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02

この街で何か買おうとなれば、とりあえず時計塔の北の北の北にあるシトリン通りに向かうとよい。大抵のものはそこで揃うのだから。


「今朝のお聞きになりまして?」

「もしかしてっ、大声で叫び回る変質者……?」

「そう……! あたくしこの街に住んで長いのですけれど、あんな大きな声を聞くのは初めてですわ……!」

「私も、驚いてお紅茶をこぼしてしまって……ほらスカートがこんな色に!」

「あらやだ大変……まるで紅茶みたいな色。でも、それはそれでお綺麗ですわ」

「まあ色は元々この色なのですけど」

「もう奥さんったら」

「おほほほ」


シトリン商店街は朝から賑わい、あちらこちらから元気な声が聞こえてくる。

それらに耳を済ませる少女がいた――レザリアである。


(初めてじゃないもん)


そんなことを思いながら、元気なマダムたちに耳を傾けていた。

商店街の活気は、暗く沈んだ人の気持ちをほんの少しごまかしてくれる。

おしゃべり好き同士の会話は、レザリアのひそかな楽しみだった。


「そう言えば、ギベオン書店ってご存じ?」

「ああ、あのギベオン書店ね!」


レザリアは首をかしげる。

その書店が何となく気になったが、二人のマダムは中身が掴めないやり取りを続けていた。


「ギベオン書店ってなんですの?」

レザリアが割って入ると、二人のマダムが口を揃えて「あらやだ」と声を上げる。


「あらあら横から割り込みガール。学校さぼっちゃいけないわ」

「でも教えてあげちゃう」

「そうしちゃう」

「ギベオン書店は藍玉(アクアマリン)通りの突き当り、月長石(ムーンストーン)街道の南の端にあるんですのよ?」


(そのあたりって――)


「そこって、閉まってませんでしたの?」


レザリアはずっと閉まっている書店らしき店を思い浮かべていた。


「そうなの!」

「経営なされていた店主さんがかなりお年を召されていてね、ほとんど空き家状態でしたの。けれど、最近になって若いイケメンがね――」

「若くてすっごい記憶力のイケメンがね」


(すっごい記憶力……?)


「――そう若くてすっごい記憶力のイケメンがお店を継いだの! でも、彼の凄いところはね? 相手の要望に合わせて『ああこれこれ、これが読みたかったのよ~』っていう本を教えてくれるの!」

「どんぴしゃりのね」

「そう、ぴしゃぴしゃよもう。あなたも何か悩んでいるのなら、そこに行ってみたら何か変わるかもしれないわ」

「変わる代わりに悩みが増えますわ」

「あら奥さん……どういうこと?」

「ずばり、恋の悩みッ!」

「もうやだ~」


マダム二人はなぜかハイタッチをしていた。

レザリアは苦笑しつつ、話をしてくれたお紅茶マダム達にお礼を伝える。


(すっごい記憶力……)


レザリアは何かこみ上げてくるものがあったが、必死にそれを抑えた。


「そんなこと、あるわけない」


そうつぶやいて、少女は全力で駆け出した。







窓から差し込む光が、タイルの床に十字の影を作っていた。

店主らしき青年が少し奥まった受付に座り、分厚い本を片手に頬杖をついている。眼鏡の奥に黒く輝く瞳が、活字を追って小刻みに揺れていた。


「……ぴしゃぴしゃな人!」


レザリアは商店街のマダムたちの言葉を思い出してそう言った。

レザリアの声に気がついたのか、青年は目を丸くして彼女を見つめる。


「……いらっしゃいませ。店内ではお静かにお願いします」

「あっ、はい」


声に出てた……。

レザリアは第一印象を気にしたが、「どうせ忘れちゃうから」と肩をすくめた。


(どうしよう。話しかけてもいいのかなぁ)


普段のレザリアであれば、後先のことは考えずに言いたいことを言っていた。


(でも、もしかしたら……覚えられちゃったらどうしよう)


レザリアがもじもじしていると、青年の方から声をかけてきた。


「何か、お探しの本などはございますか?」


話しかけてくれた……!

レザリアはその言葉に目を輝かせる。


「あの……この街でうわさになっている魔女……とかについて書かれている本とかありますか?」


昨日のシルゥカとスアレと話したことを思い出し、そのことについて尋ねたが、彼の返答は淡々としたものだった。


「ないですね」

「えっ……」


調べるそぶりすら見せない青年に、レザリアは食い下がる。


「でもこんなにいっぱい……壁中に本がありますよ。一冊ぐらいないんですか」

「ありませんね」

「倉庫とかないんですか」

「倉庫はありますが、噂の魔女の本はありませんね」

「何冊くらい本があるんですか」

「8千冊くらいです。正確には8千と140です」

「……そうですか」

「はい」


レザリアは頬を膨らませた。


「むぅー!」


青年は瞬きもせずに、迷いなく「ない」と断定したのだ。

8千冊もあったら、少しくらい考える時間も生まれるに違いない。


「それなら――」


意地悪な考えがレザリアに浮かんだ。

空間を包み込むように配置されている本棚を見回して、適当な一冊に狙いを定める。


「――ねえ、お兄さん。お兄さんは8千冊もある本をぜーんぶ覚えてるんだぁ?」

「残念ながら」

「でも、ぼくはそんなの信じられない」

「残念です」

「あそこに置いてある『石の声』っていうタイトルの本の1ページ目から10ページ目までぜーんぶ覚えてたら信じてあげる」


少女はウキウキしながら壁に近づき、思いのほか狙った本が高い位置にあると知った。少し背伸びをすれば届きそうでかろうじて届かない本にやきもきしていると、自分の手よりも大きな手が視界の端からすっと伸びてくる。


「どうぞ」

「どうもありがとう……じゃなくて、盗み見はだめだよ!」


青年は本を宝物のように胸に抱く少女を見て、初めて微笑んだ。

レザリアは本の最初のページをめくって見ると、どうやら詩集らしいことが分かった。


(こういうのって面白いのかなぁ)


レザリアは何となくパラパラとめくって見てから、青年を見つめた。


「では、初めから……」

「待って!」

「……はい」

「ぼくが負けたら、なんでもひとつ言うことを聞いてあげる!」

「何でも……ですか」

「だって、ぼくの方から言っておいて、負けたら何にもなしってずるいでしょ?」

「勝ち負けという問題ではなく……それにだめですよ、そんな風にご自分を安売りしては」

「だいじょぶ! 絶対負けないもん!」


それに、負けたって何も変わらないから。

レザリアは自分で思ってしまったことが卑怯だと感じてしまったが、後には引き下がれなかった。


「いつでもいいよ!」

「では、始めましょう――」



数十分後。レザリアは泣いていた。


「――『ほんの少しだけでもいいから、私の声を誰かに届けたい』」

「うぅ……」

「『取るに足らない小さな私だけど、砂粒よりは掴める石ころなのだから』」

「ぐす……」


結局、まるまる一冊の読み聞かせとなってしまっていた。

負けを認めたくないというちっぽけなプライドを守ろうとしたレザリアだったが、涙で顔がぐしゃぐしゃになっていた。


「信じていただけましたか……?」

「……信じられない」

「えぇ……」

「……これで勝ったと思わないで! ぼく、あなたなんかには負けないんだから!」


心の底では色々な意味で敗北を認めていたけれど、どうしても引き下がれない。本を青年に押し付けると、レザリアは涙を拭った。


「ぼくはレザリア。石ころみたいに取るに足らないレザリアだよ」


レザリアは青年の顔を見ることができなかった。

まだ、涙がこぼれていたから。


「……はじめまして、レザリアさん。僕は――」

「あなたの名前なんて知りたくない! どうせぼくのことを忘れるんでしょ!」


この瞬間が、レザリアは大嫌いだった。


「さよなら、すっごい記憶力の店主さん」


ぼくは、石ころだ。

昼の12時の鐘が鳴ると、明るく色づいた世界が灰色の薄い膜に覆われていくように感じられた。


「こんにちは。ぼくはレザリア」


レザリアは涙を拭うと、真っすぐ青年を見つめた。


「おぼえてますか」


青年は少し戸惑った様子で少女を見つめている。


「君は……僕は君を――」


青年が何か言いかけた時、少女は声を上げて笑った。

しまいには店の真ん中で踊り始める。

青年の目などお構いなしに、書店を貸し切りの舞台に変えたのだ。


「だーれも覚えてない! ぼくのこと! みんなばかだぁ!」


何がすっごい記憶力だ。

何となく期待してた。都合のいい物語みたいに、ぼくのことを覚えてくれる人がいるんじゃないかって。

青年が何かを言っているが、レザリアの笑い声の方が大きかった。


そうこうしていると、外から二人のマダムが店の扉を開いた。


「「あらやだここってパーティー会場!?」」


マダムたちを見つけると、レザリアは笑って近づく。

「ねえねえ、ぼくのこと覚えてますかー?」


二人は顔を見合わせる。


「そうね……以前あなたとよく似た女の子を」

「見たことが」

「あるような」

「ないような」


少女は「そうだよねぇ?」と満足そうにうなづくと、二人の間を突っ切った。


「あらあら正面から割り込みガール!?」

「廊下は走っちゃダメよ!?」

「ここに廊下はないわ! あるとすれば私たち!」

「そうそう最近|《老化》が――ってもう、いやだわ奥様!」

「そうそう、老化で思い出したのですけれど、私たちア~ンチエイジングに役立つ本を探していまして――」







街の中心にそびえ立つ時計塔は、遥か昔から今に至るまで街に12時を告げている。街の人々にとっては親しみ深い古時計だったが、少女にとってはそうではなかった。


「こんにちはー!! みなさーん!! ぼくはレザリア!! 覚えてますかー!!」


時計塔のてっぺんに、満面の笑顔を浮かべた灰色の瞳の少女がいた。

彼女はバランスを崩して落ちそうになるふりをしたりして、街の人々が慌てふためくのを眺めていた。


「みんなの顔がよく見えるなー。ぼく全員見たことあるかも!」


でもさ、みんなはぼくのこと覚えてないんでしょ。


「この街ってとっても綺麗だよね! みんなそう思うでしょー!」


でも、ぼくはそうじゃないんだ。


「ぼく考えたんだー! そう言えばまだ試してないことがあったなって!」


怖くてできなかっただけだけど。


「死んだことなかったなって! そしたら、みんなぼくのこと思い出すのかなぁ!」


少女は靴を脱いだ。


〈早まるなー!!〉

〈死んじゃ駄目!!〉

〈まずは話をしよう!!〉



ああ、やっぱりいい人たちがたくさんいる。

けど、みんな……ぼくじゃない誰かを心配してる。

そんなの――


「――いやだあああぁぁぁ!!」

「お客様ああぁぁ!!」


……誰!?

少女は背後から絶叫に近い声を聞いた。



「はぁ……はぁ……お客様。大変足がお速いようで」


ギベオン書店の青年店長が、本を一冊抱えて立っている。

彼が近づこうとすると、少女は叫んだ。


「来ないで! もううんざりなの! ぼくじゃない人に優しくされるのは!」

「……あなたが何を言っているのか、理解しかねるのですが――」

「こないでばかぁ!!」

「――お会計をお願いします。この本、あなたの涙でぐしゃぐしゃです」

「ふぇ……?」


少女が間抜けな声を出すと、青年はよれよれになったページをなんとかめくろうとしてみせる。


「「あっ」」


湿気で弱ってしまったページが破れてしまった。


「というわけなので、本の代金を頂戴したく」

「あはは……」


(……やさしくされるのかと思った)


ばかだなぁ、ぼく。

不意打ちを食らった少女は、懐から代金を取り出そうとするが持ち合わせがなかった。代わりに、メイジ―に渡そうと思って買ったジェダイトのネックレスに気づく。


「これを代わりに……本一冊分よりは高いと思います」

「……分かりました」


あれ、なんだろう。


「さすがにそれで支払って頂くわけにはいきませんので、担保としてお預かりさせていただきます」


なんか、変だ。


「確かに、お預かりしますよ」


ぼくが本を返したのって――


「――わぁッ!」



青年に差し出した手首を掴まれ、そのまま抱き寄せられる。

青年はそのままぐるりと少女と位置を入れ替えると、そっと少女を離した。


「失礼しました……ですが、死にそうな人を止める方法を僕は知らなくて」

「そんなことよりも……! どうして、追いかけてきたんですか!」

「……あなたを犯罪者にしないためでしょうか?」

「そうじゃなくて……えっと……ああもう!」


少女は両手で懐中時計を握りしめ、胸に押さえつける。


「ぼくのこと……覚えてますか」


少女にとっては重大な問いだったが、青年にとっては疑問符が浮かぶ問いだった。


「ええ、もちろん。記憶力はいい方なので」


うそ。


「それなら、ぼくの名前を言えますか!」


そう言ってから、少女は胸が苦しくなり、うずくまった。

青年は彼女を心配してかがみ、なだめるように言う。


「覚えていますよ。石ころのレザリアさん」


うそだ。


「レザリアさん?」


何百人と出会ってきたと思ってるの。


「あの……どこか痛かったりしますか」


こんなことって――


「――ねぇ、あなたの名前は?」


ようやく反応したレザリアに、青年は安堵の表情を見せた。


「僕はゼト。ギベオン書店のゼトです」

「ゼト……ゼトさん。ぼく、ぼくね……えと……」

「あまり街の人達を心配させてはいけないですよ」

「そう……ですね」


レザリアはようやく落ち着きを取り戻すと、下から自分を心配する声が聞こえてくることに気が付く。


「どうしよう……」

「ご自分でまいた種ですから、責任を持ってください」

「うぅ……」


かつてのレザリアであれば、「どうせみんな忘れるのだから」と逃げていただろう。しかし、今は違う。彼女を覚えている存在が近くにいる。


「ごめんなさい……ごめんなさい……!!」


色々な場所に置いてきた罪悪感が、一気に自分の中に流れ込んでくる気がした。


〈よかったー〉

〈心配かけさせんじゃねぇ!!〉

〈さっきのイケメンはどなたでして!?〉

〈痴情のもつれかー?〉


色々な声が聞こえてくるが、レザリアは甘んじて受け入れた。

何度も頭を下げては、ちらちらとゼトの存在を確かめながら。



ほとぼりも冷めた頃、レザリアは誰も見ていないにも関わらず頭を下げていた。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」

「レザリアさん」

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

「もういいと思いますよ」


ゼトの声かけにようやく顔を上げたレザリアだったが、目じりにはいまだ涙がたまっていた。

それを見たゼトがハンカチを手渡すと、少女はしおらしく涙を拭く。


「ひとまず、降りましょうか」

「うん……はい」

「待って……靴をどうぞ」

「あっ……忘れてた」


レザリアが靴も履かずに歩こうとしたところを、ゼトが引き止める。

一瞬、青年が少女に靴を履かせるような構図になったが、ゼトが慌てて身を引いた。


「忘れ物にはお気をつけて」

「……はい」


レザリアが靴を履こうとしたその時――


パキリッ


――白い閃光が差したかと思うと、レザリアの靴はガラスの靴に変わっていた。

二人が絶句していると、時計塔の屋上出入口の方から声が聞こえてくる。


「これではまるでおとぎ話の……それも安っぽい焼き直しね」


声の方に振り向くと、そこには白いマントと仮面を身に着けた何者かが立っていた。背格好はレザリアとほとんど変わらないように見える。その声色も少女のものらしい。


白仮面が何かをしてくる気配を感じると、ゼトはレザリアを自分の方に抱き寄せた。


「いきなり人の靴をこんな風にして……靴だってばかにならないんですよ」

「演出としては悪くなかったでしょう? お姫様と王子様の末路としては――」


そう言いながら、パキリパキリと音を立てて白仮面の人物が近づいて来る。


「――それに、ガラスの靴の方が高価かもしれないわ」

「確かに……」ゼトが拳を額に添えて言う。

「ゼトさん!?」


そういう問題じゃないよ――とレザリアが指摘する間もなく、再び白い稲妻が二人に迫ってきた。

レザリアを抱えたままゼトは地面を蹴った。

目を瞑るレザリアだったが、着地の衝撃が永遠に訪れない。

おそるおそる目を開けると、恐ろしい光景がそこにはあった。


「いやぁっ……えっ……えっ……えぇー!! 飛んでる!!?」

「飛んでいます」

「いやぁ!! おろして!! こわい!!」

「あなたが先ほどまで見ていた光景です」

「それより高いもん!!」


レザリアは自らの未遂行為は屋上に置き忘れ、必死にゼトにしがみついていた。

その一方で、白仮面の少女は屋上で立ち尽くしている。


「待って――」


遠く離れていく白い影を見つめながら、レザリアは自身の記憶を辿っていた。


(――あの子……ぼく知ってる)


しかし、レザリアの静止を聞く余裕はゼトにはない。苦しそうな表情でレザリアを抱えていた。


「……次に何かをしてくる前に逃げてしまいましょう」

「逃げるってどこに……!?」

「くっ……」

「どうしたの……?」

「……おも……い」

「ひどいよぉ!」


レザリアは色んな意味で悲鳴を上げたが、ゼトは有無を言わさずに高速で空を駆け抜けるのだった――

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