14
うずくまっては立ち上がり、立ち上がってはうずくまる。
ガラスの少女は、時計塔の屋上の端から遥か下にある地面を見つめていた。
「待って!」
肩で息をするレザリアが、叫んだ。
レザリアが近づこうと走り出すと、少女は後ろも振り向かないまま「来ないで」と冷たく言い放つ。
レザリアは立ち止まり、代わりに言葉を投げかけた。
「メイジ―さんが、あなたのことを待ってる。帰ろう」
ぱきりと音が鳴る。
「メイジ―さん、あなたのことをシャンティだって分かってた。帰ろうよ」
ぱきり……ぱきり……
ガラスの少女はゆっくりと振り向くと、その白い仮面でレザリアと向き合う。
「あなたは誰なの? おばあさまの何なの?」
動かない仮面の奥から、熱を帯びた声が聞こえた。
レザリアは期待を込めて、正直に答える。
「ぼくはレザリア。あなたのおばあちゃんをずっと騙そうとしてた……あなたの名前を勝手に借りて、シャンティだと思わせてる気になってたバカなやつだよ」
レザリアはゆっくりと続ける。
しっかりと声が届くように。
「でも、ぼくなんかじゃやっぱりダメだね。本当の家族には……かないっこないや。考えてみれば、メイジ―さんは一度だってぼくのことをシャンティって呼んだこと、なかったもの。最初っからお見通しだったってことだね」
だから、あなたじゃないとだめなんだよ。
わかるでしょ?
「それなら、あなたが本物のシャンティになればいい」
「なっ――」
レザリアにとって、予想外の答えだった。
口を必死に動かそうとし、何とか言葉を繋いでいく。
「――なんでそうなるの!? メイジ―さんはずっとあなたのことを待ってたんだよ……? それをどうして見ず知らずの偽物に任せようとするの!?」
「偽物がどうして、わたしの後押しをするのか理解ができないけれど、教えてあげようか」
ガラスの少女はゆっくりと前のボタンを外し始めた。
レザリアが思わず目を背けたが、少女には恥じらうそぶりもない。
力の加減が難しいらしく、手袋をつけた指先からぱきぱきと音が鳴っている。
「これで分かるでしょ。偽物なのは、わたしの方なの」
それはまるでガラス細工の人形だった。
胸の膨らみや、身体の線は人のようだが、中は空洞になっているらしく肉体は見えない。
少女は自分の胴体を自分の腕で貫き始める。
「何をしてるの!? やめてよ!!」
ガラスが割れる音は鳴りやまない。
「大丈夫。痛くないから」
「そういうことじゃない!!」
「本当よ? 平気なの」
「そんなわけない……心はどうなるの!!」
レザリアが叫ぶも、少女は全く動かなかった。
「心ってどこにあるのかしら」
人形がしゃべってる――レザリアはその声に寒気を感じ、口を閉ざしてしまった。
「自分で胸に穴を開けた時、そこから心が出て行った気がしたの――」
――わたし、それを追いかけようとして、気がついたらおばあさまの家の前に立っていたわ。
ドアが開くと、そこには知らない子がいて……まるでその家の住人のようだった。
ひょっとしたら、もうおばあさまは住んでいないのかもしれない……そう思っていたら、その子の後ろにはわたしが知っているおばあさまがいたの。
私は怖くなって、その場から逃げたわ――
「――きっと、心が戻ってきたのね」
ぱきり……
レザリアが足を一歩踏み出すと、ガラスの少女は無言の警告を鳴らした。
「あなたと話していると、また心が戻ってきそうになる。そんなのはもう嫌なの」
「かえろう……かえろうよ。メイジ―さんが待ってるよ」
「あなたが帰ればいい。理由は知らないけど、わたしになろうとしてたんでしょう?」
「なれないよ……なれなかったの……」
「じゃあ教えてあげる。私が好きな食べ物はおばあさまの作るパイ。苦めの味付けが好みなの」
「知ってるよ……あなたのせいでいっつもぼくが苦いのを食べさせられてたんだもん……もう……うんざりなんだ……」
「あなた、本当に嘘つきなのね」
レザリアはどうしてよいか分からなくなっていた。
何を伝えても、ガラスの心に響かない。
「どうすれば……帰ってくれるの……」
「わたしの身体が偽物でなくなれば……いいえ、そんなことにはならない」
「呪いを解く方法は、誰かに呪いを押し付けることだから……?」
「……どうしてそれを?」
ガラスの少女の声が険しくなる。
しかし、レザリアはこの変化を喜んだ。
「ぼく、あなたと会ったことがあるの。その時に、あなたが教えてくれたんだよ」
「うそ……そんな記憶はない」
「そうだよね……けど、本当に会っていたんだよ」
「どういうこと……?」
レザリアは深呼吸をしてから、言葉を紡ぎ始める。
「ぼくもあなたと同じ……呪いにかけられたの――」
――昼と夜の12時になると、みんなから忘れられる呪い。石ころみたいにどうでもいい存在になるってこと。
誰かと仲良くなっても、誰とも仲良くなれないの。
ぼく、ずっとひとりぼっちだった――
「――だから、わかるよ。あなたのさみしい気持ちも」
レザリアは自分の言葉に違和感を覚えていた。
気持ち悪い――言葉にすればするほど、吐きそうになる。
「……分からないわ。あなたが言っていることが全く理解できない。あなたが呪いにかけられているとして、だから何? 分かるってどういうこと?」
どうしてか……分かった。軽いんだ。
石ころよりも、ガラスの言葉の方が遥かに重かった。
「分かるわけない。ただ、呪われたことが同じであるだけよ」
そうだ、この子とぼくではまるで違う。
ぼくはもう、ひとりじゃないと思ってしまっているから。
ぼくの言葉じゃ、もうシャンティを取り戻すことはできないの――
「――ううん、まだだ……」
レザリアは自分の言葉に期待するのをいったんやめた。
「まだ答えてもらってない。どうして、呪いを誰かに押し付けないの?」
レザリアの問いに、仮面の少女は押し黙った。
「心が戻ってきそうになるとか言ってたけど、本当はずっとそこにあるんだ……だから呪いを押し付けることをしないんだ」
「……呪いを押し付けられるかどうかなんて、本当は分かりっこない。嘘かもしれない」
「試してみればいいよ」
「……いい加減にして。軽はずみにそういうことを言って、後悔しても知らないんだから」
「ぼくは後悔なんてしないよ」
ぱきり……
「ぼく、謝りたいの。あなたがメイジ―さんの家を尋ねた時に、ぼくがいたのは……最低だったと思う。本当にごめんなさい。でも、最低のぼくに教えて欲しいの。もしあの時、ぼくがいなかったら……あなたはメイジ―さんの家に帰れたの……?」
ぱきり……
「あなたとメイジ―さんは、いっしょに暮らしていたの?」
ぱきり……
「もしそうなら、ぼくはもっと最低だ。あなたは、ぼくを呪ってもいいと思う――」
――ぼく、ずっと考えてた。
ぼくだったら、きっと知らない誰かに呪いを押し付けていると思う。だって、ぼくは……本当のところは、自分さえ幸せならそれでいいって思ってる。
あなたの言う通り、あなたとぼくはまるで違う――
「――あなたはガラスみたいに繊細だけど、とっても優しい心を持っているんだ。でも、それじゃ壊れちゃうよ」
レザリアはガラスの少女に歩み寄る。
「……来ないで……来ないでよ」
「飛び降りてどうするの」
「……放っておいてよ……どうせ死なないんだから」
「じゃあ、飛び降りなくたっていいよね」
少女の足は、カチカチと震えていた。
立っていることすらままならないように見える。
「ぼくを呪って」
レザリアは棒立ちになっている少女の硬い手を掴んだ。
「これなら、手元が狂っても外れない」
少女の手を自分の胸に押し当てながら、レザリアは思う。
呪われてしまったらどうしよう。
死んでしまったらどうしよう。
ゼトさんやみんなに会えなくなってしまったらどうしよう。
「……うぅ……ぐす……」
レザリアは涙をこぼしていた。
泣きながら、掴んだ手は決して離さなかった。
「あなたとおばあさまを見た時に、きっとこう思ったのね。あぁ、なんだか本当の家族みたいだって」
レザリアはつぶっていた目を開く。
「レザリアがいなくても、わたしはきっと、おばあさまと一緒には暮らしていなかったわ」
ガラスの少女がレザリアを抱きしめていた。
レザリアも震えながらため息をつき、彼女を壊さないように優しく抱きしめる。
「ねぇ、レザリア」
「……なあに?」
「わたしのことを優しいと言ってくれた女の子は、いなくなってしまうの?」
「いなくなったりなんてしない……何回忘れても、何度でも言うよ……シャンティ!」
レザリアは少女をさらに抱き寄せた。
その瞬間、緑色の閃光が走ったかと思うと、少女の身体がガラガラと崩れ落ちた。
「シャンティ!!」
崩れた少女の破片を必死でかき集めるレザリアだったが、間もなく甘ったるい声が聞こえてくる。
「つまらない、つまらないわ……いったい誰なのかしら、ワタシのおもちゃを盗ろうとするのは」
壊れた少女が立っていた方向、空中に浮かぶ魔女がそこにいた。
「よくも……!!」
レザリアが睨んでも、魔女は全く意に介さないといった顔だった。
「そもそもあなたは誰なのかしら? 恨まれる筋合いなんてないのだけど」
「よくもシャンティを!!」
シャンティと聞いて首をかしげる魔女。
「シャンティ……シャンティ……シャンティ……あぁ! そのガラス細工のことね!」
ガラス細工……?
なにを言っているの?
「……レザリア、わたしのことは気にせずに逃げて。あの人は私を殺しはしない」
「いやだ」
「……レザリア、お願い」
「いやだ……! これ以上、シャンティを傷つけさせない!」
レザリアは拳を強く握る。
「おーほっほっほっほ! 傷つけさせない? なあにを言ってるのかし……ら」
魔女の腰にはいつの間にか爪のついたロープが巻き付けられていた。
「お高くとまらないでッ!!」
レザリアは叫びとともにロープを引っ張り、魔女を屋上へと引きずり落とす。
叩きつけられた衝撃で、魔女はうめき声を上げた。
すぐさま魔女を自分の方に引き寄せると、その胸ぐらを掴む。
「シャンティの呪いを解いて!! 今すぐに!!」
のっぺりとした感情のない顔に向かって怒鳴るレザリアだったが、魔女は何も答えなかった。代わりに、垂れ下がった手の先からほとばしる緑色の閃光をレザリアに向けて放とうとする。
しかし、レザリアは視界の端にその様子をじっくりと見ていた。
「死ねッ!!」
魔女にとっては一瞬の不意打ちを食らわせたはずだった。
「そんな言葉、軽々しく使わないで」
魔女は首根っこを掴まれ、床に押しつけられる。
レザリアは何が起きているのか分かっていない魔女にもう一度言った。
「シャンティの呪いを解いて」
「なんなんだ……お前は……」
「ぼくのことはどうでもいい。あの子の呪いを解いて」
「……ひひ……ひ……呪いを解く?」
不気味な笑い声を出しながら、その顔は無表情のままだった。
「何がおかしいの……?」
レザリアは笑う魔女に対する違和感の正体を掴もうと、魔女の顔に触れる。
(かたい……なにこれ……?)
硬い顔面を掴み、レザリアはそのまま剝がすようにして引っ張った。
魔女の頭は同じ場所にあったが、なぜかその手には硬い感触が残ったままだ。
「見るな見るな見るな見るなあああああぁぁぁぁぁッ!!」
魔女は顔を両手で覆い、絶叫する。
「これっていったい――」
レザリアは言葉を失った。
魔女は「見るな」と叫んでいるが、見るべき顔が存在しないのだ。
そして、レザリアは手には人の顔を模した仮面が残っていた。
「あなたは……誰なの? ねえったら……!」
レザリアの問いかけに答えることはなく、ただ魔女らしき女は縮こまるようにしてうずくまっている。
身体を揺らしても、魔女はまるで石ころのように転がってしまうだけだった。
〈レザリア……〉
微かな呼び声を聞き、レザリアはバラバラになってしまったシャンティの元に駆け寄る。
彼女の下半身はまだ揃っていなかったが、胴体は既に戻ってきていた。
「シャンティ!」
「わたしは大丈夫。もうだいぶ戻ってきたから……ほら手も動くでしょ」
「そういう問題じゃないよぉ……」
「それよりも、あの人はどうしてしまったの」
「あの人は……あの人の、顔がなかったの……」
レザリアは地下坑道での魔女の言葉を思い出す。
「あの人、『救われなければならない』って言ってた」
「まだ無事なの……?」
「もしかして、あの人もぼくたちと同じ――」
「レザリアッ!!」
シャンティはレザリアの言葉を大声で遮る。
レザリアは背中に熱い光が当てられるのを感じたが、その熱が肌にまで届くことはなかった。
「――シャンティ……?」
シャンティのガラスの手から、白い稲妻がほとばしっているのを見て、レザリアは後ろを振り返る。
地面に倒れる寸前の、砕け散る未来が確定した魔女がそこにはいた。
「……ヤッパリ……オナジネ……オホ……ホホホホ」
手を伸ばそうとするレザリアだったが、それが届くこともなく魔女は倒れて砕け散ってゆく。
「あなたを呪わなくてよかった。そんなことをしても、きっと今みたいな気持ちになるだけだもの」
カタカタと震えるガラスの手から力を抜くと、シャンティはぐったりとした様子でため息をつく。
レザリアはその手を壊さないように握り、涙を流した。
「……ごめんなさい」
「レザリア……あなた、完全に油断していたわ」
「……ごめんなさい」
「そんな優しい心でいたら、あなたの方こそ壊れてしまうわ」
「……ごめんなさい」
「いいの……謝らなくて。あなたがいなくても、いつかきっと……こうなっていたわ」
そんなことにはきっと……ならない。
シャンティがだれかを呪うなんて……そんなこと。
レザリアが涙を抑えられないでいると、シャンティが弱弱しい声を出す。
「レザリア、お願いがあるの……あの人を、集めてもらえないかしら」
レザリアはシャンティの言うことにうなずき、リュックの中から大きな布袋を取り出した。
「お願いしておいてなんだけれど、よくそんなものが入ってるわね」
「できることは何でもやる。備えあればうれしいな。これがぼくとゼトさんの方針なの」
「憂いなしよ。ところで、ゼトさんって?」
「ギベオン書店の店長さんだよ」
「あなたには帰る場所があるのね」
「うん。ゼトさんだけは、なぜかぼくのことを忘れない力を持っているの」
レザリアはガラスの破片を集める手を止める。
「だから、ぼくの大切な居場所なんだ」
レザリアが破片を集め終わった頃には、シャンティも全身のガラスが元に戻っていた。
「ありがとう、レザリア」
「重くない?」
「慎重に運べば、大丈夫よ」
「その人……あなたと同じように動いたりはしないのかな」
「残念ながら、多分そんなことにはならないと思う。これは、直感だけど」
「そうなんだ……」
レザリアがうつむくと、その肩にガラスの手が置かれた。
「うつむかないで。わたしはあなたを助けたこと、後悔したくない」
レザリアが白い仮面と向き合うと、その奥からガラスのように美しい声が聞こえた。
「あなたは最低なんかじゃない」
レザリアは肩に置かれた手を自分の頬に当てる。
「ねえ、シャンティ」
「なに?」
「ぼくのことを最低じゃないって言ってくれた女の子は、いなくなってしまうの?」
「いなくならないわ。私、死なないみたいだから」
「……」
「どうかした?」
「……ばか」
レザリアはそっぽを向いて、シャンティから離れた。
そして、12時の鐘が鳴り、シャンティは呆然と立ち尽くす。
「そうだ、あの人を私が……」
膝をつき、ガラスが割れる音がする。
抱え込んだガラスの破片の山に、シャンティは顔をうずめた。
「シャンティ」
シャンティを呼びかける、ころりとした声。
自分の名を呼ばれて、シャンティは思わず顔を上げた。
そして、初めて見る少女にうろたえる。
「シャンティ……シャンティ……シャンティ!」
名前ばかり口にして、少女はシャンティを抱きしめる。
壊れないように、やさしく――
「――あなたは、誰なの?」
「ぼくはレザリア。あなたのともだち」
きっと、シャンティはびっくりしてる。
ぼくが誰なのかも分からない。
だとしても、関係ない。
「ぼくはずっとあなたのことを覚えてるよ。ガラスのシャンティさん」
シャンティの震えが止まる。
「どうして――」
シャンティが何かを問いかけようとしたその時――突然、時計塔の周囲が黒い人影に囲まれた。黒装束に身を包んだ彼らは、空中に浮かびながら、じっくりと二人の少女を観察しているようだ。
「……いやぁッ!」
シャンティが彼らを見て悲鳴を上げる。
「シャンティ、ぼくが何とかするから……隙ができたら逃げて」
今できること、それは考えることだ。
黒マントは6人……みんなフードと仮面のせいで顔が見えない。彼らが誰なのかは、ぼくも知らない。けど、きっと仲良くなりにきたわけじゃない。
「なんとかって……どうするの……? あなたもさらわれちゃう……早く逃げて」
さらわれる?
そっか、この人達がシャンティをこんなに苦しめたってことか。
「シャンティ、『姿隠し』の魔法を使いながら、空を飛んだりできる?」
「できるけど……そんなに長い時間は持たない……」
「ぼくが時間をかせいでみせるよ。かならず守ってみせるから」
「どうして……? あなたはいったい……」
「今は、後回しにしよう。それよりも――」
――どうしてだろう、何もしてこない。
「ねぇ! あなたたちはいったい何をしにきたの!? 急に出てきてびっくりしたぁ! ぼくたちに何かよう?」
さあ、なにか言ってよ!
レザリアの問いかけに対して、黒マントのひとりが答える。
「あなたが魔女を壊したのかしら?」
魔女を……壊す?
黒マントの下から聞こえる女の声は、橋でも聞いたものだった。
レザリアは自分に関心を引くために、嘘をつく。
「そうだよ!! ぼくが壊した!! だからなんだ!!」
「そう、それは残念だったわね」
「なっ――」
黒マントたちを起点とした六芒星の魔法陣が出現する。
(――なにこれッ!?)
「捕らえよ」
女が呪文を唱えると、魔法陣が縮まり始めた。
(どうしよう……これって何の魔法……?)
レザリアは魔法陣の外円部分の収縮を観察する。
(きっと、ぼくたちを捕まえる魔法だ)
大丈夫だ……間に合う……!
「シャンティ!! 上に飛んで!!」
シャンティはレザリアの言葉を受けて上へと飛び、レザリアも魔法陣を飛び越える準備をした。
「ばかね……砕けよ」
あっ……だめだ……。逃げ出すことなんて、最初からわかってたんだ。
いやだよ……シャンティが壊されちゃう……!!
「――護れッ!!」
それは、漆黒の鳥が舞い降りてきたように見えた。撃ち落される寸前のシャンティをさらうようにして抱きかかえ、そのままレザリアの横に降り立つ。
迫りつつあった光の円陣は、半透明の黒い防壁によって押しとどめられていた。
「遅くなってすみません」
漆黒に身を包んだ青年は、全身から黒い稲妻をほとばしらせている。
(この声……!)
黒狼の仮面のせいでその顔は見えなかったが、レザリアは彼の声を知っていた。声だけじゃない。隠しきれない所作が、彼をゼトたらしめていた。
「ゼ――」
「お静かに。仮面をしている意味を考えてくださいね」
「――はい!」
レザリアに囁いてから、ゼトは黒い連中に問いかけた。
「貴様達は何者だ。怪しげな装いをしているな」
「あら、あなたに言われたくないわ」
「……」
「……」
「……確かに」
「……時間稼ぎが見え見えだけど、どれくらい持つのかしらね」
確かに、敵は余裕を見せているが、ゼトは少し息が切れている。ゼトが作り出している黒い半透明の壁が、6人分の魔法を防いでいるらしい。
「彼の防護魔法、とっても硬いわ。でも、結界を破って疲れてるみたいだから、このまま拘束して消耗を待ちましょう」
しかし、女はまるで動じていないようだった。
「持久戦か、それもいいだろう。もうじき俺の仲間がここに来る……それまで耐えるだけのことだ」
ゼトさん、いつもとぜんぜん違う……!
「あらそう……じゃあ、はやく萎えてもらわないとね」
女は、仮面の奥で笑っている。
なんかやだ……!
「レザリアさん、聞いてください。僕はこの子ひとりなら守り切る自信があります……ですが――」
「そんなのいいよ……! ぼくも、ぼく一人なら逃げ切ってみせる……! シャンティをお願い!!」
「ちょっと待って!」シャンティが叫んだ。「いったいどうして、わたしを助けることになったの……!」
「そんなの忘れた!」「そんなことは忘れました!」
「忘れたって……」シャンティは返す言葉が見つからないらしく、黙ってしまう。
「レザリアさん、ここを脱出したらこのメモの通りに動いてください」
「はい……………………えぇーッ!!」
「できますね」
「……信じるよ」
ゼトの呼吸はさらに乱れてきていた。
「相談は終わったのかしら? もう限界――って感じだけれど?」
「相談は終わった。そして、貴様達も終わりだ……ゆくぞ!!」
青年が叫び、灰色少女は身構える。
「雷よ――」
ゼトによって天に向かった放たれた黒雷が――
「――咲き乱れよッ!!」
――六花となって敵に降り注いだ。
敵は防護魔法を展開し、これを防ぐ。その瞬間、少女たちを捕えようとしていた魔法陣はかき消えた。
ゼトとシャンティは飛翔し、空へと消えていく。
「あら、あなたは残ったのね……レザリアちゃん?」
「ぼく、飛べないんだ。それよりも、逃げた二人を追わないの?」
「あなたを捕まえて人質にした方が楽かもしれないわ」
「よかった。ぼくはただの石ころだからね」
「……それは、どういう意味かしら」
「それじゃあ、ばいばい――」
レザリアが姿を消すと、黒装束たちは明らかに動揺を隠せずにいた――
「完璧な姿隠しは初めて見るわ」
――女を除いて。
「こっちだよー! ここまでおいでー!」
よし、気づかれてない!
ぼくの声を聞いてはじめてこっちを見た!
レザリアは誰にも気づかれずに屋上の端に立っていた。
「これは負けだわ。退きましょう」
女が制止したが、他の5人はレザリアに向かっていく。
「ばかね」
レザリアは後ろを気にしつつ、ほとんど飛び降りるようにして時計塔の壁に沿って降りていった。わずかなくぼみやでっぱりを足場にしつつ、鉤のついたロープを壁に引っかけて落ちてゆく。
〈子どもが塔から落ちてる!!〉
〈いや、降りてきてるんだ!!〉
〈おーい!! 危ないよー!!〉
〈なんだ、あの黒いの……?〉
〈落ちてくるぞ!!〉
「よし、人目についた!」
レザリアは口を大きく開いた。
「誰かー!! 変な人たちが追いかけてくるのー!! 助けてー!!」
〈変なやつらってあいつらか……?〉
〈誰かー! 自警団を呼んでー!〉
〈さあて、行く手間が省けたぜ〉
「あっ……アズールおじさん!」
レザリアが時計塔広場に降りると、そこにはゴールデン・ラルム号の船長にしてゼトの叔父であるアズールが立っていた。
「嬢ちゃん、すげぇロープ使いだな。船乗るか?」
「またね……!」
「……なんて言ってる場合じゃねえよな」
アズールはすれ違うレザリアにウィンクし、そのまま黒装束達のうち、二人をその太い二の腕に引っかけ――投げ飛ばした。
「おいおい! 女の子をこぞって追いかけるたぁ、何があっても筋が通らねえなぁ……まるで筋のねぇ赤身だぜ?」
アズール船長が冗談を言っている隙に、黒服二人は体勢を立て直し、粉砕魔法を放つ――が、青緑の光の壁がそれを遮った。
「船長、そいつはただの赤身だぜ」
アズールの脇に膝をついている男の目が、波打つ緑の海のように揺らめく――乗組員のマルクだ。
「それにしても物騒っすね、粉砕魔法を人に向けて使うなんて」
「筋のねぇ奴らなのは確かだな」
レザリアは、時計塔から真珠通りに入り、真っすぐ南西へと直進する。
翠玉通りと橄欖石通りの交差点にたどり着くまで、姿を現わしては消してを繰り返した。
「はぁ……はぁ……疲れた――」
――ふりをしろって言われても……!
レザリアはほとんど疲れていなかったが、わざと息が切れる振りをしながら、飛んで追ってくる敵を相手に快走を見せていた。
「4人がかりで少女の尻を追いかけるとは、けしからんですぞぉー!!」
「マーカスさん?」
見知った老紳士がこちらに向かって走ってくる。
その手に持たれた杖は、本来の役割を果たせずにいた。
「火よ――燃え広がれ!!」
杖先から繰り出された火が、荊のように通りを張り巡らし、レザリアの背後の行く手を阻む。
〈なんだなんだぁ!!?〉
〈誰だぁ!? 火ぃつけてるやつ!?〉
〈きゃー! マーカスおじ様ー!〉
〈いいぞー! やれー!〉
「ほっほっほ! 少女を狙う悪漢を懲らしめている最中ですぞ!!」
「副隊長! 火力が強すぎます!」
いつの間にか、マーカスや住人の周囲に赤装束の自警団が駆けつけていた。
「……自警団員は指示通り住人の安全を確保するのですぞッ!!」
副隊長ってマーカスさんだったんだ……。
レザリアは思わず炎に見とれたが、その中に不自然な揺らぎを見つける。
「マーカスさんッ!! 危ないッ!!」
「分かっておりますぞ」
姿を隠した黒マント達が炎を突っ切ってきたに違いなかった。
マーカスは地面に突き立てていた杖の先を正面に向け呪文を唱える――
「砕けよ」
――振りをした。
見えない敵に対してマーカスは杖を水平に振り回す。左右に避けた敵に当たったらしい。鈍い音が二つすると、地面に倒れた二人が姿を現わした。
(残りは二人――)
レザリアは不自然な火の揺らぎから相手のいる位置を絞り込み、鉤縄を投げる。
「つかまえ――」
一人の身体に引っかかったのを感じ取り――
「――たぁッ!!」
――そのまま背負いこむように身体をねじると、黒装束の二人がもつれ合うように転がり出る。
「確保!!」
自警団員たちが黒マントたちを慣れた手際で縛り上げた。
「副隊長!! こいつら――」
大きな、しかし震えた声で、隊員の一人が叫ぶ。
「――顔がありません!!」
謎の黒装束の襲撃事件はいったん幕を閉じた。顔のない人間――黒装束たちの身柄は確保されたものの、その身体は取り調べを受ける前に崩壊し、ただの石くれになってしまったという。彼らが何者であるのか……真実はいまだ闇に隠れたままだった。
少女は、時計塔から南西にあるメイジーの家の前に立っていた。
ツタが這いまわるドアをノックし、待つこと十数秒。
「どちら様でしょうか?」と柔らかくしゃがれた声が聞こえてくる。
「ぼくだよ! ぼく!」
少女が威勢よく声を出すと、「あらあらまあまあ!」と嬉しそうな声がドアの奥から聞こえてきた。
「もしかして……シャンティちゃんのお友達?」
「うん!」
「そう……あの子のお友達なのね。でも、シャンティちゃんは今外に出てるの」
「そっか、じゃあ街をてきとーに探すよ! またね、おばあちゃん!」
少女は持ち前の素早い脚で風のように去っていく。
「あらあら、とっても元気な子……」
三人の少女が翠緑庭園のベンチに座っていた。
シルゥカとスアレ、そしてリリィだ。
シルゥカはリリィに対して説教をしている最中らしい。
「――だからリリィ! 何でもかんでも喧嘩を買うなっての!」
「わざわざタダで売ってくる奴らが悪いのよ」
「うふふ、タダより高いものはないですよ」黙って聞いていたスアレが笑いながら口を挟む。
「何よそれ。矛盾してるわ」
「だ~ッ! もう、ややこしくするなスゥ!」
みんな、たのしそう。
「やっほー元気? ぼくのこと覚えてる?」
見知らぬ少女に声をかけられた女学生三人は、大いに戸惑う。
「えっと……どちらさん?」うっすらとした空色の瞳の少女――シルゥカは目をパチパチさせた。
「ごめんなさい……お名前を聞いてもいいですか?」黄色く輝く瞳の少女――スアレは不安そうに胸に手を当てる。
「覚えてるわけないじゃない。あんたとリリィは初めて会うんだから」鮮やかな緑色の瞳の少女――リリィは実に遠慮のない物言いをしていた。
「だよねぇ……あはは……」
リリィさまくらいはっきり言ってくれると、かえって安心するなぁ。
「ちょっ、おま……リリィ! そんな言い方するなっての!!」
「そうですよ!! リリィちゃん!!」
「まったく、世の中どうかしてるわ。本当のことを言うとこれだもの」
「そういうとこだぞ!?」
シルゥカとスアレは完全にリリィのお世話係になっているようだった。そんな三人を見ながら、少女は縮こまって手遊びをしている。
「あぁ、悪い! えっと、うちはシルゥカ、こっちはスアレ」
「スアレです! よろしくお願いします!」
「で、この減らず口がリリィ」
「リリィが喋る度にあんたも喋るんだから、口数は同じ――」
「こういう奴! 根はいいやつなんだ。根はな」
「――人が話している時に口を挟むなって言ってたじゃない。ちょっと、手を放しなさいよ」
三人のやり取りを見て、思わずお腹を抱えて笑ってしまう少女。
「ぼくもみんなと、ともだちになりたい!」
少女の想いを聞いた三人は、少し驚いた後、三人そろって同じように微笑んだ。
「当たり前じゃない」
「嬉しいです!」
「もちろん……! 名前は? なんていうんだ?」
少女は名前を伝えてから、「用事があるから!」と三人とは別の方向へと走る。
「またね! シルゥカ! スアレ! リリィさま!」
大きく名前を叫ぶ少女。
「リリィ……?」スアレを見るシルゥカ。
「さま……?」シルゥカと目を合わせるスアレ。
「悪くないわ」尊大に腕を組むリリィ。
三人の視線を受けながら、少女は微笑みを浮かべるのだった。
書店の扉を開けると、白いドレスを着た少女にかわいい子猫がすり寄っていた。困ったように笑う白い少女を見て、灰色の少女は満足げな笑みを浮かべる。
また、店に入ってきた灰色の少女を見て、青年店長もまた微笑んだ。
「おかえりなさい」
「ただいま、ゼトさん、猫ちゃん……それから――」
白いドレスの少女の、星空を宿したような瞳がこちらを見つめている。
「――優しいシャンティ」
「あ……あなたは……?」
「ぼく?」
灰色の少女は真っすぐにシャンティを見つめる。
「ぼくはレザリア――石ころのレザリア」
レザリアはそう言って、もう一度シャンティを、強く、抱きしめた。
閉店した店内には、眠る子猫と二人以外は誰もいなかった。静かなギベオン書店で、店長と従業員が本棚の整理をしながら言葉を交わす。
「ゼトさん」
「はい」
「なんだか大変だったね」
「そうですね」
「ゼトさんが街の自警団の一員だったなんて、ぼく知らなかった」
「あはは……隠してますから」
「教えてくれたら、ぼくだってもっと色々手伝ったのに」
「そうなるのが嫌だったので、教えなかったんですよ」
「どうして?」
「勇敢な船乗りでも、怪我をすることはありますから」
ゼトは何とも言えない顔でレザリアを見るが、レザリアは気にせずに手を動かす。
「船乗りかあ……そういえば、アズールおじさんとマルクさんも自警団の人だったんだよね、びっくりしちゃった。シャンティも自警団の人たちに守ってもらえるなら、きっと大丈夫だよね?」
「ええ。彼女は今後、常に複数人の護衛が配置されることになっていますから。彼女自信も優れた魔法の才能を持っていますし、より実践的な自衛のすべも学んでもらうことになるでしょう」
「それなら安心だね。シャンティは呪いも解けたみたいだし、これからは普通の女の子として、おばあちゃんと一緒に生きていけるよね」
「……そうですね」
「どうして呪いが解けたんだろう? ぼくも近くにいたんだけど、どうしてなのか分からないんだぁ」
「すみません……僕にもそれは分かりませんでした」
「えー、どうしてゼトさんが謝るの? おかしー!」
レザリアはころころと笑うが、ゼトの表情は暗かった。
「レザリアさん、辛くはないですか?」
「……どうして?」
「あなたの周りの人は時間は進んでいくのに、あなただけは取り残されたままだ。それはきっと……辛いことだと思います」
「あー、ゼトさんそれ、言っちゃいけないんだー」
「え……」
「だってそれ、ぼくがいっつも思ってることだから。辛いに決まってるよ?」
「……! ……すみません! 軽率でした……!」
「あ、ゼトさん……!? そんなに本気で謝らないでよ……! 冗談だよ?」
……半分くらいはだけど。
「……いえ、明らかに思慮に欠けた言動でした」
「そんなことないよ。だって、ぼくを心配してくれて言ってくれたんでしょ?」
「……しかし」
「あはは……ゼトさんが真面目だってこと、ぼくも考えて冗談を言わなきゃだね」
「……レザリアさん」
「それに、猫ちゃんだってお母さんに会えてないんだし、ぼくだけが辛いわけじゃないから……あんまり落ち込んでばかりじゃいられないよね」
あはは、と笑いながら手を動かし続けるレザリアだったが、ゼトは手を止めた。
「……ゼトさん?」
「レザリアさんの言う通りだ。落ち込むことに時間を使うよりも、今できることを何でもやる……そうあるべきだ。僕はレザリアさんの心配をするばかりで、それであなたがどういう気持ちになるのかを考えていない愚か者だ」
「そんなことないよ??」
レザリアはゼトが落ち込み過ぎないかを心配してゼトの顔をうかがう。しかし、そこには覚悟の決まった青年の眼差しがあった。
「約束します。僕が必ず、あなたを救います」
あまりに真剣な言葉に、レザリアはきょとんとする。
「ぼくを救う?」
「はい」
「うーん」
「……僕では、頼りないでしょうか」
「ううん。そうじゃなくてね?」
レザリアは少しもじもじと手遊びをしてから、思いきってゼトの手を掴みにいった。
「ぼく、もう救ってもらってるよ! ゼトさんが、石ころみたいに取るに足らないぼくを拾ってくれたあの日から……ぼくはずっと救ってもらいっぱなし!」
――そう……ぼくはずっと、石ころだった。
ずっと、誰にも見向きもされない、何の価値もない石ころだった。だけど、本当にそうだったのかな。
たくさん転がって、傷ついていくうちに……傷ついたからこそ、ぼくは今のぼくになった。
そして、ゼトさんがいたから……たった一人でも拾ってくれる人がいれば、その石ころは宝石なんじゃないかって……今はそう思える。
「だからね、ゼトさん。ぼくは…………あっ――」
――ぼくは拾い続ける。
この街に転がっている石ころを。
ぼくみたいに輝けないでいる、灰色の宝石たちを。
何回12時の鐘が鳴ろうと、ぼくは拾い続ける。
ぼくの大切な人が今……ぼくを抱きしめてくれているように、ぼくもみんなを抱きしめるんだ。
だってぼくは、石ころのレザリアだから。




