第一話。1-2
結局のところ、罪の重さは被害者の数では決まらないと彼は言う。それは罪を背負う人間一人一人にかかる重さ、その体感的な違いでしかない。そして、もっとも罪が重いにも関わらずなお、殺人罪とならない罪がある。
「それが二つ目。最愛の女が孕んだ自分の子を、自分勝手な理由で堕ろさせることだ」
……衝撃的だった。目の前にいる、他人を自身の快楽のために弄び、殺した男の口から、そんな言葉が出てくるとは。確かに、堕胎の本質的意味を問えば、それは殺人と言ってよい。
が、それは状況次第。例えば性犯罪被害者のケア、ある種救済措置としての堕胎。年少・未成年者の興味本位な行動の結果としての妊娠、夫婦であっても望まぬ妊娠、経済的理由によるもの。
母体の生還を優先した緊急避難的措置と言った、生ける人間の【権利】の行使という意味で、妊娠中絶は日常的に行われている。
それを端的に殺人と断じるのは些か、論理の飛躍であろう。
が、彼は最初に言った。最愛の女、と。
「罪を問われない殺人としては、これがもっとも罪深いと僕は考えている。結局、一つの殺人は合計三人を精神的、肉体的にも傷つける」
それが顧みて、世界では日常的に行われている。一部宗教観においては、罪深いこととされているが、神の法は人に罰を与えない。特に政教分離を謳う主権在民国家に於いては。
彼はつづける。そう言う、罪に気付き難い殺人が日常化されていくうちに、自ら罰する謙虚さを人から奪い、生まれることの無かった者たちの死に対して、人はいつしか無関心になり、せいぜい儀礼的に水子供養し、仏壇に形だけ祀るだけだ。
いや、まだ祀るだけマシだろう。世の中、そんな信仰心すらもなくなり、お気に入りのペット、その一頭を求めるための、出産調整が当たり前の【商業行為】として行われている。
……滑稽な話じゃないかと、彼はまたケタケタと笑い始めた。
「……人の子とペットを君は同列に扱うのか、なるほど。で、最後の一つは?」
「んん?あんた、そんなこともわからないのか? 興醒めだなぁ」