(11)
◇ ◇ ◇
気が進まない。しかし、行かずに使用人が殺されたら一大事だ。
暫く自室で悶々としていたアレックスだが、遂に意を決してイザベルの部屋に向かうことにした。
トントントンとノックしたが、反応はない。
「入るぞ」
声を掛けてからドアを開けると、中は薄暗かった。メインの照明は消され、ベッドサイドに置かれた魔法の読書灯だけが付いていた。
アレックスはベッドに近づく。すやすやと眠るイザベルの枕元には、開いたままの本が置かれていた。
長い睫毛の影が目元に落ちている。
本を読んだまま眠ってしまったのだろう。
(口を開かなければ美しいのだがな)
イザベルは美人だ。それは、誰が見ても明らかだった。
だが、妻、そしてルイスの母にするには性格と行動に問題がありすぎる。
(いつまでもこのままではよくないことはわかっているが──)
かと言って離婚することはできないし、別居を切り出せば逆上して暴れ出す可能性もある。
(置手紙でもしていくか)
アレックスは魔法で部屋を少し明るくすると、執務机の上に置かれたペンと紙を使って手紙をしたためる。
それを彼女のベッドサイドのテーブルに置くと、部屋をあとにした。
◇ ◇ ◇
小鳥の囀りが耳の心地よい朝の時間、イザベルはなるべく清楚で圧迫感を与えない格好をして、子供部屋を訪ねる。
コンコンコンとドアをノックする。暫くして「だれ?」と可愛らしい声がした。
「ごきげんよう。ルイス。今日もいい天気よ。一緒に散歩に行かない?」
「ぼくいかない。しゅくだいやらないとだもん」
「じゃあ、宿題が終わってから──」
「いかない!」
ぴしゃりと拒絶の声がする。イザベルは閉ざされたドアの前で、眉をひそめた。
(一昨日は体調不良、昨日は気分じゃない、今日は宿題……。これってきっと、意図的に追い返しているわよね?)
ルイスと良好な関係を築きたいのに、顔を合わせなければ話が進まない。
最初はたまたまタイミングが悪かったのかと思ったが、こうも続くとわざと会わないようにしているとしか思えない。
(新しいお母様ができたって喜んでいたのに…)
何か気に障ることをしたかと思い返したが、何も心当たりはなかった。
(もしかして……)
父であるアレックスから『イザベルとは関わらせないように』とでも言われているのだろうか。
確証はないが、その可能性が高い気がした。
「人を極悪人みたいに扱って、失礼しちゃうわ」
口を尖らせるものの、これまでの行動から極悪人扱いされても文句は言えない自覚はある。
我が子を悪女から守ろうとしているアレックスを一方的に非難することもできない。親が子供を危険から守ろうとするのは自然な行動なのだから。
(とはいえ、困ったわね……)
このままいくとアレックスは近いうちに事故で亡くなり、ルイスは実母に続いて実父まで失うことになる。
(もういっそのこと何もかも諦めて、わたくしがあの子を虐めさえしなければなんとかなるかしら?)
そこまで考え、イザベルは首を振る。
ゲームの中のルイスが将来的にあんな風に育ってしまうのはイザベルが一番の原因であることは間違いない。
だが、それだけではないはず。
彼は根本的に愛情に飢えていた。それを満たしてあげなければ解決しない。
「とはいえ、旦那様には未だに会えないし──」
ドールに言付けを頼んだその夜、イザベルは深夜まで寝ずに頑張った。
しかし、いつ寝たのかは記憶にないが気付いたら朝だったのだ。そして、枕元には「訪ねたが寝ているようだったから失礼する」とメモだけが残されていた。
本当に、同じ家に住んでいるとは思えないほど全く会えない。
(ええい! こんなことで諦めている場合じゃないわ!)
何も行動を起こさければ最悪の場合、苦痛に満ちた死が待っているのだ。
「頑張らないと」
イザベルはぐっと拳を握り、気合を入れる。
(ルイスを部屋から出すことができれば……そうだわ!)
名案を思い付いたイザベルは、早速準備を始めることにした。
◇ ◇ ◇
翌日、イザベルは午前中からキッチンにいた。
オーブンを開けるとふわっと甘い香りが漂う。イザベルは厚手の手袋を嵌めると、ドキドキしながら鉄板を取り出す。焼き立てのクッキーは綺麗なきつね色に色付いていた。
「よし、美味しそう!」
イザベルは出来具合を確認し、満足げに呟く。
これは、前世の記憶を頼りに作った手作りのクッキーだ。この世界のオーブンでうまく作れるか心配だったが、問題なく焼けていることにホッとする。
(やっぱり、子供といえば甘いものよね!)
自分でも安易な発想だとは思うが、ルイスを部屋の外に出すために最初に思いついた方法は『食べ物、もしくはおもちゃで釣る』だった。
そこで、イザベルは前世で得意だったお菓子作りのスキルを活かしてクッキーを焼いたのだ。
クッキーを籠に綺麗に盛り付けると、イザベルは時計を見る。
(ちょうどいい時間ね)