(15)
◇ ◇ ◇
ここは、イザベルの私室だ。
目の前に座るイザベルは、にこにこしながらエマを見つめている。そして、ふたりの間にあるテーブルにはクッキーが置かれていた。
「ねえ、エマ。あなたから見て、サラはどんな方なの?」
「どんな方って……、しっかりした方です」
イザベルがどんな答えを望んでいるかわからず、エマは無難な表現を返す。すると、イザベルはふむと頷くように考え込んだ。
「彼女はアレックス様の恋人かしら?」
「それは……わかりかねます」
エマは困ってしまい、小首を傾げる。
確かにサラとアレックスの関係を疑う声はメイド仲間からも頻繁に聞くが、想像の域を出ない。下手なことを言ったらイザベルが激高してしまうかもしれない。
(どうしてこんなことになっているのかしら?)
正直、エマはとても困惑していた。
今日の午前中、メイドの控室に休憩に行ったらたまたまイザベルに遭遇して、クッキーを渡された。
それはメイド仲間と美味しくいただいたのだが、つい先ほどまたイザベルに会ったのでクッキーのお礼を伝えると、なぜかお茶に誘われたのだ。
もちろん恐れ多いと固辞したのだが、三十分だけでいいからと押し切られてしまった。
メイドの控室に置かれたものとは比べ物にならないほど上質な紅茶も、緊張で味がよくわからない。
なにせ、イザベルはいつ癇癪を起すかわからないとメイド仲間で恐れられているのだ。
──イザベルが嫁いできた日のことを、エマはよく覚えている。
アレックスの前妻は美しい人ではあったが、ヒステリックで気に入らないことがあるとすぐに癇癪を起した。
やがて夫婦仲が冷えるにつれ息子であるルイスの世話もしなくなり、遂には夫ではない男性と公にはできない関係になり、駆け落ちした挙句に事故で亡くなった。
あれから二年が経ち、次に嫁いできたのが現在のアレックスの妻であるイザベルだ。
イザベルは挙式の際から既に不機嫌だった。屋敷に戻るなり、玄関ホールに飾られている花の一部が萎れているのはどういうことかと怒り、近くにいた使用人を扇子で引っぱたいた。そして、夕食の際は嫌いなきのこを入れたのは嫌がらせかと騒ぎ立て、料理人を鞭打ちにしようとしたのだ。
気に入らないことがあればすぐに怒り狂い、何かとトラブルを起こすトラブルメーカー。さらに、使用人のことを人だとも思っておらず虐待し、イザベルとかかわった使用人は皆短期間でその職を辞してしまう。
そんな噂を聞いたときはさすがに誇張しすぎだと思ったが、実際に目の前に現れたイザベルは噂通りの人柄で本当に驚いた。
その場はアレックスが収めてくれたが、ほんの五分程度の騒ぎは使用人全体に彼女に対する恐怖心を植え付けるには十分な出来事だった。
以来、使用人達はイザベルには極力近寄らないようにしている。
もちろん、エマもそのひとりなのだが──。
「話は変わるけど、ルイスはどんな子か教えてくれる?」
「大人しいお子様です。ただ、できないことがあると癇癪を起すことがあり──」
「癇癪? ルイスは癇癪を起すとどうなるの?」
「突然爆発が起きたり、本棚が倒れてきたりします。実は、使用人が大けがをする事故が何回かありまして──」
エマは口ごもる。
ルイスは悪い子ではないのだが、癇癪を起すと様々なことが起きて時に命の危険にさらされる。そのため、ルイスの世話を誰もしたがらない。
だが、それをイザベルにはっきり言うのは憚られた。
「まあ」
イザベルは眉根を寄せる。
「では、ルイスが特に懐いている使用人は──」
「いらっしゃいません。敢えて言うなら、サラ様が定期的にルイス様のご様子を見にいらっしゃいます」
「そう……」
イザベルは口を閉ざすと、何かを考え込むようにテーブルの一点を見つめる。
そして、数十秒ののちに再び口を開いた。
「ねえ。ルイスに関することはアレックス様が決めていらっしゃるの? 例えば、どこかに連れて行くとか、何かを買い与えるとか──」
「はい。アレックス様か大奥様の許可をいただいてから行っています」
「大奥様……」
イザベルはまた考え込むように口を閉ざした。
(一体何を考えていらっしゃるのかしら?)
エマはイザベルのことを窺い見る。
真っ白な肌に赤みがかった髪がかかり、彼女の美貌がより一層際立って見える。
そのとき、壁際の置時計がゴーンと鳴った。
いつの間にか、この部屋に来て三十分以上が過ぎていた。
「申し訳ございません、奥様。私、まだ仕事の途中でして──」
エマは恐る恐る、イザベルに告げる。すると、イザベルはハッとしたような顔をした。
「あっ、ごめんなさい。忙しいのに、付き合ってくれてありがとう」
イザベルは申し訳なさそうに眉尻を下げ、エマに謝罪する。
(謝った? ただの使用人の私に?)
先日、突然メイドの控室を訪ねてきた際もそうだった。イザベルはエマに「ごめんなさい」「ありがとう」と言ったのだ。
イザベルの様子は演技をしているようには見えず、心から謝罪と感謝をしているように見えた。
◇ ◇ ◇
やり残していた床の雑巾がけをしていると、廊下の向こうからメイド仲間が駆け寄ってきた。
「ちょっと、エマ! 大丈夫だったの!?」
「大丈夫って?」
「奥様の件よ! さっき、部屋に連れて行かれていたでしょう! あんたが酷い目に遭わされていないか心配で心配で──」
眉尻を下げるメイド仲間は、エマがイザベルの部屋に入るのを見ていたようだ。
心底心配そうに、エマを見つめている。
「ああ、大丈夫よ」
エマはメイド仲間を安心させるように、へらっと笑う。
「でも、ものすごい苛烈な方だって噂よね? 何もされていないの?」
「初日はそんな感じだったけど……。すくなくとも今日の奥様は噂のように怒りっぽい感じはなかったわ」
「猫被っているんじゃないかしら?」
「うーん」
エマは首を捻る。
猫を被っているようには見えなかったが、絶対に違うと言い切れるほどイザベルのことを知っているとも言えない。
(奥様って不思議な方だわ)
突然クッキーを渡してみんなで食べてほしいと言い出したり、エマをお茶に誘ったり。
ただ、少なくとも嫌な印象はなかった。