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03

この街の南西にはカイヤナイト港という大きな港がある。

そこでは海の男や女たちが今日も今日とて汗水を海に流していた。

港でも一際目を引く黄金に輝く船に乗る男二人が、この日も大声を出し合っている。


「船長ぁ! 空にぃ! 空にぃ!」

「なんでぇ、トビウオでもいたかぁ?」

「いや、ガキが二人飛んでます」

「はっはっは。おめえまた変なもん食ったろう?」


船員の言葉に嘘はなかった。

大量の魚が入った箱を持ち上げようとする船長の目の前に、すっと二人の男女が舞い降りてきたのだ。

青年は息を切らし、少女は今にも息絶えそうなコアラである。


「ね、いたでしょ? ガキ二人」

「おいマルク……今日の朝飯おめぇが作ったよな……?」

「え、まだ疑ってます?」


船長と呼ばれた男は「どっこいせ」と重たい箱を足元に置き、青年に声をかける。


「よおゼト、元気そうじゃねぇか」

「はぁ……はぁ……お久しぶりです」


青年と船長は気さくな間柄らしい。


「その嬢ちゃんはなんだおめぇ、まさか泣かせたんじゃあねえだろうな?」


群青の瞳でじろりとレザリアとゼトを交互に見る船長に対し――


「泣かされました」


――レザリアは思考の整理がつかないまま、思ったことをそのままに言葉を発してしまった。


「てめぇ、甥っ子だからって容赦しねぇぞ」

「えっ、ひどい」


ゼトが窮地に置かれたかと思いきや、船長は「……ってのは冗談だ。こいつが女を泣かせるわけがねぇ」と言って、レザリアに向き直った。


「嬢ちゃん嘘はいけねぇよ。こいつはおよそ悪いことは出来ねえ。筋を通す男だ。もはや筋しかねぇ赤身みたいな奴なのさ」

「アズール船長、そいつはもはや白身だぜ」

「うるせぇ。とにかくだ……おめぇら何があったんだ。後で話聞かせろや――」







ことの経緯を聞く前に、船乗りたちは自分の仕事を片づけるらしい。

レザリアとゼトはというと、アズール船長が所有するゴールデン・ラルム号の狭い船室の中で、これまた小さな丸テーブルを前に並んで座っていた。


「ねぇ、ゼトさん。あの人――アズールさんと知り合いなの?」

「えぇ。僕の叔父で、冗談が好きなんです」

「それは知ってるけど……え、おじさんなの?」

「そうですよ」

「えぇー! 全然似てないー!」


色々な物でごちゃごちゃしているせいで二人は身を寄せ合わなければならなかったが――


「ところで、レザリアさんはどうやって時計塔を上ったのですか?」

「ロープでだよ?」

「正気ですか……?」

「……?」


――お互いそれについては触れずに、たわいのない話をしていた。


〈おいてめぇら、さっき俺のこと褒めてただろ!〉

〈おやかたぁ、仕事に集中してくださいよぉ〉


甲板の方から船乗り二人の声が貫通してくる。

海の日常に入り込んだ少女は、深くため息をついた。


「なんだか、安心する。変なの」

「暗くて狭い場所の方が安心する生き物もいるんですよ。例えば――」

「言わないでください。どうせかわいくない生き物だもん」

「――そんなことないですよ。フクロウなんかとても魅力的じゃないですか。もふもふしていて、目がくりっとしていて」

「……そう。ぼくは飛べないフクロウだけど」

「ひな鳥ってことですね」

「そういうことじゃないよぉ」


上から聞こえてくる足音が、二人の間の静寂を心地よく埋める。

左右に揺れる度に、お互いの熱が静かに伝わってきた。


(なんか……なんだろう)


ぼくのこと、ほんとに覚えてるんだ。

ふと隣人の顔を覗き込むと、難しい表情をしたゼトの口が動いた。


「どうして、死のうとしていたんですか」


重たい声……きっと、ずっとそれを聞こうと思ってたんだ。

レザリアは身じろぎする。


「あ……ぼく……」


しかし、続く言葉が出てこない。

それでもゼトはじっと待っていた。

レザリアはどこを見ればよいのか分からずに、テーブルを見つめる。


「ぼくは……」


丸いテーブルの上には見えるものは何もなく、ただ二人の視線が重なっていた。


「そっか」


目を合わせることもなく、息遣いだけで気持ちが伝わってくるような感覚――空を見上げる少女たちのことを思い出していた。


レザリアはゼトの顔は見ずに、そっと言葉を置き始める。


「いつからなのかな――」


――気がついたらこの街にいて、覚えていたのは「レザリア」っていう言葉。それから、ぼくに話しかける誰か……それが誰だったのかは、ずっと思い出せないんだ。あとは……この懐中時計がぼくの持ってるぜんぶだよ。


何をどうすればいいのか分からなくて、ぼくはずっとこの懐中時計を眺めてた。何も覚えていないはずなのに、この時計だけはぼくのもので……ずっと一緒だったんだって……そう感じたの。


だけどね? 生きているとお腹がすくでしょう? 時計ばかり眺めてるわけにもいかなくなって、今度は商店街のくだもの屋さんの前でじっとリンゴを眺めてたの。そしたら、お店の人に「おいしいよ」って言われてね……ぼく、それが「食べてもいいよ」っていう意味だと思ったの。


ぼく……食べちゃった。そしたら、お店の人に「お代が先だよ!」って言われて……どうして怖い顔をしているのかも、その時は何を言われてるのかも分からなくて……逃げちゃった。ぼく、泥棒になったの。


でも、その時に気づいたの。ちょうど12時の鐘が鳴って、どうしてだろう……ぼくは追いかけられなくなった。


それから、ぼくはお腹が空いたら同じことを繰り返したの。何回やっても、みんな同じようになったんだよ?

あはは……だから、ぼくこう思ったんだ――


「――時計塔がぼくを守ってくれてるんだって」


レザリアは身体を震わせて笑うと、お腹を抱えるようにした。


「けど、ぜんぜんちがったよね――」


――お腹が減る心配はなくなったよ? でも、ぼくは街のみんなが何を喋っているのかを知りたかった。言葉ってたくさんあるんだよね。声とか、身体と目の動きとか……すっごくたくさん。でも、言葉を覚えるのは楽しかった。


ぼく、みんなと同じになれるんだって思った。

12時になるとみんながおかしくなるのは変わらなかったけど、それでもお喋りするのは好きだった。


すぐに気づいたよ? みんなには名前があって、それで呼び合ったりするってことに……ぼく、すごくうれしかった。きっと「レザリア」が、ぼくの名前なんだって思った――


「だけど、ぼくの名前に意味なんてなかった」


――ぼくのことを覚えていてくれる人はどこにもいなかった。みんな、ぼくじゃない誰かばかり見てる。


何がだめなのかな。ぼくが悪いのかな。

ぼくはこの街の人にはなれないのかな。


「ぼくはただの石ころだ」


宝石と違って、誰にも見向きもされないただの石ころ。

だったらいっそ――


「――死にたいなって」


笑っている少女に、ゼトはようやく口を開いた。


「でも、僕はレザリアさんを覚えています」


レザリアはゼトの方を見る。

そこには相変わらず真剣な横顔があった。


「それに、無銭飲食したあなたのことを放っては置けませんね。店を営む者として」

「うぅ……ぼくだって、後でお金を返そうとしたんだもん……受け取ってもらえないだけで」


ゼトはようやく微笑むと、レザリアの表情もつられて柔らかくなる。


「レザリアさん、お話してくれてありがとうございます。それから、お店では……心ならずも冷たい対応をしてしまったと、反省しています。すみませんでした」

「ぼくこそ、心がふらふらでごめんなさい」

「あっ……いえ、とんでもないです」

「あー! 今、『自覚はあったんですね……』って顔してた!」


レザリアはゼトの腕を掴もうとし、少し遠慮して袖を掴んだ。


「うっす。なんか飯食うっすか?」


二人の目が合った時、仕事を終えた乗組員のマルクが船室に顔を出した。

レザリアは慌ててゼトから手を離す。


「ばかやろう! てめぇ! ゼトが年相応に女の子連れてんだからもう少し二人っきりにしやがれ!」

「えっ、でも船長……こないだ『船に女を連れ込むな!』っておいらにどなったじゃないっすか」

「ばかやろう。『おいらの船なんだぜ?』とか言って自慢する奴があるか……たくっ」


船長が船室内に入ると、ただでさえ狭い室内がいっそう狭くなった。


「はっはっは。狭くてわりいな!」

「いえ、だいじょぶです……」レザリアが縮こまる。

「いやマジで船長デカくてせまいっす」

「うるせぇ! てめぇは飯でも作ってろ!」

「あはぁん!」


アズール船長はマルクの尻を蹴って追い出した。

レザリアはあっけにとられ、ゼトは心配そうに言う。


「叔父さん、そこまでしなくても」

「ゼトよ、おめえは知らねぇだろうが、船乗りのケツはダイヤモンドより壊れねぇ」

「すごい!」レザリアが食いつく。

「レザリアさん、それは冗談です」

「へへ、まあそういうこった。で、もう少し詳しくおめえらの状況を詳しく教えてくれるんだろう?」


船長はこれまでとは打って変わり、真剣な面持ちでどっしりと構えた。

ゼトがこれまでの経緯を簡潔に船長に説明すると、その豊かな青髭をいじっては思考を巡らす。


「――てぇことはよお? 今晩12時を越えると、俺はきれいさっぱり嬢ちゃんのことを忘れちまうってか? そりゃおめぇ、難儀だなあ。いや難儀なんてもんじゃねぇ……残酷だ」


残酷という言葉がかなり響いたために、レザリアは小さなうめき声を上げた。


「そいでゼトよ……おめえがこの子を助けようって言うんだな」

「はい。そうです」

「おめえならそう言うだろうよ」

「そのために、困ったときには叔父さんの力をお借りしたいと思い、改めてお願いしたく」


そう言うと、ゼトは船長に深く頭を下げた。

レザリアはぽかんとしている。


「はん、俺にできることは何でもしてやるぜぇ」

「これから何度か叔父さんを尋ねることが増えるかもしれませんが、よろしくお願いします」

「あぁ、いつでも来い。レザリア嬢ちゃんも、俺が覚えているかは分からねえが、遠慮はするな。俺は大抵のことじゃあ怒らねぇ。海を汚したり、仲間を傷つけたり、食いもんを粗末にしたり――」


えっ……?


「あの……いつの間にぼくを助けるって話になったの……?」


ゼトと船長が顔を見合わせる。


「そんなこと忘れましたよ」「そんなの忘れちまったよ」


あぁ、すっごく似てるなぁ。

屈託なく笑う二人を見ていた少女は、心の中で呟いた。


「飯作ってきたっすよー! あれ……おいらを差し置きいい空気」

「おう! 飯だけおいてけ!」

「ひとでなし!」


船はぐらぐらと揺れると、少女はころころと笑った。


(ひょっとしたら――)


――深い海の底にあった小さな石も、いつかは浜辺に打ち上げられて……そうして、誰かに拾ってもらえるのかもしれない。

そんなことを考えながら、レザリアはテーブルに置かれたヒトデのソテーに顔をしかめるのだった。


カイヤナイト港から東に向かい、星浜をぐるっと回った先にメテオライト海蝕洞と呼ばれる洞窟があった。洞窟の中心には隕石によってできたと言われる大きな入り江がある。船が通れる入り江への入口とは別に、あちこちに大小様々な穴が存在するが、うかつに入ると迷子では済まない。


「ここでだいじょうぶ!」


レザリアが合図すると、入り江の岸に船が泊まった。

レザリアはためらいなく船から飛び降り、ゼトがその後に続く。


「気いつけろよー!」

「ありがとうございます! アズールさん!」


飛び跳ねて手を振る少女に、船長は左腕につけたアクアマリンのブレスレットをかざして見せた。


「ゼトー! しっかり守れよー!」

「必ず!」


必ず……!?

ゼトの力強い声に、レザリアは口をぽかんとさせた。


「どうかされましたか?」

「う、ううん……アズール船長、とってもいい人だね」

「えぇ、自慢の叔父です」

「家族みたい?」

「そうですね、僕にとっては家族と言って差し支えないです」

「ゼトさんのお母さんとお父さんってどんな人?」

「両親は僕が物心つく前に亡くなりまして、実は覚えていないんですよ」

「あ……」

「書店を営んでいた祖父も、昨年亡くなってしまいまして――」



レザリアとゼトは、じめっとした洞窟を歩いていた。

あちらこちらを青玉妖精(アリヴィン)が飛び回っては青く光り、暗い足元は光水晶がほのかに照らしている。


「――レザリアさん、すみません。言い方に配慮が足りませんでした」

「しゅん……」

「ちなみに、それは擬音語なので言葉にするものではない……のかと思いましたが、いいと思います。ええ、間違いなく……なので、元気を出してください」


レザリアはいきなり触れてはならない話題に触れてしまったと思い、言葉通りしゅんとしていた。

ゼトはどうにかして励まそうとしているが、回復のめどは立たない。


「ところで……随分と洞窟に慣れているみたいですね」

「うん……ここは滅多に人も来ないし、ひとりになりたい時に丁度いいんだ」

「なるほど……確かにこれだけ入り組んでいると、うかつには入れませんね」


二人は既に洞窟内の枝分かれした道を何度も通っていた。


「ゼトさんは怖くない? こんな暗くてぐちゃぐちゃした洞窟を進んでいて」

「帰り道さえ分かれば。これくらいであれば、灯りをつける必要もないですし」

「ふーん……もしかして、洞窟の道まで覚えられるの?」

「覚えられます。ちなみに、今来た道にはフナムシが56匹いましたね」

「うぇ……」

「はは」

「なんでわらうのぉ……」

「ようやく元気を出してくれましたね」

「ち……ちがうよ! きもちわるくなったの!」

「そうでしたか、失礼しました」

「ほんと……失礼しちゃうよ」


文句を言う少女の頬は、言葉とは裏腹にほんの少し緩むのだった。

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