように屋敷の使用人達から避けられることもなくなるはず。そうすれば、ルイスが孤独になることもなくなるので愛着障害になる可能性も少しは低くなるはず。
(それに、早くしないと……)
頭に過ったのは、ルイスの父──アレックスが再婚後まもなく亡くなったというグラファンの設定だ。
万が一その日が来てしまったら、取り返しがつかなくなる。
だが、アレックスはいつもあの調子でイザベルを避けるので、まともな話し合いにならない。ドールやサラに頼めばイザベルの伝言を伝えることはできるだろうが、真剣には取り合ってくれないだろう
「味方が必要だわ……」
アレックスにも影響を与えるような、強い味方が欲しい。
最初に思いついたのは先日屋敷を訪れた前魔法庁長官だが、イザベルはやっぱりダメだと首を横に振る。たとえ相手が引退したとはいえ、職場の元上司に家庭の問題を無断で相談するのはよくないだろう。
考え込んでいたそのとき、ハッとする。
「そうだわ。大奥様に話せばもしかして──」
アレックスの母であるバルバラには結婚式で会っているが、彼女は挙式に参列後すぐに自分の屋敷へと戻ってしまったので記憶が戻ってからは話したことがない。
だが、エマの話ではこれまで屋敷のことを執り仕切っていたのはバルバラのようなので、まだアンドレウ侯爵家に影響力を持っているはずだ。
「早速手紙を書いてみましょう」
イザベルは何を伝えればいいか頭の中を整理しながら、手紙をしたためる。
それをエマに託し、バルバラの元へと届けさせた。
昨年はたくさんの応援ありがとうございました。
最後まで頑張りますので今年も応援よろしくお願いします!