13
風が少し生ぬるい。
レザリアは街中を練り歩いた後に琥珀大橋を訪れていた。
レザリアはアンバーブリッジの橋の欄干に腰かけ、ノートを開く。
大量の宝石を運ぶ馬車は、ノートを開いているレザリアを気にすることもなく通り過ぎていった。
(馬ってかわいいなぁ)
レザリアはそんなことを考えつつ、ある実験を続ける。
その実験が上手くいったことを確信すると、レザリアはそのまま夜を待った。
夜更けになると、レザリアが待ちに待っていた者達が現れた。
彼らは黒いマントを身に纏い、重たい足音を立てながら端の向こう側から歩いてくる。
レザリアは自分の姿をさらすかのようにして端に立った。
しかし、彼らは全くレザリアに気がつくそぶりも見せずにそのまま通り過ぎて行く。
(見えない……)
暗闇に目を慣らしてはいたものの、フードに隠れた顔を確認するにはいたらなかった。
ぼんやりとした影の中に輪郭が見える気がしただけで、人らしいこと以外は何も分からない。
しかし、レザリアは確かな収穫を得た。
黒いマントの者達は、暗い時間に現れるかもしれないということ。
レザリアが覚えた『姿隠し』の魔法は、使えるということ。
(もう帰ろう。今日はこれだけでも十分だ)
12時をまたがずに帰ろうとしたその時だった。
「レザリアー! リリィが来てあげたわよ!」
リリィさま!?
突然聞こえたリリィの大声に戸惑うレザリア。
「橋の端っていっても、端なんていっぱいあるじゃない!」
レザリアはすぐに声のする方に走っていく。
声をひそめてリリィに呼びかけた。
「……リリィさま!」
「レザリア? どこにいるの!」
「……ここだよ!」
「どこよ!」
「……目の前!」
「なに言って……あら、いるなら言いなさいよ」
「……隠れてたんです!」
「なんで隠れるのよ」
説明している余裕はない。リリィの手を引っ張り、端の大きな手すりの陰に隠れる。
「ここがあんたの家ってわけね。じめじめするわ」
「……なんで来たの?」
「決まってるじゃない。友達の家に遊びに来たのよ」
「……決まってない! ふつう……こんな暗い中遊びに来たりしないの!」
「何よ、そういうことは先に教えなさいよね」
レザリアは頭を抱えた。
黒マントが通り過ぎてから時間は立っていたが、リリィの声が聞かれたかもしれない。
すぐに移動するべきか、しばらくここで待つべきか、考えなくてはならなかった。
レザリアが黙っていると、リリィが少しうつむいた。
「リリィ、邪魔だったかしら?」
「そんなことない……けどリリィさま、今ぼくは悪い人たちから隠れていたの。リリィさまのさっきの声が聞こえたかもしれないから、ここから逃げるかここで待つか悩んでいたの」
「なんだ、そういうことね。なら良かったわ」
「よくはないけど……」
「逃げる必要なんかない。だってあんたの家なんでしょ?」
「あれは――」
――冗談だと言いかけたその時、レザリアが止める間もなく、リリィが橋の真ん中に飛び出した。
「出てきなさい悪い奴ら!! リリィの友達の家を奪おうったってそうは行かないわ!!」
リリィには冗談が通じない。分かっていたはずなのに。
12時には忘れるからってあんなことを言ったから……。
「だめじゃない……子どもは寝る時間よ?」
知っている声――レザリアが戦った黒マントの女の声がした。
「あんたがリリィの友達の家を脅かす悪い奴?」
「あなたのお友達の家? ふふ、どういう意味かしら?」
「そのままの意味よ。リリィの友達は橋の端に住んでいるのよ」
「……本気で言ってるの?」
「決まってるじゃない。そう言ってたもの」
「あなた……多分騙されてるわ。それよりも、早く帰った方がいい」
「は? 何言ってるの。友達が騙す訳ないじゃない。帰るのはあんたの方よ」
レザリアは二人のやり取りを聞きながら違和感を覚えていた。黒マントの女からは敵意が感じられなかったのだ。
「聞き分けの悪い子ね。そのお友達がいなかったからあなたはひとりなのでしょう?」
「ひとりなわけないじゃない。すぐそこにいるわよ」
「……へえ、じゃあ呼んでもらえるかしら」
レザリアは身構える。
「呼ばないわよ。リリィが友達を差し出すわけないじゃない」
リリィの真っすぐな言葉がレザリアの胸に刺さる。
また、その言葉が黒マントの女にどう響いたのかは分からないが、女は笑った。
「じゃあ、おねえさんは行っちゃうけど、リリィちゃんも早くお家に帰りなさい。友達の家には夜遅くに来るものじゃないのよ?」
「それはリリィの友達もそう言っていたわ。やっぱりそういうものなのね。分かったわ、リリィもすぐに帰る」
「そうしてちょうだい。じゃあ、おねえさんは先に行くね。しばらくしてからあなたも帰りなさい」
「そうするわ」
黒マントの女は再び街へと戻っていった。
足音も聞こえなくなった頃、レザリアはリリィに駆け寄る。
「リリィさま……!」
「悪い奴らはいないわね」
「お願い、家に帰って!」
「帰らないわよ、悪い奴らをまだ追い払ってないわ」
「今日はもういいの……代わりに、リリィさまの家に遊びに行きたい!」
「だめよ。普通はこんな暗い時間に遊ばないんでしょ?」
「けど……リリィさまは、ぼくと遊びたいから来てくれたんでしょ?」
「決まってるじゃない」
「じゃあ、今日はふつうじゃなくて、とくべつな日にしよう……!」
レザリアの必死の説得のかいあって、リリィは「そうね」とだけ言って納得したのだった。
レザリアとリリィは誰にも見つからないように気を配りながら、何とか橄欖石通りのリリィの家にまでたどり着いた。
「なんで『姿隠し』をしないといけなかったのよ」
「リリィさまが悪い奴らに見つかったらどうするの!」
リリィから教えてもらった魔法――『姿隠し』は、自分の存在を周囲から隠すものだ。レザリア達はリリィの家に行くまでの間、常に姿隠しをしていた。
「決まってるじゃない。倒すのよ」
「決まってないの! 悪い奴らに出会ったら逃げるものなの!」
「いくらリリィが天才でも、この魔法は凄く疲れるのよ。倒した方がましよ」
「ぜったいこっちの方が楽だよぉ……」
実際のところ、レザリアはこの魔法を使っても疲れを感じることは全くと言っていいほどなかった。
一方で、リリィが嘘をつくとも思えない。
魔法には得意不得意があって、レザリアが得意なのは幸か不幸か『姿隠し』なのだ。
空を飛ぶ魔法も何度も試そうとしたが、リリィの言っていた通り、どうやら空には嫌われているらしい。
「レザリア、遊ぶわよ」
「そうでした……そういう話でした……何して遊ぶ?」
「知らないわよ。あんたが考えて」
「リリィさま、友達はね、何をして遊ぶのかを一緒に考えるものなんだよ? 多分」
「そうなのね。けど、リリィは何も知らない」
「知らないなら知らないで、友達にそう伝えてあげるといいんじゃないかな」
「伝えたじゃない」
「先に伝えるの。こういうのは順番が大事なんだよ」
「結果は同じよ」
「順番が変われば結果も変わるんだよ」
「ねえ、やっぱり友達って難しいの?」
「そうだねぇ……魔法が得意な人もいれば、友達作りが得意な人もいるし、人によるんじゃないかな」
「そうなのね。リリィは魔法の天才よりも友達の天才になりたかったわ」
リリィの予想外の言葉にレザリアは目を丸くした。ことあるごとに魔法の天才であることを主張してきたリリィがそんなことを言うなんて――
「――リリィさま……リリィさまにはすっごい友達の才能があるよ!」
「ほんと?」
「まだ花開いていないだけで、ほんとに……すっごくあるから!」
「……そうなの。早く咲いてほしいわ」
「これから咲くんだよ……!」
レザリアはリュックからメモとペンを取り出した。
「何を書くの?」
「ないしょ。リリィさまは見ないで」
「そう」
「後で見せてあげるから」
レザリアは、リリィに隠しながらペンを走らせる。書き終わると、その紙を折りたたんでリリィに渡した。
「リリィさま、あの壁にかけてある時計の針が11時45分をさす直前にこの紙を開いて?」
「なんでそんなに中途半端な時間なのよ」
「あの時計、15分遅れてるでしょう?」
「そうなの? 知らなかったわ。とにかく12時になる直前に開けばいいのね」
「そうだよ? 約束だからね」
「ねえ、約束って血文字が必要だったりするの?」
「必要だったりしません」
「目に見えない契約なんて信用できるのかしら」
「見えない力を信用してるくせに……そういうのとはちょっと違うの」
「わかったわ。いい加減はやく遊ぶわよ」
「じゃあ、かくれんぼでもしよっか」
「いいわ。どんな遊びなの?」
「片方が隠れて、片方が見つける遊び」
「なんだかあんたが得意そうな遊びね」
「じゃあ、ぼくが家の中のどこかに隠れるから、リリィさまがぼくを探してね? もしどうしても見つけられなかったら、この部屋で待ってて。あの時計の針が11時45分になったら、ぼくも戻ってくるから」
「分かったわ。絶対に見つけてやるんだから」
抑揚の少ない声とは裏腹に、リリィは楽しむ気満々のように見えた。
レザリアも思わず微笑んだが、すぐにリリィから目を背ける。
「目をつぶって10数えるのね? いいわ」
「大きな声で、しっかり耳をふさいでね?」
リリィの秒読みが始まると、レザリアは静かに家の入口に向かった。
「いーち、にーぃ」
ゆっくりとドアを開けたが、それでもきしむ音がした。
「さーん、しーぃ」
ドアの音は聞こえなかったらしい。
耳をふさいで机に顔を押し付けるようにしているリリィ。
その姿をレザリアはじっと見つめる。
「ごーぉ、ろーく、しーち、はーち、きゅーぅ、じゅーう――」
レザリアはドアを閉めた。
「――もういいかーい?」
秒読みが終わり、探し始めてもよいかをリリィがたずねたが、それに答える声はない。
「まったく、レザリアったら忘れっぽいのね。『もういいかーい』の後は『まあだだよ』って言っていたじゃない」
レザリアはドアを背にして決して誰にも聞こえないように呟いた。
「もういいよ」
少女はリリィの家から、足音を立てないようにして離れた。
自分を探し求める声を、これ以上聞かなくてすむように。
少女はふらつく足取りで、ギベオン書店のドアを開く。店内には、心配そうな顔をしたゼトが待っていた。
「おかえりなさい。1時までにはということでしたが、それでも心配しました。ご無事でなによりです」
少女はドアを閉めると、「今日、ともだちができたの」と言う。
「その子は、ともだちがひとりもいない子で、ぼくが初めてのともだちだったの」
「それはよかったですね」
「あした、その子に初めてのともだちができるんだ。でも、そのともだちはぼくじゃないの」
少女の言葉に、ゼトは言葉を返さなかった。
ただ、壁にかけられた時計を見てから、少女に向き直る。
12時の鐘が鳴るとすぐにゼトは口を開いた。
「レザリアさん」
「うん」
「おかえりなさい」
「ただいま、ゼトさん」
二人が見つめ合っているところに、小さな子猫が歩いてきた。
子猫はレザリアの足の匂いを嗅ぎに来たらしく、レザリアの足元をぐるぐるしている。
「くさくないよぉ」
すると今度は身体を足になすりつけてきた。
「だめだよ、知らない人にかんたんに気を許したら」
レザリアは子猫を抱き上げ、そっと撫でる。
「ゼトさん、この子の目……!」
「えぇ。色変えの魔法で両目の色を変えています。一時的なものではありますが、毎日かけてあげれば問題ないでしょう」
子猫の瞳の色はモモ色でもハチミツ色でもなく、両方とも茶色になっていた。
「今日はこの子も1階にいたの?」
「仕事中も視界に入っていないと心配ですから。それと、2階や倉庫に閉じ込めるのはかわいそうかとも思いまして」
「ぼくも心配だな。ゼトさんがこの子にばかり時間を取られないか――」
そう言葉にしてからすぐに言い直す。
「――なんてね! 本当はゼトさんばっかりこの子と一緒にいてずるいなって思っただけだよ!」
レザリアは何か言われる前にそそくさと2階に向かって走っていくのであった。
三人の少女が朝の翠緑庭園を歩いている。
シルゥカとスアレ、そしてリリィだ。
シルゥカはリリィに対して説教をしている最中らしい。
「――こらリリィ! そういうことは先に伝えないといけないんだって!」
「伝えたじゃない」
「先に伝えるんです。順番ってとても大切なんですよ?」黙って聞いていたスアレが、口を挟む。
「結果は同じよ」
「順番が変われば結果も変わるんだって!」
「ねえ、やっぱり友達って難しいの?」
「そうですね……私は難しいと思います。だって、相手がどんな気持ちでいるかなんて本当のところは分かりませんから」
「そうよね。言葉にしてくれないと分からないわ」
「だーかーらぁ! 先に言葉にしろって話なんだって――」
その光景をひとり眺めているレザリアは微笑んだ。
「がんばれ、リリィさま」
レザリアはそう言って、翠緑庭園を後にした。
レザリアはメイジ―の家のドアを叩く。
そんなに日は空けていないはずだが、レザリアはずいぶんと懐かしい気さえしていた。
「はいはい、どちら様ですか?」
「ぼく、ぼくだよ」
「もしかして……シャンティちゃん?」
「……」
レザリアが答えないでいると、心配そうな顔をしたメイジ―が顔を出す。レザリアは顔を上げたが、何もつけられていないメイジ―の首元を見つめてうつむいた。
「あらあら……早くお入り」
「おじゃまします」
いつものように、ほろ苦いパイを噛みしめるレザリアと、それを見守るメイジ―。ただ黙々と食べるだけで、会話らしい会話はなかった。
そうやって時間が過ぎていく中でも、メイジ―が微笑みを絶やすことはない。
「おばあちゃんはさ、いつもひとりでさみしくないの」
本当は一番聞きたかったことをメイジ―に尋ねる。
メイジ―は困るそぶりも見せずに、穏やかな口調で答えた。
「寂しくないと言ったら嘘になっちゃうわね。でもね、年を取るにつれて寂しい気持ちを感じている時間も短くなっているような気がしているわ」
「時間が解決してくれるってこと?」
「そうね。そうとも言えるかもしれないわ。ただ、この寂しさは失くしてはいけないとも思っているわ」
「どうして。さみしい気持ちなんてなくなった方が楽しく生きられるんじゃないの?」
「そうかもしれない。けれど、おばあちゃんはそうは思いません。むしろきっと逆だわ。寂しい気持ちがなくなってしまったら、みんな死んでしまうのよ」
「よくわかんない」
「寂しい内はね、まだ誰かに期待してるってことなのよ。誰かが会いに来てくれるかもしれない、まだ私のことを覚えていてくれているかもしれない――そんな風に期待しているから、おばあちゃんは生きているの」
「でも、それって辛いよ。みんな忘れてるかもしれないよ」
「けれど、あなたはパイを食べに来てくれたわ。だから今日、生きていて良かったって思っているわ」
「明日には忘れられちゃっても?」
「そうねぇ……」
メイジ―は言葉に詰まっていた。
しかし、レザリアは続けた。
「おばあちゃんは、知らないからそんなことが言えるんだ。本当に忘れられちゃうことの辛さなんて何にも分かってないよ。ただ知っているふりをしているだけだ」
レザリアは息巻く。
「だって、おばあちゃんは何にも覚えてないじゃない。ぼくのことも……シャンティのことだって!」
胸の底から湧き上がる熱いものが、目にまで伝わってくる。
レザリアはようやく自分が本当に伝えたかったことに気がついた――その時だった。
コン……コン……コン……コン……
ドアの方から、弱弱しく硬い音が聞こえてきた。
レザリアは急に熱が冷めた気がして、メイジ―に謝った。
「ごめんなさい。ほんとはぜんぶ、ぜんぶぼくが悪いんだ。おばあちゃんは何にも悪くないのに…………どうかしてる」
立ち上がろうとするメイジーだが、レザリアが先に立った。
「ぼくが出るから、待っててね」
おばあちゃんを尋ねる人がいるなんて珍しいな……誰だろう。
レザリアは「ごめんなさい、お待たせです」と言ってドアノブをひねった。
「あっ――」
ドアを開いた先に立っていたのは、白仮面のガラスの少女だった。彼女の身体のあちこちから、ガラスが割れる音がしている。
「――あの……えっと……」
レザリアが言葉に詰まっていると、後ろからメイジ―の声がした。
〈どうかしたのかしら……?〉
レザリアは「ううん、なんでもないよ!」と返事をしてから、白仮面の少女に向き直る。
「あの、どんなご用……ですか?」
おそるおそる声をかけると、仮面の奥から険しい声が返ってきた。
「どんな? あなたこそ、どんな理由でこの家にいるの?」
「えっと……理由が必要ですか」
レザリアがそう答えると、白仮面の少女は少し考えるように黙る。
「ここは……メイジ―という人の家ではなかったかしら」
メイジ―おばあちゃんを知ってる……?
レザリアは声をひそめて白仮面の少女に問いかけた。
「それに答える前に、あなたがどなたなのか教えてもらってもいい?」
「……必要?」
「いきなり仮面をかぶった人が現れたら、普通は必要だよ」
「それは……そうね。その通りだわ」
彼女は険しかった声を改めて、ためらいながらも名前を明かした。
「私は……シャンティ。ここに住んでいたメイジ―という人の孫なの。ここにはもう、住んで――」
言い終わる前に、シャンティと名乗った白仮面の少女は再び押し黙った。
レザリアが振り返ると、メイジ―がおぼつかない足取りで歩いてきていたのだ。
「……お客様かしら?」
ぱきりという音がした。
メイジ―から遠ざかるようにして、白仮面の少女は後ずさりする。
「あら、あなたは――」
メイジ―が何かを言おうとした時、少女は全身から悲鳴を上げた。
「いやッ……言わないで……! どういうことなの……? どうして、この家に――」
レザリアとメイジ―を交互に見て頭を抱える少女。
レザリアが手を伸ばそうとするが、白仮面の少女は逃げるようにして走り出した。
「待って!!」
レザリアが追いかけようとした時、後ろから何かが倒れる音がした。
メイジ―が倒れていたのだ。
「おばあちゃんッ!!」
レザリアは倒れているメイジ―に駆け寄る。
「だいじょうぶ!?」
「えぇ……大丈夫ですよ。ちょっとつまずいただけ……」
「全然だいじょうぶじゃないよ! ……立てる?」
「えぇ……なんとか」
レザリアに肩を借りると、メイジ―は何とか立ち上がった。
「痛くない?」
「えぇ……そんなことよりも、あの子を……シャンティちゃんを……」
「おばあちゃん……今、あの子のことシャンティって……」
「ごめんなさいね。あなたがシャンティちゃんじゃないってことは、一目で分かっていたの。でもねぇ、あなたがパイを食べてくれているのを見ていると、言い出せなくなって……」
メイジ―は支えられながら、弱弱しい声で続ける。
「もし、本当のことを言ってしまったら、あなたがどこかへ消えてしまう気がして……だったら、このまま気づかない振りをしていた方がいいのではないかって……そんなことを考えていたの。そうしたら、今度は……シャンティちゃんが……」
ぼくのせいだ。ぼくがいたから、あの子が――シャンティが……!
「こんなことをお願いするのは図々しいと思うけれど、シャンティちゃんを呼び戻してはいただけないかしら……」
図々しい? そんなのぼくの方が――
「――絶対に呼び戻すから、おばあちゃんは休んで待ってて!」
レザリアはメイジ―を寝室まで連れていき、ベッドに寝かせる。
メイジ―が申し訳なさそうな顔をしていることに、レザリアは耐えられなくなった。
「ぼくの方こそごめんなさい。嘘をついて。ぼく……本当はレザリアっていうの」
「レザリアちゃん……いいお名前ね」
「それから、自分から質問したくせに……勝手に怒ってごめんなさい」
「人に怒られるのは……もう何年ぶりのことかしら……生きているってこういうことなのね」
メイジ―は懐かしいものを見る目でレザリアの頬を撫でる。
「期待されて、嬉しかったわ」
そっか……ぼくは、ずっと期待してたんだ。
おばあちゃんに名前を呼ばれることを。
「いってきます……!」
レザリアは家から飛び出すと、脇目も振らずに時計塔へと向かう。走り出した時に理由を考えてはいなかったが、足が勝手に動いていた。
ゼトさんに助けを求める時間はきっとない――そう直感したレザリアは、街の中心まで一直線で走り出した。




