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05

赤色の道沿いに伸びている水路から、せせらぎが絶え間なく聞こえてくる。巡り巡って流れる水が、柘榴石(ガーネット)通りに色を添えていた。


「これからどうしようかな」


レザリアは水路を見下ろし、昨晩のガラスの少女のことを思い浮かべてはため息をつく。浮かない顔をしつつも、少女は通りでにぎわう人々の方に引き寄せられていった。


「あいさつ……しよっか」


いつも通りなら壮大な自己紹介をするのだが、今日はなんだか気が引けていた。


「ゼトさんのとこに帰ろうかな……」


まるで、ゼトさんが覚えてくれてさえいればそれでいいって思ってるみたいだ。

レザリアは首を振る。


「それじゃだめだ」


レザリアはガラスの少女を思い浮かべる。

自分の頬を思い切り叩くと、道行く人や店の人だかりを驚かせた。


「こんにちは! ぼく、レザリア! 会ったことのある人! 手上げて!」


反応はない。

子連れの親が、見よう見まねで手を上げようとする子どもの手を押さえたりしている。


(冷静に考えて、これってどうなんだろう?)


レザリアは自分の行動に疑問を持ち始めていた。

そんな折、レザリアの耳に儚い声が聞こえてくる。


〈聞いて――ワタシは――ここ――〉


「誰……?」


レザリアは周囲を見渡すが、誰も自分に声をかけてはいないらしい。むしろ、心配そうな目で見られていた。


「聞こえるよ! どこにいるの!」


レザリアは周りの目などお構いなく、飛び跳ねたり這いずったりし始める。


さっき手を上げようとしていた幼い女の子が真似をしてきた。


「おねえちゃん、なにさがしてるの?」

「誰かが『ワタシはここ』って叫んでるの。一緒に探してみる?」

「うん!」


猫の手も借りたいくらいなんだ。

そんなことを考えながら、レザリアは獣のように神経を研ぎ澄ませる。

その時だった――


「おねえちゃん! こっち!」

「――でかした!」


小さな指が指していたのは、水路だった。


「……水だよ?」

「そこから聞こえるよ?」


レザリアは飛びつくように水路に顔を突っ込む。


「ごぼッ」

「おねえちゃん!?」


勢いあまって水流に顔を沈めてしまった。


〈聞いて――ワタシは――ここ――〉


声がする――


「――びぼべぶぼッ!!(聞こえるよッ!)」


〈魔女――呪い――はやく――〉


「ばっべッ!!(待ってッ!)」


声が聞こえなくなると、レザリアは勢いよく顔を上げた。


「ぶはぁッ!」

「おねえちゃん!?」

「ぜぇ……はぁ……ありがとう。あなた、お名前は?」

「ローズ……」

「ローズ……あなたの瞳にぴったりね。これでおいしいものでも買ってね」


そう言って、レザリアはローズにお小遣いを手渡した。


「また会ったらお友達になろうね。かわいい猫ちゃん」

「にゃあにゃあ?」


よく分かっていない様子のローズに手を振ると、レザリアは水路の流れる方向へと走りゆく。


〈ばいばーい〉

〈変な人に近づいちゃだめでしょ!〉

〈にゃあにゃあ〉

〈にゃあに言ってるのかしらこの子〉


親子のやり取りを背に、レザリアは見えない誰かを追うことにした。


「水路は続く~よ~」


走りながら歌っていても――


「どこにいるの~」


――流れる水から返事はない。


「うぁぁ……」


うずくまるレザリアだったが、ここであきらめるわけにはいかない。


「だれかいますかー!!」


水に呼びかける。

返事はない。ただの水のようだ。

なりふり構わず呼びかけ続け、声も枯れてきた頃のことだった。


「そこのあなた……何をしているのですかな?」


レザリアに声をかけたのは、杖をついた老紳士だった。


「呼びがけてるんです」

「……誰に?」

「…………分がりません」

「なるほど……どれ」


老紳士はレザリアと並んでかがみ、水路の水に向き合う。


「誰かいますかー!!」


レザリアは老紳士と目を合わせた。

灰色がかった黄色い瞳を鈍く光らせた老紳士は、口ひげをいじりながら言う。


「結論から申し上げますと、誰もいないようですな」


至極まっとうなことを真面目な顔で言われて、レザリアはこくりとうなずいた。


「私はマーカスと申します。お嬢さんは……どこかでお会いしたことがありますかな?」

「……ないよ?」

「これは失敬……最近は治まったと思っていた癖なのですが、再発したようです」

「なおした方がいいと思う」

「これは手厳しい。ところでどうでしょう? 喉を潤すついでに、お食事などご一緒に」


マーカスと名乗る紳士は、ランチの誘いを

レザリアの心は実に揺れていた。

お腹をさすってはおいしい食べ物を頭に思い浮かべる。


「差し支えなければ、私がごちそういたしますが――」

「いっぱい食べていい……?」

「もちろんですとも」

「行く!!」

「――ほっほっほ」


レザリアとマーカスはダイヤモンド通りに向かうことになった。







結局、街の中心部をぐるりと一周するような形で、ダイヤモンド通りまでたどり着いたレザリアだったが、老紳士のマーカスに案内されたのはいかにも高級そうなレストラン『ブリリアント』である。


「……高そう」

「ダイヤモンド通りでは一番リーズナブルなお店です」

「……けちぃ」

「ほっほっほ」


レザリアはその言葉とは裏腹に安堵していた。

店の中に入り、開いている席に座る。メイドからメニューを手渡され、上から下まで目で舐めまわした。


「これとこれとこれとこれとこれとこれ!!」

「かしこまりました」


レザリアは有無を言わさぬ勢いで注文した。


「……容赦ないですのぉ」


マーカスが何か言っているが、レザリアは聞こえなかったことにする。その代わりに、どうして水路に向かって叫んでいたのかについては答えた。


「ほっほっほ。水の中から声が聞こえたのですか。それはまた……奇天烈な」

「うそじゃないよ? ほんとだよ?」

「いえいえ、疑っているわけではないですとも。この街では不思議なことがよく起こりますから」

「例えば?」

「水路の先に向かって叫ぶ少女が現れるなど」

「もう!」


老紳士は口ひげをなでながら「ほっほっほ」と笑う。

傍から見れば祖父と孫が仲良くじゃれ合っているように見えるに違いなかった。


メイドがにこやかな笑みを浮かべて、二人が座るテーブルにランチを届けに来る。


「ごゆっくりお過ごしください」

「ほっほっほ。ありがとうございます」

「今日は珍しいですね。お孫さんですか?」

「いやいや、たまたまそこでお会いした方でして」


マーカスとメイドは顔見知りのようだった。

おそらくは店の常連なのだろう。

レザリアはにっこりとメイドに笑顔を見せる。


「こんにちは。ぼく、レザリア。どこかで会ったことありますか?」

「あら……いいえ。でも、たまには年下の女の子に口説かれるのは悪くないですね」

「そうじゃないよぉ」

「あら、それはとても残念です」

「ぼくも残念なの」

「うふふ……かわいいお客様」

「か、かわいくないよ……」


レザリアとメイドの間に花舞う空気が漂う中、マーカスが割って入る。


「年上の男性なら……あるいは?」


としうえ……?

年上というより、年上上じゃないのかな。

レザリアはいぶかしんだ。


「あるいは……どうでしょうか……うふふ」


メイドは軽く受け流すと、軽くお辞儀をしてその場を離れる。

流された割に、マーカスは満足げだった。


「彼女の素晴らしいところは、明確な答えを出さないところです」

「いつもあんな風にからんでるの?」

「あくまで紳士的にです」

「おねぇさんも大変だぁ」


などと言いつつ、レザリアの興味は既にランチに向いている。

目線がテーブルから離れない。


「どうぞ、お召し上がりください」

「いただきまぁす!!」


察しのよい老紳士に甘えるレザリアなのである。



ランチの間、レザリアは老紳士の武勇伝を聞き流しながら食事を楽しんでいた。

その内容のほとんどは、いかにして女性を口説いてきたかというもので、大抵の場合は、付き合いもせずに振られて終わるというオチがついている。


「――これが、私の12回目の失恋です」

「うん。おいしい」


レザリアは目の前のご馳走を食べるのに忙しかった。話しは聞いていたが、返事はおざなりである。

それにも構わず、マーカスは話を続けるようだった。


「では、これで最後のお話です――」


――彼女と初めて出会ったのは、冬の嵐の日の翌日でした。


私はキャサリンに振られた悲しみを背負いながら、人通りの少ない街をふらふらと歩いていたのです。

そんな中、ふと水路に枯葉が流れているのが目に留まりました。私はそれがどこに流れてゆくのだろうと気になり、追いかけてみることにしました。

南の水晶(クリスタロス)通りから日長石(サンストーン)街道をまたいで藍玉(アクアマリン)通り沿いを歩いてゆきました。それから柘榴石(ガーネット)通りに入って、ぐるりと街を回ったのです――


「それ、ぼくとおなじだ!」

「ほっほっほ。そうですな」


――そして、最後にダイヤモンド通りまで来ました。


私は枯葉を追って下ばかり見ていたものですから、それが細く美しい指に拾われるまで気が付きませんでした。

ゆっくりと持ち上げられる枯葉を目で追っていくと、これまでで見た中で一番美しいものを見たのです。


私は青いダイヤモンドを見たことがありませんでしたが、その時に初めてそれを見た気持ちになりました。

彼女の瞳は、今まで出会った誰よりも美しい青色をしていたのです。


しばらく見とれていると、私はようやく彼女が裸であることに気が付きました――


「ちょっとおじいさん」

「話は最後までお聞きなさい」


――私はすぐに羽織っていたコートを彼女に着せて、彼女に背を向けました。紳士ですから。


「今日は冷えますから」という私の言葉に対して、彼女は「あたたかい」という一言を返しました。

それが最初で最後です……彼女の声を聞いたのは。


「えっ……その人はどうなったの?」

「分かりません。ただ、返事がなくて心配になり、振り返った時には彼女はいませんでした。コートだけを地面に残して」


昔を懐かしむように目を細め、老紳士は微笑んだ。


「あなたが水路をなぞって追いかけているのを見て、枯葉を追いかけているのだろうかと思ったものです」


いつの間にか、レザリアはスプーンを動かすのをやめていた。


「……なんだか、さっきまでの話と違って、とても不思議なお話だね」

「信じられませんか?」

「ううん。一番信じられるよ? だって変な誇張がなかったもん」

「ほっほっほ。全て実話ですぞ」


老紳士が楽しそうに口ひげをいじっている一方で、レザリアは思いつめた顔をする。


「マーカスさんに見つけてもらえなかったら、その人はどうなったんだろう」


レザリアは呟くように「よかった……」とこぼす。

その様子を見た老紳士は、しばらく違うところを眺め、それから口を開いた。


「……こんな話を聞いたことがあります。この街には行き場のない宝石たちが数多く散らばっていて、誰かに見つけてもらうのを待っているのだと。そして時折、見つけてもらうために人の形を借りて私たちの前に現れる」


打って変わって真剣な声音に、レザリアも息をのんだ。


「はじめて聞いたよ? そんなお話」

「ほっほっほ。私も幼い頃に一度聞いたきりで……全く信じていませんでした。彼女と出会うまでは――」


マーカスは極めて丁重に小さな箱を取り出すと、それをレザリアの前で開けてみせた。


「――先ほど、私は一つだけ嘘をつきました。彼女が消えた後、残されていたのはコートだけではありません」


少女は思わず息を飲み、言葉を忘れる。

時が止まったような気さえした。


「コートの中にこれが残されていたのです。この形と色は、当時から何も変わってはいません。私は、生涯この宝石を彼女だと思って大切にして――どうされましたか?」


じっとして動かないレザリアを気にかけるマーカスだったが、レザリア自身どうして動けないのか分からなかった。


「あっ……」


ようやく声が出たかと思うと、涙が一粒テーブルに落ちた。

レザリアは、不思議がる。


「変なの……きれいなものを見たのに」


ほんと、どうしてだろう。

青く輝く氷の裸石(ルース)を見ていると、身体の奥底から熱いものがこみ上げてくる。


「きれいなものを見たから……ではないでしょうかな。事実、私もこの宝石を見た時には涙がこぼれました」

「そっか……そうかもね」

「まあ、失恋の傷心も相まってのことかもしれませんが」

「……」


マーカスは笑っているが、レザリアは気が気ではなくなっていた。


「そんな大切なもの、早くしまってあげて……?」

「いえ、それがですね……実はご相談したいことがあるのです」

「なに……?」

「この宝石を、もらってやってはいただけませんか」


えっ?


「えぇーッ!!? あっ……大きい声出してごめんなさい……」

「いえ、私も不躾なお願いをしてしまいました」

「ほんとだよぉ……びっくりしたぁ」

「ほっほっほ」

「笑い事じゃないよぉ……」


誰のせいだと目で訴えるレザリアに対して、マーカスは嬉しそうにしている。


「実を言うと……あなたを初めて見た時から、私はあなたがどこか他人のようには思えなかったのです。私はまだまだぴんぴんしておりますが……それでもかなり年をとりました。誰か、相応しい人に託そうとずっと考えていたのです」


ふさわしいって――


「――むりむり絶対むりだよ!」

「だめですか」

「そうだよ……それともこれって何かの詐欺?」

「いえ、正真正銘、本物の宝石ですな」

「それくらいわかるよぉ!」

「ではぜひ」


そう言って老紳士は小箱を渡そうとするが、レザリアは大きく首を振った。


「受け取れない……だって、これはマーカスさんの前に現れた……マーカスさんに見つけてもらった石なんでしょ……?

あなたが持っていないとだめだよ。それに……ぼくは……ただの石ころだから」


レザリアの拒絶に、マーカスは小さくこぼす。


「当然ですな……昔から振られる度によく言われたものです……『重い』と」

「重いのもそうだし……いきなりすぎるよ! こういうのって、もっと……ゆっくり考えないといけないでしょ?」


マーカスを振った女たちに共感を覚えつつ、レザリアは目をきょろきょろさせた。


「もしも……もしもだよ? 次にぼくがマーカスさんと出会った時、ぼくのことを覚えていて……まだぼくにその子を託したいと思ってくれるなら、その時は大切に預かるよ! 約束!」


老紳士は少女の眼差しを受けて、ほっとしたようにため息をつく。

「よかった……」


そう言葉をもらしては、柔らかな笑みを浮かべるのだった。

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