08
ゼトと喧嘩した日の翌朝、レザリアはこそ泥のようにギベオン書店の2階からロープを垂らして脱出した。メイジ―おばあちゃんの家に寝泊りすることで身に着けた悪癖である。
「ゼトさんが悪いんだもん……ゼトさんが悪くないのにさ――」
レザリアは自分の言葉から目をそらした。
「――そうだ!!」
思い立ったように、レザリアは日長石街道を西へと駆け抜ける。
「船長ぁ! 街道を走る女の子が手を振ってる!」
「なんでぇ、おめえの妄想か」
「あぁッ!! カニが二匹逃げましたぁ!!」
「はっはっは。冗談もたいがいにしろよ?」
ゴールデン・ラリム号の乗組員――マルクの言葉に嘘はなかった。
「おーい!」
灰色の少女が大声を上げて、二人の船乗りがいるゴールデン・ラルム号に走ってくる。
「ね、言ったでしょ?」
「てこたぁ、おめえ……カニが二匹ってのも……」
「冗談じゃないっす」
「冗談じゃねえぞッ!!」
「だから冗談じゃないっすッ!!」
ワーワー叫び合う男二人に近づくのをためらう少女がいた。
「なんかぼく、お邪魔しちゃった……?」
レザリアは申し訳なさそうに手遊びをしている。
「嬢ちゃんは悪くねぇ。こいつがカニを逃がすのはこれで10回目だ」
「9回っす」
「細けぇことがたがた言ってんじゃねぇ! とまあ、そういうわけだ。気にすんな。で、俺たちになんか用でもあんのか?」
レザリアは、自分がギベオン書店の従業員であると伝えた。
「――てぇと、嬢ちゃんは今ギベオン書店に住み込みで働いてるっつうわけか」
「うん……」
まだそんなに働いてもないけど……。
「で、喧嘩しちまって気まずいから仲直りがしたいと。そういうこったな?」
「ゼトさんが、おじさんとは仲がいいって言ってたから……」
魔法のノートに頼ることも最初に考えたレザリアだったが、ノートとやり取りすることすら気まずくてできないでいた。
もじもじする少女を見て、船乗り二人は眩しい光から逃れるように顔を押さえる。
「船長ぁ、こいつはまぶいっす……!」
「あぁ、沖のお日さま並みだぜ……」
「あの……ぼく、真剣なんだ」
「あぁ、分かってるぜ? だがよぉ、あいつがこんな子を泣かせるなんて……信じられねぇ」
船長のアズールは大げさに声を荒げた。
「違うよ! 上手く言えないけど、ゼトさんは悪くないのに自分が悪いかもしれないみたいなことを言うから……ぼく、悪くないって言って欲しかったのに……!」
上手く言葉にできないでいる少女を見て、船乗りたちは顔を見合わせる。
「どうやらそいつは俺の知ってるゼトらしい」
「そっすね」
アズール船長はニヤリと歯を見せた。
「けどよぉ、そういうのは俺の得意分野じゃねぇよ! がっはっは――」
レザリアはギベオン書店の方まで逆戻りをして、月長石通りを北に向かって歩いていた。
――中間あたりに目立たない路地がある。そこに入っていけば、目立つ看板があるからすぐに分かるぜ?
アズール船長に言われたことを思い出しながら、路地を歩いていく。
「かんばんかんばん……あっ」
腰に三日月を重ねた長髪の女性――言われた通りの看板がそこにはあった。が、しかし――
「――なんか……入りづらい」
レザリアが入るのをためらっていると、中から妖艶な声が聞こえてくる。
〈いらっしゃい……灰色乙女〉
店内から見られているらしい。
しかし、レザリアの方からは声の主は見えなかった。
(グレイガールって……なんだよぅ)
薄暗い店内から、一方的に覗かれているようで、思わず後ずさりしてしまう。
〈怖がらないで……ここはとってもいいところ。例えばそう、そうね……いいところよ〉
怪しすぎる……。
レザリアが固まっていると、暗闇の奥からすらりとした影が歩いて来る。
すらりとした長身、金色の長髪、青い瞳、透き通るような白い肌――それらが露になって、レザリアは警戒心を高めた。
(絵に描いたような美女……危険だ)
まるで看板の女性がそのまま歩いて出てきたようだ。
そんなことを考えていると、一気に距離を詰められ、腕を掴まれた。
「おひとり様、ごあんなーい」
「あ、あ、あの、ぼく間違えました――」
あれよあれよと言う間に、灰色の髪の少女は鏡の前に座らされた。
金髪美女が舐めまわすように少女を見ている。
「――あの、ほんと間違えました……帰ります」
「あなたは何も間違えていないわ灰色乙女。あなたは今日、来るべくしてここに来たの」
「えぇ……」
「まっすぐ前を向いてごらんなさい?」
伏し目がちに鏡を見る。
「何が見える?」
「きれいな人と、きれいじゃない子」
「あなたとわたし、でしょ?」
「……そうとも言う」
宝石と石ころみたい。
そんなことを思っていると、レザリアは指の長い手に頬を挟まれた。
鏡の方に正面を向くように誘導される。
「もっとしっかりと鏡を見なさい」
「ふぬぅ……」
「よく見て?」
「見たら帰っていいですか」
「そうね」
こうなったら、しっかりと見てさっさと帰るんだ。
「気づいたかしら?」
「何にですか」
「あなた、さっきよりもいい顔してるわ」
「そんなわけ……」
あれ……?
「これは代々伝えられていることなんだけどね」
女がすっと離れると、鏡には灰色の少女がひとり残された。
「自分と向き合えている時が、その人にとっての一番きれいな姿になれるの」
そんなの……いつだって石ころは石ころだもん。
「あなた、ちゃんと自分を見たことがあって?」
「……自分のことくらい、見てます」
「うふふ、そうかもね……でも、あなたの場合、いつもよりもほんの少しでいいから目線を上げて見てあげなさいな」
「……こう?」
じっと自分を見つめる。
「……なんか」
「あら、どうしたの?」
「……ちょっとだけ、変わったかも?」
「グレイト……!」
女が顔を寄せてきた。
ほのかな良い香りがする。
「続き、する?」
「……する」
レザリアの小さな声を聞き、満足そうにうなずく金髪の美女。
女は真っすぐ立って手を叩いた。
すると、どこからともなく薄暗い店内に美女たちが現れる
「きゃわぃー!」
「見てこの子の髪! とってもいい色してるわ!」
「店長! 独り占めとかずーるーいー!」
レザリアが絶句していると、女たちはてきぱきと動き始めた。
各々が怪しげな液体の入った瓶や、アクセサリーの類などを銀のトレーに乗せて運んでくる。
「何が始まるの!?」
「魔法が始まるわ」
「12時までに終わるの!?」
「あら、門限があるのね? 12時までには終わるから安心して?」
レザリアがほっとため息をつくと、店長の目の色が変わる。
「でもこの魔法、12時を過ぎても解けないわよ?」
鏡の中に移った店長の手には、とても長いハサミが握られていた。
「――グレイト」
全てが終わり、美女たちは口を揃えて少女を褒め称えた。
(本当に魔法だ……)
伸ばしっぱなしで手入れが行き届いていなかった髪も、痛んでいた前髪も、何よりも顔つきが違って見えた。
「灰色乙女には花が似合うわね」
自分には似合わないと思っていた髪飾りが、不思議となじんでいるように見える。
「きっと何でも似合うわね。灰色ってとっても素敵な色よ」
店長はそう言ってレザリアの両肩に手を置いた。
「ぼくもこの魔法知りたいです……」
「……ふふ。かけたのはほんの少しだけ。あとは身体にいいものをもっと食べて、適度な運動を続けること。それで十分なくらい、あなたってかわいくて綺麗なのよ」
「……本当?」
「本当よ。でも、それはあなたが自分に言ってあげるべきね」
そう言われて、レザリアはためらいなく鏡を見ている自分に気づく。
口を開いたが、言葉が出てこなかった。
「それはちょっと……はずかしい……」
控え目な少女の言葉を聞いて、後ろで見守っていた美女たちが悶絶する。
「こういう女の子になりたい……!」
「あんたになれる訳ない……」
「死ぬ……」
レザリアが女たちを見てあたふたしていると、店長が聞き捨てならないことを言った。
「初回は無料よ」
え……そんなのありえない!
「そんな……だめ!」
「これは月の女神としてのポリシーなの」
「払います!」
「絶対に払わせないわ」
「絶対払う!」
「強情な子……好きよ、そういうの」
「じゃあ――」
「でもだめ。お店のルールなの。」
「――そんな」
対価を払えないなんて。
深刻な顔をしているレザリアに、月の女神が目線を合わせる。
「次にお店に来てくださった時、その時はきちんと代金をいただきます」
次なんて……。
レザリアはうつむきそうになったが、思いとどまった。
(呪いを解いて、ちゃんと代金を払うんだ)
「わかりました。必ずお支払いします」
前を向いたレザリアを見て、女神は微笑む。
店の入口の前に立ち、日差しを受けるレザリア。
それを見送ろうと、入口に集まる美女たち。
その時、12時の鐘が鳴った。
「あら……あなた――」
少女は振り向いて、真っすぐと金髪の美女と向き合った。
「――グレイト。灰色乙女」
美女たちは初めて見る宝石を見つけたような顔をして立っている。それを見て少し寂し気に微笑むと、灰色乙女は立ち去った。
「いらっしゃい……ませ」
目を丸くする青年店長に、灰色乙女が微笑む。
「仲直りをする方法が書かれている本はありますか?」
「そ……うですね、ヒントになりそうなことが書かれているものならあるかと」
「例えば?」
「例えば……あの、すみません、レザリアさん。その……随分と雰囲気が変わりましたね……?」
「例えば……どんな風に?」
「……いつにもまして、その……素敵だと思います」
「ふふ……」
レザリアは黙って店の外に出ていった。
かなり長い時間が経ってから戻ってくると、顔を赤くしながら息巻いた。
「ゼトさん今日暇ですか暇だよね!?」
「えっ……仕事ですが」
「いっつもそんなに人来てないじゃないですか!」
「それは否めませんが」
「じゃあ、今日の午後はおやすみです!」
「ちょっ、レザリアさん!」
どこかの美女の強引さが移ったかのような勢いで、少女は青年店長を受付から引きはがした。そのまま外に出て、店のプレートを裏返す。
店の前に女が三人立っていた。
「あらやだ閉店!?」
お紅茶マダム達が、両手を上げて驚いていた。
「すみません……急用が出来てしまいまして」
「行くよゼトさんッ!」
レザリアがゼトの手首をしっかりと掴んでいた。
「若い男女がせわしない様子で店を出ていく……」
「奥様、これは……」
二人が言いよどんでいるところに、もう一人の尻の豊満なレディが口を開く。
「駆け落ちね」
「「やだぁ~!!」」
それを聞いたお紅茶マダム達が抱き合っているのをよそに、豊満な腰つきのレディはレザリアの後ろ姿を見ていた。
「うーん……とってもグレイト!」
電気石通りは街の中でも特にカラフルな場所で、おしゃれな若者達が多く集まる場所だった。学校が近いこともあって、学校帰りの学生も多い。
「ぜんぜん来たことないや……」
「意外です。レザリアさんは、街全体に詳しいものと思っていました」
「通り過ぎたことは何回もあるけど……こういう場所は……ちょっと怖くて」
周りを見渡すと、カップルらしき若者も多かった。
レザリアが少し縮こまっていると、ゼトが顔色をうかがう。
「もう少し、落ち着いた場所に行きましょうか?」
「ううん……」
「……? 何を気にしているのか、差し支えなければ教えていただいても?」
「なんか、みんなおしゃれだし……」
レザリアがそう言うと、ゼトは笑った。
「僕なんていつも同じ格好で出歩いていますよ。少々周囲からは奇異の目で見られることもありますが」
「ゼトさんは――」
周囲の視線をうかがうと、女性の多くがゼトをちらちらと見ていた。
中には意味ありげな目くばせをする者も……。
「――ゼトさんはあんまりここ来ない方がいいよ」
「え、なぜ?」
ゼトの問いかけにレザリアは答えなかった。
「……? ですが、それを言うならレザリアさんもあまり来ない方が良いかもしれません」
「やっぱり、そうかな?」
「みなさん、あなたのことを見ていますから」
「え、え……なんで……?」
「きっと、その……」
ゼトはなかなか口を開かない。
が、やはり場違いだったのだろうかと縮こまる少女を見て、はっきりと言った。
「レザリアさんが、素敵だからですよ」