❖ アレックスの奥様(サラ視点)
アレックスが結婚する。
そう聞いたとき、サラは衝撃を受けた。
アレックスは若き侯爵でありながら、容姿も整っており性格も温厚、平民である幼馴染のサラに対して一切高圧的な態度をとることもない。彼は多くの女性にとって理想的な男性だ。
だから、サラがアレックスに恋心を抱いたのは、ごく自然な流れだった。
彼の隣に立って笑っているのは、自分でありたい。
そんな願いが当たり前のように叶うと思っていた頃のサラは、きっとまだ子供だったのだろう。
アレックスは二十二歳のときに最初の結婚をした。サラではない、これまで一度も会ったこともない貴族令嬢と。
(許せない。彼の隣は、私のものだったのに)
そんな思いが、胸の内に吹き荒れる。
アレックスの妻になったのは、サラと年頃の変わらない女だった。高級なドレスに身を包み、厚い化粧を顔に塗ったいかにも〝貴族〟という見た目だ。
美人ではあるものの、サラが太刀打ちできないような極上の美人ではないと思った。
やがてその女性がアレックスの子供を身籠ったと知ったときは、嫉妬で頭がおかしくなりそうだった。
サラがずっと見つめ続けていた男性が、他の女を抱いて愛を囁いているなんて。
(こんなの、間違っているわ)
こんな不条理が許されるはずがない。なぜなら、この世で一番アレックスのことを理解し、愛しているのは自分のはずなのだ。
だから、サラは全力を尽くしてその妻を排除することにした。
『こんな場所、つまらないですよね』
『旦那様は今日もお仕事が遅いのですか? 奥様、お可哀そう』
『この仕事は私が代わっておきますから奥様はどうぞゆっくりなさってください』
あくまでも彼女に寄り添うように見せかけ、徐々に心にダメージを与えてその居場所を奪っていく。アレックスの妻が外に愛人を作り、まだ赤ん坊だったルイスそっちのけで頻繁に出歩くようになるまでに、そう長い時間は要さなかった。
そして一年ほど経過したある日、彼女が馬車の事故で亡くなったと連絡があった。遺体は損傷が激しく顔の判別は困難だったが、身に着けていた小物からアンドレウ侯爵家の家紋が見つかり、彼女だと推定された。
追い出すだけで別に殺すまでは考えていなかったけれど、結果としてアレックスの妻は亡くなり、アレックスは独身に戻った。
(うふふ。これでアレックスは私のものね)
サラは努めてアレックスのそばに寄り添い、彼を精神的に支えた。
アレックスと嫌いな女の子供なんて可愛くもなんともなかったけれど、彼に気に入られるために何かとルイスの世話も進んでやった。
『サラがいてくれて助かったよ』
アレックスがそう言ったとき、どんなに舞い上がったか。
けれど、サラが彼の妻になることはなかった。アレックスの母であるバルバラが難色を示したからだ。
『どうして私ではだめなのですか!』
サラが訴えると、バルバラは冷えた視線を彼女に向ける。
『貴族の当主夫人を全うするためには、本人同士の気が合うだけじゃダメなのよ。アレックスが一度でもあなたと結婚したいと言ったことがある? それが答えよ』
突き放すように言うと、バルバラは部屋を出て行く。
それでもサラは悲観していなかった。
バルバラは既に五十歳。今はまだ定期的に屋敷を訪れては女主人がいない穴を埋める気力と体力もあるけれど、そう長くはもたない。そうなったとき、困ったアレックスが頼ってくるのは自分に決まっている。
そう信じていたのに──。
数カ月前、いつものように訪れたアンドレウ侯爵家がどこか忙しない気がした。使用人達がいなくなった前夫人の部屋を片付けしているのだ。
「急にどうしたの?」
「新しい奥様がいらっしゃることになったのです」
声を掛けた使用人はサラの質問によどみなく答える。
「再婚する? アレックスが?」
すぐには理解できなかった。いや、理解したくなかったのかもしれない。
(どうして?)
聞けば、新しく迎えるアレックスの妻は社交界でも有名な悪女だという。周囲と何かとトラブルを起こし、評判は最悪だ。
「どうしてそんな女を迎えるのですか!」
サラはすぐにバルバラに抗議をした。よりによって、アレックスの妻が悪名高い女だなんて。こんなことなら、さっさと自分を迎え入れておけばよかったのだ。
怒りで顔を赤くするサラを、バルバラは一瞥する。
「今度いらっしゃるイザベルさんは、バレステロス公爵家のご令嬢よ」
「それがなんだというのです! 悪女は悪女です。今からでも破棄すればいいのだわ」
強く抗議すると、バルバラははあっと息を吐く。
「それを知っていて『破棄すればいい』だなんてよく言えること。あなたは何もわかっていない」
ガツンと頭を殴られたような衝撃を受けた。
──あなたは何もわかっていない。
その一言で、バルバラがサラのことを〝話す価値もない相手〟として見ていることがありありとわかった。
(なによ。たかが爵位があるくらいで)
こんなこと、絶対に許さないと思った。
その日、サラはアレックスに会いに行った。いつものように、純真無垢という言葉がぴったりな穏やかな笑みを浮かべて。
「アレックス。話があるの」
執務室のドアを開けると、執務机に向かって仕事していた彼はサラに目を向ける。
「サラ? どうした?」
「聞いたわ。再婚するんですって?」
その瞬間、アレックスの表情が曇ったのをサラは見逃さなかった。
(やっぱり、アレックスもこの結婚に乗り気ではないのだわ)
サラの中に燻っていたわだかまりがほんの少し消えてゆくのを感じる。
「ひどい悪女だと聞いたわ。今からでも止めたほうがいいんじゃない?」
「それはできない」
「なぜ?」
「……色々あるんだ」
はあっと息を吐いたアレックスの態度に、きっと新しい妻の実家の爵位が影響しているのだと悟った。
(公爵令嬢がなんだっていうのよ)
サラはぎゅっと拳を握る。
(絶対に追い出してやるわ)
アレックスと自分の幸せな未来のためなら、そんな女、いないほうがいい。




