(14)
「わたくしはイザベル・アンドレウよ。この子の義母です」
「イザベル・アンドレウ?」
「おかーさまだよ」
ルイスがその女性に言う。すると、女性はハッとしたように口元に手を当てる。
「もしかして、あなたがアレックスの奥様ですか?」
「ええ、そうです」
答えながら、またもやイザベルは(ん?)と思う。
聞き間違いでなければ、今彼女はアンドレウ侯爵であるアレックスのことを『アレックス』と呼び捨てにしなかっただろうか。妻であるイザベルですら、そんな気やすい呼び方はしないのに。
(妹……ではないわよね)
困惑するイザベルを見つめる女性は、その場でお辞儀する。
「大変失礼いたしました。私はサラ・レガスと申します」
「……サラ?」
それは確か、アレックスの恋人──これはただの推測だけれども──の名前ではなかっただろうか。それに、以前エマに屋敷のことについて尋ねた際に屋敷を取り仕切っているのは彼女だと教えられた気がする。
眉根を寄せるイザベルに、サラは「はい!」と言って微笑む。
「わあ、嬉しい! 私、ずっと奥様にお会いしたいと思っていたんです。よろしくお願いします!」
サラと名乗った女性は、目をきらきらとさせて人懐っこい笑みを浮かべる。
「まあ、そうなのね。こちらこそよろしく」
答えながらも、イザベルは彼女に圧倒される。
アレックスの恋人ならもっと敵意むき出しになりそうなものだがそういうわけでもなく、悪女と名高いイザベルと遭遇して恐怖に震えるわけでもなく、にこにこ嬉しそうに笑っている。
まるで想像していなかった反応だ。
(恋人っていうのはわたくしの勘違いなのかしら?)
困惑したイザベルは、カマを掛けることにした。
「サラさんは随分とアレックス様と親しいらしいわね?」
「ええ、そうなんです。アレックスとは小さなころからの付き合いで、時々ルイスの世話もしています。ね、ルイス」
サラは特に動じる様子もなく、椅子に座っているルイスに声を掛ける。ルイスはサラとイザベルの顔を見比べてから、小さく頷いた。
(小さなころからの付き合い……。つまり、幼馴染なのね。メイド服を着ていないし、使用人ではないのね)
跡取りであるひとり息子の世話までさせるとなると、相当親しい仲であることは間違いないだろう。
ただ、サラから明確な敵意を感じることはなかった。
(ただの幼馴染?)
もし恋人なら、突然現れた正妻に敵意を向けそうなものだが、サラからはそれを感じなかった。
正面切って「あなたはアレックス様の恋人ですか?」とは聞きにくく、イザベルは悩む。
そんなイザベルに、今度はサラから話しかけてきた。
「ところで、奥様はここで何を?」
「ルイスとお菓子を食べていたの。仲良くなりたくて」
「お菓子?」
サラの視線がイザベルの持参した籠に向く。中にはまだ、たくさんのクッキーが残っていた。
ルイスがはっとしたような顔をする。
「ねえ! おとーさまにはいわないで!」
ルイスはすがるような目でサラを見上げる。
もしイザベルと一緒にいたとアレックスにばれたら怒られるかもしれないとでも思ったのかもしれないし、あまりたくさん食べてはいけないと言われているお菓子を食べているのがばれてまずいと思ったのかもしれない。
サラは数回瞬くと、ルイスの言いたいことを理解したようでにこっと笑う。
「わかったわ、ルイス。秘密にしておくわね」
サラの返事を聞いたルイスはホッとしたような顔をした。
「ところでルイス。奥様はとてもお忙しいからあんまりお手を煩わせてはダメよ? そろそろ、お勉強しましょう」
「えー」
ルイスが不満げに口を尖らせる。
「あ、忙しくないから大丈夫よ」
イザベルはサラに告げる。
本来なら忙しいのだろうが、アレックスが何もイザベルに屋敷のことを任せようとしないのではっきり言って暇なのだ。イザベルがしていることといえば、グラハンのことを思い出してはノートに書くということぐらいなのだから。
それよりも、イザベルには気になることがあった。
「サラさん、アレックス様の幼馴染だとはいっても、彼はここの当主です。敬意をこめて『旦那様』とお呼びしたほうがいいと思うわ。それに、ルイスのことも呼び捨てではなく『ルイス様』と」
親でも上司でもない人が侯爵家の当主であるアレックスや嫡男であるルイスを呼び捨てにするなんて、イザベルの常識では考えられない。
このままでは将来彼女自身が恥をかく可能性があるし、何よりもルイスまでそれが普通なのだと思ってしまうとよくないと思い、イザベルはやんわりと注意する。
すると、サラは驚いたように目を瞠った。
その表情は、口元に手を当ててすぐに悲しげなものへと変わる。
「私ったら、奥様のご機嫌を損ねたのなら申し訳ございません。アレックスと私が親しいばっかりに。気分を害するつもりはなかったのです」
ぐすん、とでも言いそうな雰囲気に、イザベルはぎょっとした。
「いいえ、気分は害されていないわ! ちょっと気になっただけよ」
「まあ、そうだったのですね。勘違いして申し訳ありません」
サラは深々とイザベルに向かって、お辞儀をした。
(この子、天然なのかしら?)
イザベルは困惑する。
しかも、アレックスの呼び方を改める気はさらさらなさそうだ。
(とってもお人好しなのか、すごい策士なのか……)
どちらにせよ、手ごわい相手であることに変わりはなさそうだ