(13)
「ええ、そうよ。ねえ、一緒に食べない?」
イザベルはルイスに威圧感を与えないように体を屈めると、にっこりと微笑む。
「でも、おとうさまが──」
ルイスが迷う様に呟いた言葉を、イザベルは聞き逃さなかった。
(お父様? アレックス様のこと? やっぱりあの人がルイスにわたくしと話しちゃだめだって言ったの?)
なんて余計なことを! と思ったが、初日にルイスのことを『面倒でしかない』と言い放ったような悪女と進んで子供を交流させたい父親などいるはずもないと思い直す。
自分で言うのもなんだが、記憶を取り戻す前のイザベルの性格は、本当に酷いものだった。
「お父様が、どうしたの?」
イザベルは何も知らないようなそぶりで、ルイスに語り掛ける。ルイスは言うか言うまいか少し迷ったような様子を見せてから、おずおずと口を開いた。
「おかあさまとはかかわっちゃだめだって」
か細い声で、ルイスは予想通りの言葉を言う。
(あの男……!)
イザベルはイラっとする心を落ち着かせ、ルイスと目線を合わせて彼を見つめる。
「ルイス、聞いて。実はね、わたくしには酷い悪評があるの」
「あくひょう?」
ルイスは突然の話に、目をぱちくりとさせる。
「悪い噂ってことよ。お父様はきっと、その悪評を聞いてわたくしがルイスに悪さをすると心配しているのだわ」
ルイスはどこか不安げな顔をして、イザベルを見つめる。
「おかあさまはそんなことしないでしょ?」
「ええ、しないわ。約束する」
イザベルはルイスににこりと微笑みかけ、約束の誓いに小指を差し出す。
「これなに?」
「絶対に約束を守りますっていう誓いのおまじない。小指同士を絡めるのよ」
「ふうん」
ルイスは見よう見真似で自分の小指を差し出す。イザベルはその指に、自分の小指を絡める。
(ちっちゃい! 可愛い! 可愛い!!)
余りの可愛さに語彙が消失してしまいそうだ。天使だ。天使がいる!
「仲良しの証に、今度からわたくしと時々お喋りしてくれる? お父様には秘密で」
「おとうさまにひみつ?」
「そう。わたくしとルイスだけの秘密」
にこりと微笑むと、ルイスは目をぱちくりとさせる。そして、嬉しそうに微笑んだ。
「うん、いいよ!」
その笑顔は、喜びに満ちたものだった。
イザベルはルイスの部屋に入ると、早速持ってきたクッキーをローテーブルに置く。そして、室内を見回した。
(なんかこの部屋……)
なんとなく違和感を覚えたが、何に対して違和感を覚えたのかはわからない。
室内は清掃が行き届いており、ベッドや机などの必要な家具は一式揃っている。サイドボードを見ると、ティーセットもきちんと用意されていた。
一方のルイスは、イザベルが持ってきた籠を覗き込む。
「わあ、しゅごい! これ、ぜんぶおかあさまがつくったの?」
「そうよ。クッキーは好き?」
「うん!」
ルイスは笑顔で頷く。
「でも、みんながお菓子はあんまりたべちゃだめだって」
ルイスはしょんぼりした顔で続ける。使用人に、お菓子を食べすぎてはいけないとでも言われているのだろう。
その様子を見て、イザベルはくすっと笑う。
「じゃあ、今日はたくさん食べてね」
「……いいの?」
「もちろん! だって、ルイスに食べてほしくて焼いたのだもの」
「うん!」
ルイスは満面の笑みを浮かべた。
ルイスがクッキーを食べる様子をイザベルは満ち足りた気持ちで眺める。
(あー、可愛い。何もかもが可愛い……)
子供の手のひらサイズのクッキーを両手でちんまりと持ってもぐもぐと頬張る姿の可愛さよ。
さらに、ちらちらとイザベルの顔を見ては目が合うとちょっと恥ずかしそうに目を背けるのに、そのあと口元に笑みを浮かべて嬉しそうにしているのだから堪らない。
まさに天使だ。ここに天使がいた!
「ねえ、ルイス。いつも何をして遊んでいるの?」
「……あそぶ?」
「ええ。木登りとかお絵描きとか、何が好き?」
「きのぼり?」
ルイスは不思議そうに首をかしげる。
そのときだ。トントントンと部屋のドアをノックする音がした。
イザベルはハッとしてドアの方を見る。
「ルイス、入るわよ」
返事する間もなく、掛け声と共にドアが開かれる。現れたのは、ひとりの女性だった。
(わあ、綺麗な人)
一目見てぱっと目を引くような美人だと思った。イザベルのような凛とした美しさではなく、周囲を和ませるようなほんわかした美しさで、いわゆる〝癒し系美人〟というやつだろうか。
年のころはイザベルと同じくらいで、腰まである金髪と青空のような美しい碧眼が印象的な女性で、穏やかそうな雰囲気だ。
「あら? どちら様かしら?」
女性が不思議そうな顔をして、イザベルを見つめる。
(ん?)
アレックスに嫌われているとはいえ、イザベルはここの女主人だ。
それはこっちの台詞よ! と思ったが、イザベルはまだ嫁いで間もない上にほぼ引きこもっていたので使用人たちが顔を認識していなくても無理はない。
イザベルはぐっと言葉を呑みこみ、優雅にお辞儀をする。