第五話。前編 last-8
そのまま何も言わず彼の愛車の助手席側に座り込む。少し、女性物の化粧品の香りがした。
続けて和泉も運転席へ。私は缶コーヒーの蓋を開けて口に運ぶ。一口二口飲み込んだあと、彼に告げた。
「坂下千尋。この書類が届く頃には岩永千尋だが、あの鉄板焼き屋の女性店員だよ」
結婚式披露宴なんか色々と後回しにする。そういう事情でとりあえず、入籍だけは済ませておこう。いささか強引に進めすぎたかもしれないが、時間がなかった。
「時間がなかったとは、どういう意味だ?別にただの取材旅行なら延期してもよかったんじゃないか」
結婚式、披露宴を後回しにする事情は内心で察してくれていたようだ。深い追求はなかった。
「私はいつでも単刀直入でね、こうと決めたらつい突っ走ってしまう。悪い癖だなと思わないではないんだ」
「にしても随分と急だな。出会って半年も経ってないんじゃないか」
和泉の表情、先ほどまで私を1人待っていた時のやや険しい表情が和らいでいた。
とりあえず私を確保できたことの安堵感だろうか。私が買ってやった缶コーヒーには手を付けず、そのままドリンクホルダーにセットし、ゆっくり車を走らせ始めた……。
最終話前編、一挙公開、です。
後編は明日に。
……あとがきは、後でまとめて。




