「きみを愛する事はできない」なんて事を言うのですか旦那様!
静かな微笑みを湛えた美しい花嫁と真っ直ぐ前を見据えた花婿。
参列者の温かい祝福に包まれた幸せな結婚式。
ああ、今でも思い出すだけで頬が緩んでしまう。
真っ白なウェディングドレスに降り注ぐ色とりどりの花びらを摘んではにかんだ花嫁は本当に美しくて可愛らしくて絵になる。
その光景はとても素敵だったわ。
──なのに、この男はこの期に及んで何を言い出すのか。
「きみを愛する事はできない⋯⋯」
なんて事を言うのですかこの旦那様は!
待ち望んだこの日、幸せと緊張に体を震わせていた花嫁に対して入室一番にかける言葉ではない最低のもの。
思わず目を見開いてひっぱたきそうになったけれどグッと堪えて私は旦那様を見つめた。
「⋯⋯理由は⋯⋯いいえ、分かっています。愛されている方がいらっしゃる。そう言う事ですものね」
「きみには何度も話していたはずだ。きみもそれを了承して私と結婚をしたのではないか」
「ええ、そうですわね。しかし、私達の結婚は王命によるもの。違えることは王家への謀反と見做されます」
「それは分かっている。だからきみを私の妻、レイブン家の夫人として迎えた。だが、私の愛する人は彼女だ」
「⋯⋯承知いたしました。旦那様、お疲れではありませんか? 今夜はもう休みましょう」
「きみはこのままこの部屋で寝ると良い」
最低! 最低! 最低!
初夜に一人寝だなんて! こんなのあんまりよ! 悔しくて流したくもない涙が溢れる。
旦那様の背中が扉から消えて私は手当たり次第に物を投げる。
枕やクッション、サイドテーブルに置かれた水差しまで投げつけて最後にベッドに飛び込んだ。
シーツを被って叫んだって何も変わらない。
でも叫ばずにはいられない。
あんなに優しかったのにあんなに真面目で素敵な人だと尊敬すらしていたのに。
大好きだった。今でも大好きなのに⋯⋯旦那様は変わってしまった。
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私ことチェワル子爵の娘、メイミン・チェワルと旦那様ことレイブン侯爵家嫡子ハイネス・レイブンとは幼馴染だった。
チェワル家はレイブン家の分家筋で親族の集まりで顔を合わせ、同い年ということもあり二人はすぐに仲良くなった。
けれど、どんなに仲が良くてもハイネスは侯爵家、私は子爵家。お互いの立場の違いを理解してからは私から距離を置くようになった。
それでも会えば楽しく笑い合い他愛ない話をするし手紙だって交わした。
そんな関係が続いていたけれど、あれは確か私が十四歳になって間もない頃ね。
ハイネスから婚約の申し出を受けたの。
私の両親とレイブン侯爵はハイネスは次期侯爵に相応しい相手を選ばなくてはならないのだと婚約の申し出を受けられないと青くなっていたけれどハイネスは諦めずレイブン侯爵を説得して「功績を立てれば許す」との言葉を引き出したのだ。
そして私達が十九歳になった年。彼は年に数回起きる水不足で作物も家畜も育たず生活に困っていた国内の各地に治水を広め、水の道を引き多くの国民を救ったと王家から誉れをいただいた。
ハイネスは侯爵に認めさせ納得させた上で私との婚約を取り付けた。
私が離れようとしていた間にハイネスは私の為に努力を重ねてくれた。
「メイミン、私と婚約してください。ずっときみが好きだった。これからもきみの隣できみの笑顔を守らせて欲しい」
すっかり逞しく凛々しくなったハイネスの言葉が嬉しくて堪らなかった。
あの頃の私はただ彼の隣にいたかっただけなのだもの。
それからは本当に幸せだったわ。毎日のように一緒に過ごして、婚約者同士なら当然のことをしながら愛を深めていった。
婚約期間は一年と決められ、その間私は花嫁修業に明け暮れた。
元々、子爵令嬢としてそれなりの教育は受けていたけれど上位貴族の奥方として恥ずかしくないようにとハイネスのお母様に厳しく指導してもらい、とても充実した日々を送っていたわ。
「ねえ、ハイネス。本当に私でいいの? 私はハイネスに何も与えられないわ。権力もお金も何もない」
そう、私は貴族という身分はあっても下位貴族。対してハイネスは侯爵家の跡取り息子。しかも国王陛下からも名誉ある称号を賜っている。
それに比べて私は何も持っていなかった。
だからこそ不安だったの。
私でいいのか。私なんかが彼を幸せにしてあげられるのかって。
「そんなことは問題じゃない。私はメイミンがいてくれると思うからこそ頑張れるし、幸せなんだ。メイミンの笑顔が好きなんだ。幼馴染として過ごす間、私は少しずつメイミンを好きになっていった。私を幸せにできるのはメイミン、きみだけだ。それとも⋯⋯メイミンは私を兄としてしか見られないのかな⋯⋯ならば、それでも良い。メイミンに私を男として見てもらえるまで待つよ」
「そんな事、そんな事ないわ⋯⋯私はハイネスが好き。ずっと⋯⋯私の方がずっと好きだわ!」
真っ直ぐに見つめられて優しく微笑まれれば心が温かくなって頬は熱くなる。
きっとこの気持ちは恋。私は彼を愛してる。そう確信できた。
私はハイネスと一緒になれる日を待ち望んで過ごしていた。
そして⋯⋯そして──ああ、そうだった⋯⋯わね。
ハイネスは変わってしまったのではない。
ハイネスに「きみを愛する事はできない」なんて言わせてしまったのは私だわ。
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私は夫婦の寝室を出てハイネスの部屋へ向かった。
本来なら夫婦の寝室を真ん中にして両隣が夫と妻の部屋になるのだけれど夫の部屋に通じる扉を開けてもそこにハイネスは居なかった。
ならば、考えられるのは良く二人で過ごした今までのハイネスの自室。
廊下からその部屋の窓に明かりが灯っているのを確認して私は扉を勢いよく開いた。
「何事だ!」
ソファーから転げ落ちたハイネスが驚いたように声を上げた。
辺りを見回すハイネスに、私は構わず詰め寄る。
ハイネスは眉を寄せて困惑しているようだけれど、それはこちらも同じこと。
だって、今日は結婚式。そして初夜。なのにハイネスは花嫁に「きみを愛する事はできない」なんて最低な事を言ったのだもの。
喧嘩をした時の私は力では敵わないのは分かっていたけど一生懸命ハイネスの胸を叩いたり、髪を掴んだり耳を引っ張ったり、頬を引き伸ばしていた。
ハイネスもそんな私を軽くいなして最後は宥めて来たわ。
「メイミン⋯⋯」
そうよ! 私よ!
一体ハイネスは何をしているの?
「怒っているのか? メイミンは私を叱っているのか?」
怒っているわよ、叱って欲しいなら叱ってあげるわよ。
「すまない⋯⋯すまないメイミン⋯⋯君だけ⋯⋯君だけだ⋯⋯私が愛するのはメイミンだけなのに⋯⋯私は妻を娶らなければならなかったんだ⋯⋯メイミン」
私に無いはずの心臓が締め付けられる切なさが込み上がってきた。
ハイネスの腕が広げられ私はその腕の中に飛び込む。
「本当にメイミン⋯⋯なのか?」
「ええ、そうよ。ハイネス」
「ああっメイミン!」
感じるはずのないハイネスの温もりが伝わってくる。
その手は震えていて、まるで迷子の子供が母親を見つけた時のようにハイネスは泣き出した。
そんなハイネスの頭を撫でながら私は自分の愚かさを呪った。
そう。私はもうハイネスの妻にはなれない。
私はこの世界での生を終えた存在なのだから。
一年間の婚約期間が終わる頃、国が揺れる自然災害が襲った。
幸いにもチェワル子爵領はその被害を免れ、領民も無事だった。
けれど、レイブン侯爵家は領地内の村や町が甚大な被害を受け、私の両親も他の分家も侯爵家を助ける為に奔走した。
私とハイネスは治水の堰が壊れていないか水の道が途切れていないか確認しながら領内を見て回っていた。
そして、その途中。
再び大きな揺れが来て、私達の馬車は崩れて来た岩に押しつぶされてしまったのだった。
散乱した馬車の破片、嘶く馬の声。私の名前を叫ぶハイネスの声がだんだんと遠ざかり⋯⋯私はその時にこの世界での生を終わらせたのよ。
「メイミン⋯⋯私をきみの元へ連れて行ってくれ」
「ハイネス⋯⋯それはダメよ」
「⋯⋯ここにはきみが居ない。メイミンを忘れてしまう事が怖いんだ⋯⋯」
ハイネスにも「いつか」はやってくる。
けれどそれは今ではないし、ハイネスが自ら終わらせる事はしてはならない。
ハイネスはこれ以上私に縛られてはいけないの。
その時、ハイネスの机に飾られている黒曜石のオブジェが光を放ち不思議な事が起きた。
その光に包まれた私の身体が実態を持ちハイネスの手が頬に触れた。
「ハイネス、私が見える?」
「ああ⋯⋯メイミン⋯⋯メイミン。私を迎えに来てくれたんだね」
「⋯⋯違うわハイネス。何故か分からないけれど私は少しだけ貴方に会えるようにしてもらえたみたい」
私は黒曜石を指差す。
あれは二人で行った祭りで手にした景品。本当は隣にあったペアグラスを取ろうとしたのだけれどくじ引きの番号は鷹や狼とかカッコいいデザインではなく口を開けた愛嬌あるアヒルのオブジェを引き当てた。
なんだか可愛いのかおかしいのか両方に私達は笑い、後にガラスだと思っていたけれど実は黒曜石だと判明して驚きながらも「黒曜石の無駄遣いだけれどこれはこれで唯一の品物だ」と笑い合った。
「メイミンとの思い出の品だ」
「ふふ、楽しかったわ」
そう言ってハイネスは私を抱き寄せる。私はハイネスの首に手を回し抱きしめ返す。
こうしてハイネスに触れるのはとても懐かしくて温かい。
ずっとこのままでいたい。でも、それはできない。願ってはならないの。
「お願いだメイミン。私を連れて行ってくれ。きみと一緒に──」
「それは出来ないわハイネス。私は貴方に言いたい事があって来たのよ」
私はハイネスに幸せを思い出して欲しい。
だから私は告げなければならない。
私は彼の腕から離れて一歩後ろへ下がる。そうするとハイネスの顔がよく見えるの。
眉を寄せて悲痛な表情をしているハイネスに私は微笑みかける。
そう、ハイネスは笑顔が好きだって言ってくれたものね。
「ハイネス。貴方はまだこちらに来てはいけないの。ハイネスは生きて幸せな気持ちをもう一度思い出して」
ハイネスは目を見開き、そして涙を浮かべて頭を振る。
「私はずっとハイネスを愛しているわ」
「私もメイミンを愛している。ずっと愛し続ける」
「それは嬉しいけれど⋯⋯貴方は生きて私は生を終えているの」
「だから! 私を連れて行ってくれ!」
「それは出来ない。したくない。ねえ、ハイネス。貴方は妻を娶った。彼女を幸せにしなくてはならないのよ」
「マグナリアには私には愛する人がいる。ずっとメイミンだけを愛していると伝えて──」
「マグナリア様はそれを受け入れてくださった。だからと言って初夜に「きみを愛する事はできない」なんてハイネス、貴方最低だわ」
私を愛してくれる。忘れたくないと言ってくれる。こんな嬉しい事はない。
だからこそ受け入れてハイネスの妻となってくれたマグナリア様を蔑ろにする事は許せない。
「自分以外を愛する人の元へ嫁ぐマグナリア様も辛いと考えなかった?」
「あ──」
はっとしたハイネスが私の言葉に動揺している間に私はハイネスに微笑んであげる。
そう、私はハイネスを残してしまった。私が居なくなった事で深く傷つけてしまった。
それが私の心残り。
でも、今のハイネスなら大丈夫。私が居なくてもハイネスを受け入れてくれる人がいるのだから。
「でも、私はメイミンを忘れたくない⋯⋯」
「ありがとう。でもね⋯⋯思い出は薄れて来たら語る事でまた蘇る。また会えるの」
そう。私はハイネスの心に生きている。
私は両手を広げハイネスの頬に触れそっと唇を重ねた。
「さあ、ハイネス。マグナリア様に非礼を詫びて貴方の気持ちをちゃんと説明して」
「メイミンは⋯⋯私が他の人を愛してもいいと言うのか⋯⋯」
「んー。素直なところ嫌よ。でも私はハイネスに幸せを思い出して欲しい。複雑よね。でも、私は愛って一つじゃないと思うの。恋の愛、友好の愛、家族の愛。どれも愛だわ」
「メイミンらしい。メイミンはいつもそうだったね」
「そうよ。私は私。ハイネスのよく知る私。あ、⋯⋯そろそろ奇跡が終わるわ。ハイネス。愛してくれてありがとう。愛してるわ」
「愛しているメイミン⋯⋯」
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あれからハイネスはマグナリア様に謝罪し「愛する事はできない」ではなく「愛する人を忘れない事を許して欲しい」と言い換えていた。
マグナリア様は呆れた様に溜息を吐いたあと「そんな事はとうに許している」と笑った。
「ハイネス様はメイミン様を深く愛されていると何度も聞かされていますし、この結婚も王家からレイブン家の血筋を絶やさない為の命を受けたもの。私はそれらを受け入れて覚悟の上で嫁いで来ました。なのに早々「愛する事はできない」と関係を築く前に拒否されてはたまりません」
「それは⋯⋯マグナリアを傷つけた。本当に申し訳ない」
「メイミン様に免じて発言を無かったことにします」
「⋯⋯メイミンに、会ったのか?」
「お姿は見えませんでしたがハイネス様が部屋を出た時、枕やクッション、サイドテーブルに置かれた水差しが一斉にハイネス様に向かって飛んでゆきましたから。そうそう、ベッドのシーツもくしゃくしゃに。かなりハイネス様にお怒りだった様です」
「ああ、叱られた。最低だと」
「本当に最低でした。でも、メイミン様に免じて無かったことにいたします。私はハイネス様と良い関係を築きたい。ただそれだけです」
「愛は⋯⋯なくともか?」
「ハイネス様、恋焦がれる愛もあれば友好の愛、家族愛もあります。愛は一つではありませんよ」
「──メイミンも同じ事を⋯⋯言っていた」
「あら、私はメイミン様と気が合いますね」
そう言って笑うマグナリア様ならハイネスを幸せにしてくれる。
私はそう確信したの。
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ハイネスはマグナリア様と新しい愛の形を築き始めた。
その姿は幸せそうで、でも時々寂しそうで。
私もハイネスが幸せになるのは嬉しいはずなのに胸の奥がきゅっとなるけれど。
ハイネスが一歩を踏み出し、私の身体が光に溶け込み始める。
貴方がくれた愛情を私は絶対に手放なさないから。
貴方を愛しているわ。いつまでもずっと。
ハイネスどうか忘れないで。
幸せを誰よりも願ってるからね。
私の身体が光に包まれ、手を繋いだハイネスとメイミン二人が笑い合っている姿が見えた。
その姿は今とは違っているけれど、とても幸せそうな気持ちが広がって私は温かい気持ちに目を閉じ、光へと完全に溶け込んだのだった。
♪ブクマ、★評価、✏︎感想、嬉しいです。本当にありがとうございます。
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