(16)
イザベルがアンドレウ侯爵家に嫁いで二週間が経った。
夫のアレックスとは全く会わないし使用人達はよそよそしいまま。それでも、少しずつイザベルとお喋りしてくれる人は増えてきた。
この日、その貴重な〝お喋りしてくれる人〟のひとりと一緒に、イザベルは庭園にいた。
「こっちは終わった?」
「はい。一通り見終わりました」
「よかった。じゃあ、怪しいところはもう全部大丈夫かしら?」
「そうですね。葉っぱも切り落として確認しましたから、大丈夫かと」
イザベルから問いかけられ、庭師が答える。
ふたりが眺めているのは、庭園の草木だ。
「奥様、お付き合いいただきありがとうございます」
「あら、いいのよ。わたくしのほうが頼んだんだから」
イザベルは庭師に向かって、朗らかに微笑む。
庭師は人の好い笑みを浮かべると、ぺこりと頭を下げて別の場所へと移動していった。
先日、イザベルはルイスを庭園に連れ出した。いつも部屋にいるようなので、たまには外に連れ出そうと思ったのだ。
その際、庭園の歩道に毛虫がいるのをルイスが見つけ、初めて見る生き物に興味を持った彼は不用意に触れようとした。咄嗟にイザベルが止めたものの、一歩間違えればそのまま素手で触っていただろう。
イザベルはすぐに毛虫を発見した周辺の草木を確認した。すると、そこにはたくさんの毛虫がいたのだ。
なので、イザベルは庭師に頼んで毛虫が潜んでいそうな葉を全て刈り取らせ、もういないかをこうしてさらに確認していたのだ。
(毛虫って触ったらもちろん危ないし、毒毛を飛ばすから侮れないのよね。特に小さな子供は刺されたら大変だわ)
イザベルは改めて、目を皿のようにして草木を眺める。見える限りの範囲に、毛虫はいない。
(よし! これでルイスを庭で思いっきり遊ばせることができるわ!)
やり切った気持ちでしばらく庭園を眺めていると、「あらっ。こんなところにいらっしゃったんですね」と可愛らしい声がした。
イザベルは声のしたほうを見る。
「あら、サラさん。どうかしたの?」
そこには、清楚なワンピースドレス姿のサラがいた。
「アレックスから奥様に伝言よ。今日の二時半に大事なお客様が来るから、奥様も一緒に出迎えて欲しいって」
「え? わたくしも?」
イザベルは驚いて聞き返す。
これまでアレックスがイザベルに頼みごとをしてきたことは一度もなかったから。そもそも、結婚してからほぼ顔をあわせていないので頼みごとはおろか、普通の会話すらない。
そんな関係にある彼が、イザベルに頼みごとをするなんて。
(そもそも、アレックス様が今家にいることすら知らなかったんですけど?)
何度も会いたいと伝えているんだから日中家にいるなら言いなさいよ! とイラっとする。
(よっぽど大事なお客様なのね)
きっと彼が進んでイザベルに頼んだというよりは、妻と一緒に出迎えないと失礼に当たるような賓客が来るということなのだろう。
「お客様はどなたか知っている?」
「いいえ。そこまでは聞いてないわ」
サラは首を横に振る。
「そう。教えてくれてありがとう」
「ええ。用事はそれだけだから。じゃあまた」
サラは笑顔で手を振ると、早足で屋敷のほうに戻っていく。その後ろ姿を見届けてから、イザベルはポケットから懐中時計を取り出した。
「まだ時間があるから、ゆっくり準備できるわね」
イザベルはまずは体に付いた泥を落とそうと、部屋へと戻っていった。
貴婦人の身だしなみ準備には、概して時間がかかる。
ゆっくりと浴槽で体を清めたイザベルは、時計を見る。時刻は一時半だった。
(あと一時間か。ちょうどいい時間ね)
そのとき、コンコンと部屋のドアを何度かノックする音が聞こえた。
「はい」
返事をすると、すっかり打ち解けて最近イザベル付きの侍女の役目を果たしてくれているエマが顔を出す。
「奥様。お客様がいらしているようです」
「え?」
「既に、旦那様も応接室でお待ちです」
イザベルはもう一度時計を見る。やはり時間は一時半過ぎだ。
(二時半じゃなかったの?)
一時間早まったのだろうか。それとも、サラが言い間違えた?
どちらにせよ、お客様はもう来ているのだから、すぐに行かなければならない。
「すぐ行くわ。エマ、準備を手伝って」
「はい。ただいま」
エマは素早く、メイク道具をイザベルの前に並べる。
「髪の毛はいかがなされますか?」
「結っている時間はないからそのままでいいわ。何か髪飾りを」
「はい」
エマはイザベルの耳の少し上の辺りに、花を模した白色の髪飾りをつけてくれた。
「ありがとう」
イサベルは急いで部屋を出ると、階下へと駆け降りる。客間に行くと、そこにはアレックスと見知らぬ老夫婦、それにサラがいた。
(どうしてサラまで?)
訝しく思ったが、それを聞く前に来客の老夫婦が立ち上がる。
「奥方でいらっしゃいますか?」
「はい。イザベル・アンドレウと申します。ご挨拶が遅れまして申し訳ございません」
「いいえ。こちらこそ少し早く着いてしまったようで申し訳なかったね」
老夫婦はそう前置きすると、自身も自己紹介をする。男性は魔法庁の前長官、女性はその妻だということがわかった。
つまりアレックスにとっては元上司であり、今も魔法に関するさまざまな事項に関して影響力を持つ人物ということになる。




