11
ゼトは落ち着き払った様子で紅茶を飲むと、「うん。おいしいですね」と何事もなかったかのような調子で言う。
「ぼくに……戦いの才能? 戦いたくなんてないよぉ!」
「すみません、話の流れもあったせいで戦いの才能と言ってしまいましたが、魔法と同じように、役に立てようと思えば何にでも役立てることができます。例えば、時間に正確なのだとしたら、運び屋の才能と言えるかもしれませんし、料理の才能と言えるかもしれません」
「……これって呪いだったりしないかな」
「そればかりは何とも言えませんが……少なくとも、その才能――力が、あなたの命を助けました。今はそれを前向きに受け止めるべきでしょう」
「そういうものかなあ」
「もちろん、僕もレザリアさんには戦ってほしくなんてないと思っています。たった一人で正体不明の敵に立ち向かうなどということは、二度としないでほしい……と、思っています」
ゼトはレザリアとは目をそらしたままだった。
こういう真剣なことを言う時、ゼトは真っすぐに相手と向き合う人のはずだ。
「ゼトさんの言ってること……分かるよ? 正しいと思うし、嬉しいよ……? どうしてそんな顔するの?」
「いえ、すみません。さっきの言葉は少し、一方的だと思っていたんです。あなたの境遇や価値観、それらを考えずに、僕の一方的な願いを言っている気がしてならなかったので……」
なんだろう。
「ゼトさんってさ……考えすぎ?」
「……そうかもしれません。ここ数日は特に、色々と考えてしまいます」
「色々って?」
「色々は……色々です」
変なの。いつも正しいことしか言わないし、正しいだけじゃなくて優しいくせに。
「ねー?」
「にゃー?」
突然同意を求められた子猫は、猫のように返事をした。
子猫は既に眠そうにしている。
「ごめんねぇ、退屈だったよねぇ?」
「にゃぁ」
「その子のことや、琥珀大橋の向こう側のこと……これから考えていかないといけませんね……」
ゼトさんも眠そう。ぜんぜん寝てないんだもんね。
「ゼトさん、この子なんだけどね、ゼトさんが抱いててあげてほしい」
「それは……分かりました」
ゼトに子猫を託すと、レザリアは寂しそうに笑った。
「まだ12時までには時間がありますが……」
「早めにゼトさんのこと、安心できる人だって覚えて欲しいから。もう大丈夫だとは思うけど」
やるせない時間が少しの間流れたその時、ドアの方から鈴の音が聞こえてきた。
「ゼトさん、あれって……」
「閉店の札は出しているので、本をお求めのお客様ではないかもしれませんね」
少しして、「おいゼト!! 来たぞ!!」という大声が店内に貫通してきた。
「叔父さん! 入ってください!」
ドアの鍵がひとりでに外れると、ふんぞり返ったゴールデン・ラルム号の船長――アズールが姿を現した。
「おいおい、実の叔父をこき使っといててめぇはかわいい嬢ちゃんとティータイムってかぁ?」
アズール船長が店内に入ると、ドアが勝手に閉じられた。
「こんな細工までしやがって。ギベオン書店はいつから密会所になっちまったんだ。親父がなくぜ? 猫みたいににニャアとなぁ?」
船長は子猫を見ながら冗談を言う。
子猫の方は、冗談など伝わらずにただただその大きな目をさらに丸くした。
「おいおいこいつぁ……とんでもねえ悪趣味な野郎がいたもんだ」
子猫の瞳に埋め込まれた猫目石を見て、船長も負けじと目を丸くする。
レザリアが慌てて用意した椅子に座ると、「ありがとな、嬢ちゃん」と言ってからゼトを睨んだ。
「おめえ、なんかやべえことに手を出そうとしてんじゃないだろうな」
「あはは……そんな予定はまだないです」
「女には手を出しているようだがな?」
「あの……ぼくはレザリア。ゼトさんはぼくによくしてくれてるよ?」
「おぅ分かるぜ? こいつはな、筋しか残ってねぇ赤身みてぇなやろうだからな」
「おじさん、それじゃもはや白身だよ?」
「だーはっは! おいゼト! この嬢ちゃんいい子じゃねぇか!」
ゼトは苦笑しつつ、ずっと寂しげだった空のティーカップに紅茶を注いで叔父に渡した。
「ミルク入れたか?」
「……今、入れましたよ」
「おい、そこは『見りゃわかんだろ』って言うとこだ」
「てっきり目が悪くなったのかと思いまして」
「よく言うぜこのやろう」
なんで、おじさん急に来たんだろう?
レザリアはまだ状況を掴めていなかった。
「おい、嬢ちゃんが打ち上げられた魚みてぇなつらしてんぞ? 俺が来るって伝えてねえのか?」
「来る確証はありませんでしたから」
「ヒトデ野郎が『船長ぁ! なんか変な鳥が飛んできたっす!』ってうるせえからよお。『おめえに言われるたあ気の毒だな』と言ってやったのさ。だが、その鳥は確かに俺の方に飛んできたのよ。とっつかまえてようやく分かったが、ペラペラの紙でできた鳥だったのさ。それに良く知った字で『アンバーブリッジを監視せよ』なんて意味深なことが書かれてるときたら、夜も眠れねぇ。言葉通りな」
船長はあくびを見せびらかしてきた。
「すみません。漁の途中でしたよね」
「これもヒトデ野郎が見つけちまったせいだ……たく」
アンバーブリッジの下を流れる河は、そのまま海へと繋がっている。
船長は海から河を上ったということだった。
「叔父さんには昨晩の出来事の後、アンバーブリッジに何か異変がないかを探ってもらっていたんですよ」
「『昨晩の出来事』ってのが何を指すのかは知らねえが、そういうこったろうな」
そんなことまでしてたんだ……。
「それで、何か見ましたか」
「あぁ……いたぜ? まるで海岸のフナムシみてえによぉ――」
船長は紅茶を飲み、テーブルに置いた。
「――怪しい人影がわらわらと」
少女はぞくりとして、身をこわばらせる。
「俺も職業柄、目はいい方だがよお、顔までは分からなかったぜ」
船長はそう言って目を細めた。
「あれはなんだ? アンバーブリッジの向こう側から街にぞろぞろ入っていったが、その子猫や嬢ちゃんと関係があるのか?」
震えるレザリアに代わって、ゼトはこれまでのことをかいつまんで説明した。
それを聞いた船長は腕を組んで天井を見上げた。
「――そりゃおめえ、ずいぶんと難儀な話だな。いや、難儀なんてもんじゃあねえな。どう考えても事態は深刻だろうぜ。きなくせぇ奴らが血眼になってその猫を探してるというわけだ」
レザリアは必死に震える膝を抑えようとしたが、その手が震えてしかたがなかった。
「だが、俺が言いてえことはそんなことじゃねえ。嬢ちゃん」
おこられる……。
少女は青年の方を見たが、彼は目をつぶっていた。
「よくやったな」
「……え?」
「これは漁師の勘なんだがよぉ、嬢ちゃんの選択は間違っちゃいねえ。絶対になぁ」
「……絶対」
「そこは『勘なのに絶対なの?』って言うところだぜぇ?」
豪快に笑う叔父に対して、ゼトは呆れた声で「いちいち怖がらせないでください」とため息をつく。
「ばろう、現実は見なきゃならねえ。暗い現実も、明るい現実もな。恐怖を知らない船乗りは笑ったまま海に沈む。そういうこった」
ぽかんとする少女を見て、船長がゼトに向かってあごをクイとした。
「レザリアさんは、怖いと感じている自分をどう思っていますか」
「……すごく、いやだ。ぼくが決めたことなのに、また怖くなってる。同じことの繰り返しみたいで、すごく、いやだ」
「僕も叔父さんと同じで、あなたがそう感じることを悪いことだとは思いません。むしろ、よいことだと思っています」
「どうして……?」
「怖いという気持ちがあるから、今あなたはここにいるんです。もしも漁師が嵐を怖がらずに海に出たら、きっとその漁師は死んでしまうでしょう。かといって、怖がってずっと陸に立ちっぱなしでいたら、魚を得ることはできません」
「うん……」
「レザリアさん、あなたは怖いという気持ちがありながら、それでも海に出た船乗りと同じなんです。この子を助けた。何度でも言いますが、あなたは無謀な船乗りではなく、臆病な船乗りでもなく、勇敢な船乗りなんです。そのことを忘れないでください」
ゼトの説明を聞いて船長は満足そうにしていたが、ゼトは少し歯噛みしているように見えた。
「僕は、レザリアさんから昨晩の出来事を聞いて、強く後悔しました」
「おいおめぇ、海に出たのか。《航海》だけに」
「おじさん、だまってて」レザリアがたしなめる。
「僕は、レザリアさんの選択は正しいと感じています。でも、僕の選択はどうだったのでしょうか。僕は、レザリアさんがこの子猫を追いかけている間、ずっと店を営業していました。店じまいをしてからも、『そのうち帰ってくるだろう』って、安易な想像をしていました。よくお世話になっていたという方の家に今日は泊っているのだろうとか。
けど、蓋を開けてみたら全然違っていて……知識として、人は楽な方に物事を考えやすいということは知っていたのに、僕はあなたが危ない目に遭うかもしれないことを全く考えられていませんでした。魔女の件だってあったのに……僕は……無責任でした」
そっか。ゼトさんが気にしていたのって、そういうことだったんだ。
でも、それって全然ゼトさん悪くない。
「それはおめぇ――」
「それはゼトさんの責任じゃないよ。ぼくが最初から勇敢な船乗りだったら、ゼトさんにそんな思いをさせなくてすんだんだ」
「しかし……」
「責任を感じちゃうんだったら、ぼくにも分けて。『今日は何時までに帰るね』って、ぼくの方こそ言えばよかったんだよね。そしたら、ゼトさんだって時間までに帰らないぼくのこと心配して行動してたと思うもん。ごめんなさい、ぼくも悪かったの」
「レザリアさん……」
ゼトは思い直した様子で顔を上げると、ようやくレザリアの瞳を見た。
「まあ、なんつーかよぉ、ゼト。おめえも年相応にガキだっつーこった。他人の責任を持つにはまだまだ半人前だっつーことよ」
「あはは、叔父さんの言う通りですね」
「おじさんうるさい」
「なんでぇ、これは漁師流のイカしたフォローってやつだぜ?」
「うるさいよねぇ?」
「にゃあ」
レザリアはなんだかおかしくなって、ころころと笑う。
「で、ゼトよ、これからどうする」
「基本的にはこれまでと同じような日常を継続していきます。もしも、この子猫を狙う者達からすれば、不自然に休みの多い書店は目立つでしょうから」
「ま、それもそうだな。嬢ちゃんは?」
「ぼくは、街のことをもっと色々探ります。勇敢な船乗りとして」
「おいゼト知ってるか? 男子は3日と経たねえうちに成長するらしいが、女子はたった一晩で変わっちまうようだぜ?」
「そのようですね」
アズール船長が豪快に笑うと、店の中が明るくなるような気がした。
「だいぶ長居しちまった。そろそろ出るぜ」
「叔父さん、色々とありがとうございました」
「《ました》じゃねぇ、これから毎日連絡よこせ。いいな」
「お礼がかさみそうです」
「ばかやろう、感謝なんてのはいくらもらっても困らねえもんさ」
よっこらせと立ち上がり、船長はドアに向かった。
レザリアが先回りしてドアを開けると、船長は二カッと歯を見せる。
見送る二人に背を向けたままアクアマリンのブレスレットを見せてギベオン書店を立ち去った。
「おじさん、いつもあのブレスレットつけてるね」
「大切なものらしいです。多分、僕が生まれるよりも前からつけているんじゃないかなぁ」
「ゼトさん……?」
「どうかしましたか?」
「えへへ……何でもないよ」
「変なレザリアさんですね」
ゼトが不意に見せたわずかな隙が、レザリアにとっては光る星のように思えたのだ。
船長を見送ってから、12時までの残りの時間は子猫から話を聞く時間にした。
しかし、子猫は母親の名前や、自分の名前すら分からないようで、手がかりらしき情報を得られないまま……時間ばかりが過ぎていく。
(自分が誰なのかを分かっていないなんて、ほんとにぼくみたい)
ゼトの腕の中で抱かれている宝石の目をした小さな猫。
レザリアはふと、宝石ではない方の目を見た。
「ねえ、ぼく、あなたのことどこかで――」
――見たことがある気がする。
でも思い出せない……ゼトさんなら絶対思い出せるのに。
頼りにならないな、ぼく。
そういえば、水の人はシャトヤンシーちゃんのことを助けてって言ってた。
だからぼくは、助けないとって思って走ったんだ。
水の人なら、この子のことが分かるのかな。
「レザリアさん……」
「うん、もうすぐだね」
レザリアは猫の前足をふんわりと握って、上下に軽く揺らした。
「ぼく、あなたのことあきらめないから」
「おねえちゃん……?」
「ゼトさんの言う事、しっかり聞くんだよ?」
「にゃあ」
レザリアはリュックを背負い、ドアへと向かう。
「ゼトさん、今日は1時までには帰ります」
「それはまた……遅くなりますね」
「もし何かあった時は、12時を使って逃げるから」
「どうしようもなくなった時は、時間も何も気にせずに戻ってきてください」
「……うん!」
「では……こちらも持っていてください。」
なんだろう?
ゼトが手渡したのは、ダイヤモンドの指輪だった。
指輪の半周を細かなダイヤが溝に埋め込まれている。
「えええぇぇぇーッ!?」
「すみません、そういう反応にもなりますよね。ただ、可能であれば指につけていただく方が失くす可能性は減るかと思います」
「こんな……こんなのつけられないよ!」
「ハーフエタニティリングなので、フルに比べると地味だったかもしれません」
「半分とかそういう問題じゃないよ! 高価なものには変わりないでしょ!」
「そうですね……祖父母がつけていたペアのひとつで、相当頑張ったのだと思います」
「なおさらもらえないよ! ゼトさんどうかしちゃったの!?」
思わず声が大きくなってしまったために、子猫がびくっと震えた。
「あぁ、ごめんね……?」
少女は慌てて声をひそめる。
「レザリアさん、僕は真剣です」
「ややこしい言い方しないでよぉ……!」
「預かってもらえるだけでいいんです。このリングにはまじないが刻印されていて、お互いの場所を教えてくれるんです。昨晩のようなことが起きた時に、何もできないのは嫌ですので、どこかに持っていただければ」
「なっ……そういうことは先に言ってくださいっ……!」
「順を追って言うつもりでした」
「ゼトさんの順番壊れてるの……?」
疲れる……このゼトさん疲れる!
「できることは何でもする……僕があなたにそう言った以上、僕はそれを実行するだけです」
「わかったわかりました……! つければいいんだよね……!」
レザリアはゆっくりと左手の――
「くっ!」
中指にはめ込んだ。
「…………ぴったりだ」
「よかったです」
涼しい顔で『よかったです』……じゃないよ!
「ゼトさんはどこにつけてるの」
「右手に」
「あっそ。行ってきます」
「いってらっしゃい」
レザリアはドアを勢いよく開け、勢いよく閉めた。
そして、ドアに背をあずけ、空を見上げる。
左手を青い背景に重ねて、深く息をつくと、指輪を外し、隣の指にはめ直す。
その時、鐘が12時を告げ、街から少女が消える時間が訪れた。
「ぼくを知ってるのは、ぼくと――」
少女は左手を胸に抱きしめる。
「――ゼトさんだけ」
ほんの1秒にも満たない時間だった。
すぐにダイヤが見えないようにしながら、指輪を中指にはめ直す。
顔を両手で覆った。
「最低だ……ぼく」
忘れてほしくないくせに、ぼくはすぐに忘れようとするんだ。
レザリアは静かに立ち上がり、大きく伸びをすると、いつものように駆け出した。




