(10)
イザベルはとんでもない女だった。悪女だという噂は結婚前に耳にしていたのである程度覚悟はしていたつもりだったが、彼女の態度の悪さはアレックスの想像を超えていた。
結婚式当日の夜に、披露宴で飾られていた花の種類が気に入らないとメイド達を叱責し、罵倒した。そして、夕食に彼女が嫌いなきのこが入っていることに憤慨し、料理人を鞭打ちしようとした。
これは未然に止めたので事なきを得たが、瞬間的に怒り狂い相手に制裁を加えようとするその気性の荒さはアレックスの理解を越えている。
さらに、初夜にはこの結婚に納得していないと怒り狂いアレックスを罵倒してきた。アレックスからすれば、この結婚はバレステロス公爵家からの申し入れで成立したものであり、納得していないのはこっちのほうだと言ってやりたい。
◇ ◇ ◇
アンドレウ侯爵家のタウンハウスは、職場である魔法庁から馬車で片道二十分ほどの距離にある。
気の進まないまま帰宅したアレックスは馬車を降り、屋敷の二階にある部屋を見る。ほんのりと明かりがともっているように見えた。
(今日は遅くまで起きてるのだな)
イザベルとはなるべく顔を合わせたくないので、陰鬱な気分になる。
玄関に向かうとドアが開き、いつものように家令ドールが出迎えてくれた。そのとき、アレックスは彼の斜め後ろにいる女性に気付き、驚いた。
「サラ? こんな時間までどうした?」
サラはアレックスの父である故・アンドレウ侯爵の友人の娘だ。幼いときからアンドレウ侯爵家に出入りしており、今も頻繁に屋敷に手伝いに来てくれていた。
父が亡くなりアレックスが当主になってからは母親も隠居してしまったので、何かと手伝ってくれるサラはとてもありがたい存在だ。ただ、彼女は通いなのでこんな時間はいないはずなのだ。
「アレックスを待っていたのよ」
サラは笑顔を見せる。
「待つにも時間の限度があるだろう。馬車を出してやるからもう帰ったほうがいい」
「嫌よ。それじゃあ何のためにアレックスを待っていたかわからないじゃない」
サラは頬を膨らませて抗議する。隣に立つドールの困り顔を見るに、きっと彼からも帰宅するように言われたが聞かなかったのだろう。
「もう遅い。屋敷に入れ」
ため息交じりに言うと、サラは大人しくそれに従った。
「それで、用件はなんだ?」
「まずは上着ぐらい脱いだらどう? 紅茶を用意するわ」
サラはあたかも当然のように、アレックスの上着を脱がせようとする。
アレックスはその前に自分で上着を脱ぐと、ドールに手渡した。サラが少し不満そうな顔をする。
「ドール。応接にいるから、サラに何か飲み物を用意してやれ」
「かしこまりました」
ドールは頭を下げる。彼が厨房のほうへと向かうのを確認してから、アレックスは応接間に向かった。
「それで、こんな時間まで残って何があった?」
ソファーに座ったアレックスは、ローテーブルを挟んで向かい座ったサラに問いかける。
「それはもちろん、奥様のことよ」
「イザベルの? また何かトラブルを?」
否が応でも初日のトラブルが脳裏に蘇った。
人の粗探しをして糾弾し、些細なことで逆上する。あのヒステリックに叫ぶ姿を思い出すだけで、気が滅入りそうだ。
「今日の日中、ルイスに会わせろと使用人を叱責していたわ」
「ルイスに? それで、ルイスは無事なのか!?」
初日の様子を見たアレックスはイザベルが我が子にどんな危害を加えるかわからないと思い、使用人達に『イザベルとルイスを接触させないように』と命じていた。
だが、もしイザベルが鞭でも持ち出して暴れたら、使用人達にはどうすることもできないだろう。
「ええ、大丈夫よ。ただ、またこんなことがあったらと思うと心配だわ。それに、ドールのところに突然やって来てアレックスに会わせろと言い出したらしいのよ。命にかかわると脅し文句まで添えて」
「命にかかわる、だと?」
アレックスの声に剣呑さが帯びる。
「ドール。それは事実か?」
ちょうど飲み物を用意して応接室にやってきたドールに、アレックスは尋ねる。
「事実でございます。本日の日中、突然わたくしめの執務室を訪ねてきて、そのようなことをおっしゃっておりました」
「そうか……」
(会わなければ、使用人の誰かを殺すと俺を脅しているのか? 悪魔のような女だ)
怒りで膝の上で握った拳に力が籠る。
「話はわかった。イザベルの部屋に行く」
「待って!」
椅子から腰を浮かせかかったところで、サラがアレックスを止める。
「ねえ、アレックス。これからのことなんだけど、私に任せてくれない?」
「サラに?」
「ええ。うまく接触して、奥様のことを監視しておくわ」
「しかし……」
「大丈夫よ。私は使用人ではないもの」
アレックスは迷った。
たしかにイザベルは何をやらかすかわからないので監視する必要があるが、そんなことをすればサラに危害が加わる恐れがある。
ただ、メイドではなく『故・アンドレウ侯爵の友人の娘』であり『アレックスの友人』でもあるサラなら、イザベルも安易に鞭打ちしようなど思わないだろう。
「わかった。サラ、悪いが頼めるか?」
「もちろんよ。任せて」
サラは手を伸ばすと自分の手をアレックスの手に重ね、口元に笑みを浮かべた。
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<なろう連載サイト>
https://ncode.syosetu.com/n5377fv/
<公式サイト>
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