(1)
照明が抑えられ、薄暗い室内。大人が数人寝転んでも余裕がありそうな大きな寝台の前で、イザベル・バレステロスは目の前にいる男を睨み付けていた。
「わたくしに、気安く近寄らないで」
拒絶する態度を露わに言い放った言葉を聞き、目の前の男──本日イザベルの夫となったアンドレウ侯爵家当主のアレックスは失笑する。
「おかしなことを言う。自分の妻に近づくのに、許可がいるのか?」
「わたくしは、あなたを夫だとは認めていないわ」
精一杯に自分を大きく見せようと、イザベルは顎を少し上げた。
(こんな結婚、認めてないわ)
そもそも、この結婚は花嫁であるイザベルを完全に蚊帳の外においた状態で秘密裏に進められたものだった。イザベルの父であるバレステロス公爵が勝手にアレックスと調整をして、彼女が聞いたときには既に後戻りできない状態まで話が進んでしまっていたのだ。
そのことを知ったとき、恐らくこの結婚を覆すことはできないと知りつつも、イザベルは納得できないと渾身の抗議をした。
泣きまねもしたし、仮病も使った。怒って暴れてみたりもした。
しかし、イザベルの抗議の声は一切バレステロス公爵の心に響くことなく、あれよあれよという間に婚姻の日がやって来た。
そして、今まさに初夜をむかえようとしている。
「一体、何が気に入らない?」
アレックスは、はあっと息を吐くと、苛立ちを含んだ冷ややかな声でイザベルに問いかける。
「そんなの、全て気に入らないに決まっているじゃない。こんな古くてかび臭い屋敷に、冴えないインテリア。夫となるあなたは終始気難しい顔をして、新妻であるわたくしに気の利いた一言も言えない朴念仁!」
アレックスの眉間に、僅かにしわが寄る。間違いなく、イザベルの言葉を不愉快に思っているのだろう。
(事実なのだから仕方がないわよね。悔しかったら、今すぐわたくしにかしずいて愛の言葉でも囁いてみればいいわ)
イザベルはふんっと鼻から息を吐き、更に暴言を重ねる。
「小言が煩そうな姑が出入りしているのも嫌。使用人達がしみったれた顔をしているのも嫌。挙句の果てに、前妻との間に子供がいるですって? 血も繋がらない子供なんて面倒でしかないわ! こんな結婚、まっぴらごめんよ!」
イザベルは一気に不満をぶちまけると、とどめとなる台詞を言った。
「あなたの顔なんて、見たくもない。夫だなんて認めない! わたくしの目の前から今すぐ消えて!」
イザベルはアレックスを真っすぐに睨み付ける。
彼の青い瞳に映る怒りに震えた自分の顔を見た瞬間、激しい頭痛に襲われた。
「うっ……」
痛みに顔を顰めて額に手を当てる。
(え、何これ?)
頭の中に不思議な映像が次々に流れ込んできた。
──小さな男の子を平手打ちして、罵声を浴びせる女。
──わざと傷んだ食べ物をだし、男の子が困っている反応を見てくすくすと笑う女。
──男の子に優しくしたメイドにありもしない罪を擦り付けて叱責し、むち打ちしながら泣き叫ぶ様子を薄ら笑う女。その横で、男の子はやめてくれと懇願して泣いていた。
──そして、屋敷の全員に男の子を「クズ」と呼ぶように命じる女。
あまりの悪虐ぶりに衝撃を受けて、ひゅっと息が止まる。
その残虐極まりない行為を笑いながら行っていたその女は、どこからどう見てもイザベル自身であったのだから、なおのことだ。
(どういうこと……)
混乱する頭を整理しようとしていると、ごく至近距離から「散々暴言を吐いた挙句の果てに、今度は仮病か。本当に救いようのない女だ」と低い声が聞こえた。
「あなたがこの結婚に納得していないことはよくわかった。だが、俺の立場ではこの結婚をなかったことにすることはできない。それくらいわからないのか?」
ハッとして顔を上げると、アレックスはまるで心底軽蔑するかのような眼差しでイザベルを見ていた。
「朴念仁で悪かったな。お望み通り、俺はあなたの前から消えるとしよう」
アレックスは一呼吸置き、再び口を開く。
「この結婚に納得していないのが自分だけだと思ったら大間違いだ」
冷ややかな声でそう吐き捨てると、彼は部屋から出て行った。
バタン、とドアが閉まり、イザベルはひとり寝室に残される。
「え?え? 何これ? 一体どうなっているの!?」
イザベルはベッドに倒れ込み、頭を抱える。
それと同時に、頭の中に全くこの深刻な状況にそぐわない明るい曲調の音楽が流れだした。ベッドに寝そべりゲームをする女の手にある端末には『 グランハート・ファンタジア~スランの乙女~』というタイトルロールが流れている──。
(グランハート・ファンタジア? それって──)
今度はガバッと起き上がり、部屋に置かれたドレッサーに駆け寄った。鏡を見ると、嫌な予感は的中した。
そこには赤みの強い金髪をほっそりとした腰まで流し、大きな釣り目の緑眼が印象的な、グラマラスで目鼻立ちがはっきりした美人が映っていた。毎日のように見て見慣れたはずのイザベルの姿なのに、今は全く知らない人のように思える。
イザベルは自分の頬を右手で抓り、引っ張る。頬に痛みが走り、鏡の中の美女も同じ行動をした。
「嘘……」
一度でいいから極上の美人になってみたいと願ったことは数知れず。けれど、これは想定外だ。
そう。信じられないことに、イザベルは乙女ゲームの世界に迷い込んだようだ。しかも、〝攻略者のひとり、心に闇を抱えたヤンデレ最強魔法使いを苛め抜いた悪虐継母──イザベル・アンドレウ〟という圧倒的モブポジションの悪役として──。
新連載です。不定期更新ですが最後まで頑張りたいと思いますので応援よろしくお願いします!