第三話。3-11
手にとってざっと目を通した後、和泉は実に興味なさげに言った。
「気になるか?岩永、この内容に」
「……少しな。何処がどうと言われると中々に難しいが、強いて言うなら所謂、ストーキングか。しかも異常なほどの執着を感じるんだ、私にはね」
私は改めてそのコピーを手に取り、じっくりと眺める。一見すると文体は淡々として、見解も客観に徹してはいてもそこに書き込まれた内容以上の、何か強迫観念にも似た強い、何かを得体の知れないもの感じるのだ。
「マン・ウォッチング。俺が最初に抱いた感想だがね。一見ソイツは、書いた人間が誰かを監視しているように見えるだろ?」
「ああ、それ以外のものには見えないが……」
「普通はな。だが違う、逆なんだよその文章は」
逆?とはどう言うことなんだと、和泉の言葉に私の思考が刺激される。……人一人を陰で監視、しているにしては詳しすぎる、か?
「そう、逆。監視対象と思われる存在が実はそのレポートの著者自身、なんだ。つまりはな、その日1日、自分が何をし誰と話し何を思ったかを、あたかも自分が監視されているかのように書いた、ただの言葉遊び。ちょっと手の込んだ日記だよ」
「日記、だと言うのか、これが。……確かにそう言われればそう見えなくはない。ストーカーの記述にしては、客観的にすぎる、か」
私は改めて思考し直してみる。確かにある種の異常者、一人の人間を事細かに追跡、監視しているにしては監視対象に対して、自身の感情を表す文面は、ほとんど無い。
そう言った心の動き、感情の揺らぎといったものは、あくまでも監視対象が、どう感じていると言った一見、客観視的な文体で書かれているがその実、記述している本人が【そう思っている】、主観であった。
「異常性愛、特にストーキングは対象に対してここまで客観的にはいられない、だろうな。もっとこう、ドロドロとしたとても理性的ではいられない、対象に対する思いや執着、リビドーの発露が文章に表れてもいい、はずだがこれには一切ない」
「なるほどな。まあお前の言うことにも一理あるが、それもまあ主観に過ぎないのが問題ではあるな」
「勿論、ただの俺の主観、だ。だがお前も考えたことはないか?昔、夏休みの宿題で絵日記書けとかってヤツ。まあ絵日記ならまだマシだが、ただの日記を毎日、淡々と書き続けるのはひどくつまらない、何か書いてて楽しいものはないかと、思案したり……」




